さすがプロだ


 501は随分久しぶりだけど、芳佳はちゃんと芳佳の声になってる、さすがだ……。

 ところで、ニコニコに一言言いたいことがある。このアニメ、例の暗号化とやらの関係なのか、WiiUでもSwitchでも視聴不可である(Vitaはリモートプレイ用にアカウントを変えてしまったのでアプリを入れられない)。
 しかしPCで再生しようとしても、HTML5版の仕様がグダグダなせいか、エコノミーですらブツブツ切れまくる。たかだか十数分の動画で、だ。無線LANのファブレットで見るのが一番マシってどういうことだよ……。
 そら凋落するわけだわ。

悪魔召喚かな?

akiba-pc.watch.impress.co.jp


 メガテンか何かでスマホを媒介に悪魔を召喚してる図にしか見えん……(笑)。

昨日のエントリの補足

 昨日のエントリに少々補足を。あの文章だけを読むと、原稿を書かなかった友人に私が立腹しているように見えたかもしれないが、そうではない。
 実は、友人が「原稿を書くからうちに泊まらせてほしい、レーザープリンタを使わせてほしい」と言い出した時点で──いや、そのずっと前の時点で、友人が本を作れないだろうことはわかっていたからだ。これは、性格や能力の問題ではない。

 当時TRPGジャンルで、一部の人気サークル、島サークルや誕生日席サークルを除く普通のサークルは、50部売れれば普通、100部売れれば御の字と言われていた。50部は、ほとんどの印刷所でオフセット印刷にかけられる最少部数である。その割に、ジャンルの宿命として内容は文章が多くページ数が嵩み、印刷費用は高くなる。「全部売れてすら赤字」のサークルは珍しくなく、私もまたその一人だった。
 何故それでも本を作るかと言えば、本を作ってでも誰かに見せたい何かがあったからだ。今のようにインターネットが発達していない時代、同好の士に何かを見せたいと思ったなら、本を作るくらいしか方法がなかった。

 しかし、その友人は「本に何を書いたらいいか迷っている」と言っていた。「書きたいことがありすぎて迷っている」という意味ではない。「何を書いたらいいか迷っている」という意味だ。つまり「本を作ってまで見せたい何か」が彼にはなかったのだ。
 実際、そのサークルは3人のサークルだったが、もう一人は「何を書いたらいいか」なんて話はおくびにも出したことはなかった。その人は経験豊富かつ私以上に「本を書く理由」が明確に存在しており、真っ先に本を完成させていた。
 設備があろうがなかろうが、時間があろうがなかろうが、書きたいことがないのなら本が完成するはずがない。

 合同本の恐ろしいところはそこなのだ。本に賭ける熱意やそこで負う責任が分散する。「自分がやらなくても誰かがやるさ」「どうせ自分の本ではないし」誰か一人でもそう考えた時点で、破綻が約束される。仕事ですら他人とやる時はトラブルが日常茶飯事なのに、ただの趣味で他人と歩調を合わせるには、相当な熱意と管理能力が必要とされる。もちろん、中にはそれらを持ち合わせている人もいるからこそ、完成した合同誌というものが存在するわけだが……。