天羅万象の「業システム」の話

 先日、パーティー内恋愛禁止のエピソードで天羅万象の因縁ルール(業システム)について触れた。ここで言っているのはホビージャパンから発売された、初代の天羅万象(過去ブログ内では「旧天羅万象」、「無印天羅万象」などと表記していたが、現在は公式ページで「天羅万象(初代)」と表記されているので、合わせることにする)のことで、業システムも、この初代ルールブックに掲載されたものを指している。
 というのも、業ルールはその後、続編の天羅・零や天羅WARといったゲームが発売された際、主にマイルドな方向に大きく改変されているからである。しかし、私やプレイグループの仲間たちが一番好きだったのは初代の業システムだった。このため、今回のエントリにおける「天羅万象」は「初代天羅万象」のことを指していると考えてほしい。
 ちなみにこちらの天羅万象は、作者の許諾を得た上で無料公開されている。


www.mangaz.com


 とはいえ、私のサイトでよく触れる要素でもあるので、改めて業システムについて説明しておいた方が良いだろうと感じた次第である。なお、これから説明する部分については、少なくとも本日時点ではすべて無料公開されている範囲に含まれているが、私やプレイグループ内での解釈も含まれているのでご容赦いただきたい。

天羅万象の行動判定

 業システムは天羅万象というゲームで最も重要な要素である。一見するとややこしいが、通常のTRPGに比べてパラメーターが2つ3つ多いだけで、やってみるとそれほど複雑ではない。

 システムそのものの説明に入る前に、まず天羅万象というゲームの行動判定について触れておこう。こちらは非常にシンプルだ。能力値の数だけ6面ダイスを振り、出た目が技能に基づく判定値以下であれば成功である。判定値は初級が2、中級が3、上級が4、特級が5である(判定値1は、汎用技能の技能なし判定のみ)。つまり敏捷の能力値が5のキャラクターが、白兵戦闘技能を上級で取得していた場合は、ダイスを5個振って、4以下の目が出た数が成功数である。対抗判定においては、相手とこの成功数を比べ、多い方が勝利し、差分が成功数になる。
 TRPGに慣れた人は気づいたかもしれないが、この判定システムは揺らぎが少ない。プレイヤーにとって想定外の成功をもたらすことも、想定外の失敗をもたらすことも少なく、成長すればするほど乱数が収束するという特徴を持っている。つまりこの判定システムは、これから述べる業システムと合わせて運用することが前提となっている。

気合(経験値+ヒーローポイント)

 業システムを説明するにあたり、一番わかりやすいのは「気合」だ。世界観的に見れば、「気合」とは単純に「力」であると考えていいだろう。これまで私のブログでは、「気合」のことを他のゲームでいうところのヒーローポイント、つまり「判定時に一時的に振るダイスを増やしたりすることができるもの」と述べることが多かった。しかし、ルール的には「気合」は「ヒーローポイント」かつ「経験値」である。
 天羅万象においては、「気合」は能力値や技能を一時的に増やす──これがヒーローポイントとしての使い方だ──のと同様に、恒久的に増やす、つまり経験値としての使い方もできることになっている。従って「自分はボーナスダイスなんていらないから『気合』は必要ない」とはならない。それは普通のTRPGでいう「経験値」を捨てることと同義だからである。
 「気合」の入手法については後で述べるとして、主な使用用途は次のようなものだ。能力値を1増やすのに必要な「気合」が成長後の能力値×3。技能を成長させる場合は、技能なしから初級が5、初級から中級が10、中級から上級が20、上級から特級が40。技能を特級に伸ばすには、「気合」だけではなく、セッション中にイベントをクリアするなど、何らかの演出が必要になる。
 また、一時的なボーナスポイントとして使う場合「気合」1点につきダイスを振る個数を1つ増やすことができる。気合を使えば、能力値が5しかないのに成功数が7求められる場面でも、逆転が可能になる。

業(使用済みの経験値、そして「因縁」の源泉)

