言われてみれば

『パックランド』あっての『スーパーマリオ』? 元ログイン編集長が熱弁


 さすがに「パックランドあってのスーパーマリオ」とまでは思わないけど──忍者ハットリ君とか、あの頃こういう横スクロールアクションは流行りだったし──確かに似た方向性を目指した作品ではある。隠しフィーチャーがあるから似てるって言ってしまうと、ゼビウスも似てるって話になってしまうからなぁ。
 ただ、実のところ物語性についてはパックランドの方が雰囲気が出ていると感じていた。パックランドは「スタートで自分の家を出て、最初のステージが街、次のステージが街を離れて森、次がさらに人里離れた山。そして妖精を送り届けて来た道を帰り、家で家族に迎えられる」と、一貫している(ちなみにパックランドには「昼・夕・夜」という時間の流れもある)。

 スーパーマリオは、まずマリオが何故スタート地点に立っているのかプレイヤーは読み取れないし、2ステージ目で地下に行って、なぜ3ステージ目でまた上に上がり、4ステージ目が城なのか、その繋がりもよくわからない。
 イシターや源平、ベラボーマンもそうだけど「雰囲気はいいが、操作性の独特さに阻まれてプレイヤーがそれを感じ取るまでが大変」という、ある種、あの頃のナムコのゲームに共通する特徴だ。「操作性の独特さ」を「難易度の高さ」まで広げると、ドルアーガワルキューレ(初代)にも共通点が認められる。

 逆にいえば、スーパーマリオがフォーメーションZでもチャレンジャーでもなく「みんなのスーパーマリオ」になれた理由は、そこで「万人受けする難易度」を設定できたことだと思う。さっき言ったステージの繋がりも、ギミックに慣れさせるという点から見ると、非常に考えられて作られている。そこが当時の任天堂のもっとも偉大なところなのだろう。