なぜiOSのゲームを探していたのか

 どこかのエントリに書いた気がしていたのだが見つからなかった。
 最近、出かける時にほとんどiPodTouchと携帯電話しか持ち歩いていない。何か買って帰ることが確定している時や、ここ数日のように3DSすれ違い通信しようとしている時などを除くと、鞄そのものを持ち歩かない。前に「7つ道具では多すぎる」というエントリでモバイルデバイスを7つから4つまで減らしたと書いたが、さらに半分まで減らした計算になる。後輩からも「びるとてぃるとさんはいつも身軽そうに見えますね」と不思議がられた。


 きっかけはこうだ。
 ちょっと前の話になるが、しばらく会っていなかった友人と再会した。その時友人が、私の鞄を見てこう言った。
「何を持ち歩いてるんだよ。鞄大きすぎないか?」彼は私と同じ趣味を持つ友人なので、所持品を説明すれば共感してくれると思っていたら、鼻で笑われてしまった。
「いや、出かけてる時にわざわざゲームやったり文章打ったりする必要ないだろ」と。
 確かに、シグマリオンの後継であるLifeTouchNoteを持って出かけても必ず毎回文章を打っているわけではなかったし、ゲームも毎回起動するわけではない。モバイルデバイスの他には本を持ち歩いていることが多かったが、これも主に時間を潰すためであって、電子化してしまえば必ずしも持ち歩く必要はないものだ。割り切って持ち歩かないのを習慣にしてしまえば、それはそれで割と何とかなってしまう。
 付け加えると、シグマリオンを失ったのはやはり大きかった。LifeTouchNoteはUltraBookなどよりは遥かに軽いが、それでもiPad並みの重さはある。シグマリオンは重量としてはiPadでいうとminiクラスの重さだった。この差は大きい。
 ただ、前に「人間は、自分の行動に合わせてデバイスを選ぶのと同時に、デバイスに行動を合わせるっていう側面もある。つまり、今までノートPCを持ち歩いていた人が代わりにタブレットを持ち歩くことで、それまでアウトプットしていた情報をアウトプットしなくなる」と書いたが、まさにその通りのことが私の身に起こった。外出時に文章を打たなくなった私は、外出時に文章を考える機会そのものが減った。もし、昔からこのブログを読んでいる人が、最近長文のエントリが減ったと感じておられるようなら、それは私の生活習慣そのものが変わったからだろう。


 話が逸れてしまった。もうお分かりと思うが、3DSPSPを持ち歩く習慣がなくなったため、なんとか手持ちのデバイスでゲームが遊べないかと試行錯誤した結果が、昨日のエントリだった、というわけだ。
 ちなみに、この散漫な私の体験談には、こんなオチがつく。


 つい最近、またしばらく間を開けてその友人に再会した。彼は喫茶店のテーブルに背負っていた大きな鞄を乗せると、目を丸くしている私ともう一人の友人の目の前でおもむろに鞄からWindowsタブレットを取り出し、艦娘たちをキラキラ遠征に送り出した。艦これをやるためにわざわざいつもそれを持ち歩いてるのか? と聞いた私に、彼はさも当然、とばかりに大きく頷いたものである。
 私が天を仰いで大きなため息を吐いたのは言うまでもない。