 普通のRPGでは、経験点を積んでいくシステムであったにしても、消費していくシステムであったにしても、使用した経験点についての処理はそこで終わりだ。しかし天羅の場合はそこで終わりではない。上記のいずれの用途で「気合」を使ったとしても、使用した分だけ「業」が蓄積する。技能なしの状態から上級まで一気に成長させるには「気合」が35点必要になるが、それと同時に「業」が35点上がる。世界観的には「業」とは文字通りのもの、あるいはわかりやすく言うなら「力を使った反動」、「理を超えて力を入手したことに対する、心の歪み」とでもいうべきだろうか。
 この「業」というパラメータが108を超えると、対象のPCは「修羅」となる。「修羅」とは、ブレイド・オブ・アルカナにおける「殺戮者」であり、ダブルクロスにおける「ジャーム」とほぼ同義である。プレイヤーキャラクター(PC)はノンプレイヤーキャラクター(NPC)化し、キャラクターレコードシートはゲームマスター(GM)に預けられ、プレイヤーの手元には戻ってこない。
 従ってプレイヤーとしては、いかにPCの業を108まで上げずに、プレイヤーキャラクターを成長させていくかが課題となる。しかし、ブレイド・オブ・アルカナダブルクロスと異なるところは、この「業」という値は「シナリオが終了しても初期値に戻らない」という点だ。キャンペーンシナリオを行っている場合、この値は次回のセッションに引き継がれる。セッションの終了で業が10点程度減少するが、そのくらいでは気合の使用量に追いつかない。よって、能動的に減少させない限り、PCはいつか「修羅」になる。

因縁(PCの信条、ロールプレイの拠り所)

 では、この「業」というパラメータはどうすれば減少するかというと、「因縁」を取得することによって減少させることができる。「因縁」はいくつかの種類に分かれている。「目的」だったり「感情」だったり。世界観的にいえば、もやもやした思いや心の歪みに自分なりの整理をつけ「あの時力を求めたのはこのためだったのだ」と自覚することで、自分の心の中の「得体の知れない何か」を遠ざけることを意味する。
 よく使う例えで申し訳ないが、敵国に故国を滅ぼされた人間がいたとしたら「故国を復興する」という目的や「連れ去られた家族を取り戻す」という目的、あるいは「仇敵を憎む」という感情、これらが因縁になる。そしてこの「因縁」に沿ったロールプレイをすることが「気合」を得るための条件である。
 「因縁」も技能と同様、段階を持っており、取得に必要なポイントは技能を取得するのに必要な「気合」のポイントと同じである。1つの因縁を「なし」の状態から「上級」まで一気に取得するためには、5+10+20で35ポイントの業が必要になる。「因縁」に沿ったロールプレイがGMや他のプレイヤーに評価された際、行動判定と同じように「心力」もしくは「共感」の能力値を基準にした「気合獲得ロール」を行い、成功数の分だけ「気合」を得られる。
 ブレイド・オブ・アルカナの場合、尊厳値(DP)が減少すること、殺戮者に近づくことにはデメリットしかない。しかし天羅万象の場合「業」の上昇は必ずしもデメリットばかりではない。「因縁」を取得するためには「業」が必要だからだ。セッション中、目の前に戦災孤児が現れ、彼を守るという「因縁」を取りたいと思っても、必要な「業」が足りなければ「因縁」を取得することができない。よって、業は低すぎてもよくないし、高すぎてもよくない。

宿業(因縁の上限値)

 では「『因縁』をどんどん取得していけば、PCをどんどん成長させていくことができるのか」というと、それも違う。人間の心には、それほど多くのことを留めおくことはできない。PCには「宿業」というパラメーターがあり、「因縁」を取得するのに使用した「業」のポイントで換算して、この上限までしか「因縁」を取得することができないからだ。「またパラメーターが出てきた」と思われるかもしれないが、これは心力という能力×10と決まっており、セッション中に変動することは基本的にはない。「因縁上限値」と読み替えてしまってもいい。
 心力が7なら「宿業」は70。上級の「因縁」の取得に必要な「業」は35なので、2つ取得したら上限に達したことになる。

「因縁」の「昇華」

 ここまでの説明だと、PCの成長には早々に頭打ちが来てしまう。使用した「気合」(経験値)が「業」になり、「業」は108を超えることができず、「業」を減らすための「因縁」に上限が定められているということは、これら全てが上限値に達したら、それ以上PCが成長しない、ということになるからだ。
 しかし「因縁」は消去することができる。「因縁」の消去は初代の天羅万象では「喪失」と書かれているが、この用語だけは続編の「零」で使用された「昇華」という言葉の方がイメージに近いと思うので、仲間内でもこの言葉を使っており、ここでもその言葉を使うことにする。
 取得した「因縁」を昇華することで、データ的には「因縁」の合計数が「宿業」を超えずに済むため、PCはそれ以上成長することが可能になる。ただし「因縁」というのはこれまで述べてきたとおり、PCのロールプレイの拠り所である。これを消去するということは、すなわち、他のプレイヤーやGMから当該ロールプレイを評価されることがなくなるということ、そのロールプレイをしても「気合」、つまり経験点/ヒーローポイントを得られなくなるということを意味する。
 また、ルールブックには「『因縁』を『昇華』する際にはロールプレイをするように」と書かれている。すると、先ほど述べた「故国を復興する」という「因縁」を持ったPCが、この「因縁」を「昇華」するというのは、どういうタイミングになるだろうか。これまで散々「故国の復興」に絡めたロールプレイをして経験値を得てきたPCが、その因縁をなくすということは──普通に考えれば「故国を復興して目的を達した」か、あるいは「諦めた」ということになるのではないか。もちろん、ルールブックには何の制約も書かれていないのだが。
 また、このようなシチュエーションもある。金剛機というクラスは、初期状態で「記憶惑乱」という「因縁」を持っている。つまり「俺は誰なんだ」「俺は何者なんだ」というロールプレイをすることで気合(経験値)を得るわけだが、これが消えるということは、つまり「自分が何者なのかを思い出す」ということを意味すると、普通は考えるだろう。
 逆にいえば、そういったイベントが起こらない限り、この因縁は消えないということになる。これはルールブックに「死んだ因縁」として説明がある。GMとしては要注意の「因縁」である。ロールプレイの拠り所になっていながら、GMがシナリオを用意しない限り消去することが難しい「因縁」ということになるからだ。こういった「因縁」が取得されていることは、GMとしてはキャンペーンがうまくいっていることを意味するので、嬉しいことでもある。ただ、全てのPCのこういった「因縁」を「昇華」するためのシナリオを組み切れるかというと、相当に難しい(GMにとっては難しくも、非常に楽しい瞬間でもあるわけだが……)。
 「因縁」を「昇華」することができない場合、それは上限値である「宿業」を圧迫し、「業」を減少させることができず、「気合」を得ても使用することができなくなり、PCとしては行き詰まってしまう。

 先日の話に戻ると、PC同士でお互いを恋慕する「因縁」を取ったとして、その「因縁」を「昇華」するのはどういうタイミングか、という話になる。感情タイプの「因縁」は、目的タイプの「因縁」よりも取り扱いが難しい。目的と違い、達成するということがないからだ。お互いに持っている感情を「昇華」する時にはロールプレイが必要となるが、ではどのようなロールプレイをするのが適切か。
 すなわち「因縁」を「昇華」できず、宿業の上限を圧迫し続けることを許容するか、それとも「消すのに適切なロールプレイ」を行って「因縁」を消去するか。どちらかの選択肢を迫られることになる。どちらもプレイヤーとしては苦しい選択だ。

巡る「業」システム

 ここまで書いてきたところで、気づいた方もいるかもしれない。そう、業システムの肝は「因縁」を「昇華」させるところにある。普通のゲームであれば経験点を入手したところでPCは成長するが、天羅においては「因縁」を「昇華」するところがPCの成長なのだ。そこまでは「修羅」というNPC化のリスクを抱えたまま、「気合」→「業」→「因縁(宿業)」→「気合」と、ポイントがぐるぐる回っているだけなのである。
 「気合」つまり経験点を得るところでもなく、「因縁」を取得してロールプレイの拠り所を得るタイミングでもなく、その拠り所が消失するタイミングがPCの成長を意味している、というのが天羅万象というゲームの最大の特徴である。「因縁」を「昇華」し、新たな「因縁」を取得する。ロールプレイの拠り所を変化させていく。だからルールブックにある「変われなければ、それは修羅。すなわちNPCなのだ」という言葉が、天羅を最もよく表した言葉である。

ケルピーは動物ではなく魔物

togetter.com


 この場面って「人間と動物の距離の測り方は難しい」というテーマの場面なのかな。私は全くそうは感じなかった。
 コメントで指摘してる人は1人ぐらいしか見当たらないけれど、私はこれはむしろ「ケルピーはれっきとした魔物であって動物ですらなく、魔物としての本能を持っているので、最終的には人間を襲うものなのだ」というのがこの場面のテーマなんだと思っていた。だってこれは、動物で同じシチュエーションだったら襲って来ない場面だろう。これは「魔物の異質性」というものを作者が表現したい場面なんだと、私は思っていた。さらに、前にも書いたことがあるが、この作品の世界観は一般的なファンタジーとすら異なる。あくまでも作者独自のものだ。
 つまりそもそもケルピーは、我々が知る現実世界の伝承においても「動物」とは異なり人を襲う「魔物」で、さらにこの作品におけるケルピーにはオリジナルの設定が混ざっているのだ。二重の意味で、ケルピーのエピソードを一般化して現実世界の野生動物への教訓として捉えるのは、ちょっと難しいんじゃないかと私は思う。

これが本当のヴァーチャルハイドライド?


 公式に発売された実写取り込みのヴァーチャルハイドライドではなく、こちらは初代ハイドライドを3D化したような、同人ベースの作品のようだ。最初は「動画主が作成した、ゲーム風に編集した動画」なのかと思ったが、そうではなく、プレイ可能な形でかつてはダウンロード可能だった、れっきとしたゲームらしい。
 らしい、というのは、元サイトが既に閉鎖されていて、ダウンロード不可能になっているからだ。本人なのか不明だが、コメント欄には作者らしき人物のコメントがあり、それを読む限りでは様々な事情から再アップロードなどは望み薄のようだ。
 とはいえ、旧作のファンが本当に求めていたのは、公式に発売されたアレではなく、むしろこちらのような作品だったのではないかと、今となっては思う。

バビロンズフォール……

gigazine.net


 バビロンズフォールの時にももっと騒がれるべきだったと私は思っている。ちなみに、ザ・クルーはサービス期間は約9年8か月。バビロンズフォールのサービス期間は約1年だが、購入者には何の補償もない。

ワルキューレの冒険2だと!?


 たまたまレトロゲームからMSXの情報に行きあたって、これを見つけた。
 ワルキューレの冒険2だって!? 1がファミコンで2がMSX2ソフトというのも凄い展開だけど……。このデモを見る限りだと、ファミコン版よりキャラも大きくてグラフィックも凝っており、むしろワルキューレの伝説に近いイメージだ。でも、タイトルが時の扉でゾウナのイラストがあるということは、伝説より冒険に近い物語だったのだろうか。



 こちらの公式動画では「いくつかの次回作の検討が行われていた」と言及されているものの、MSX版の存在、あるいはこのデモで公開されているグラフィックについては触れられていない。一応Wikipediaにも載っている情報だが、知名度は高くはなさそうだ。

パーティ内恋愛禁止の話、続き

 昨日のエントリを書いた後、過去のセッションのことを色々思い出していて気付いたことが一つある。GMをやっていて「PC間で恋人同士という設定にしたい」とプレイヤーから提案されたことは数回あったが、そのいずれもが「プレイヤーが女性同士、PCが異性同士」という組み合わせのパターンだった。それも、恋人同士のロールプレイをしたいというより、ラブコメがやりたい、という提案に近かったように思う。
 で、昨日のエントリの内容に反するが、その頃はほとんど提案をそのまま受けていた。というのも、当時プレイしていたのはロードス島戦記とかギアアンティークだったのだけれど、これらにはPCの関係を規定するルールがない。関係性が「ない」よりは、恋愛関係でもPC同士の絡みがあった方がロールプレイのとっかかりにしやすい。もしかしたら、プレイヤーの頭にはロードスのパーンとディードリット、オルソンとシーリスのイメージがあったかもしれない(もちろん小説版の話だ。原作のリプレイでは彼らにそんな雰囲気は全くない)。



 転機になったのは、例によって無印天羅万象である。このゲームでPC同士で恋愛関係になるということは、互いに相手PCへの因縁を取得するということを意味する。これをやると、双方が相手のPCに向けてロールプレイするだけで「気合(ヒーローポイント)」が溜まっていく。すると、当人たちは他人に向けたロールプレイをする余地がなくなるし、GMや他プレイヤーから見ると、二人に向けたロールプレイが非常にやりにくい。昨日書いたような状況が起きるのだ。
 天羅以外のゲームをやっていた頃は、恋愛関係のPCがいても「なんとなく他の人が絡みづらい」程度で済んでいたが、それを明確に数値化して可視化してしまうのが天羅というゲームの恐ろしさだ。以来、天羅ではPC同士の因縁を取ることはなんとなく避けられるようになった。その後NOVA・Rを経てブレカナへ続くうちに、PC間で円環を描くようにコネクションを取得するのが主流になっていき、プレイグループでは「パーティ内恋愛」は提案されることがなくなった。
 もし天羅というゲームに出会わなかったら、その後パーティ内恋愛を避けるような空気も生まれなかったかもしれない。毎回思うことだが、つくづく私のプレイスタイルに大きな影響を与えたゲームである。

わざとやってるのかと思った


 ラミィが極悪市長をやってたのはハヤトの野望の人をリスペクトして無茶をしたからだと思ってたんだけど……こよりもあくあもあずきちも似たような展開になってるってことは、そもそも初心者が順調に街作りをするのは難易度が高い感じのゲームなんだろうか……(笑)。

パーティ内恋愛禁止

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 こういう話題が出てくると、どうしてもTRPG的な視点で見てしまうんだけど、まずその前に作品内の視点で見ると、チルチャックの言いたいことはよくわかる。


togetter.com


 パーティメンバーは「長時間一緒に仕事をする仕事仲間」だから、恋愛関係は禁止しないと無用のトラブルが発生しそうだ。

 で、TRPG的なメタ視点で見ると、前にブログに書いたように、子供の頃は「PC同士で恋愛関係を匂わせるとか大人っぽいロールプレイだな」と思っていたこともあったが、後年自分がセッションをする時は、明文化して禁止こそしなかったけど、忌避していた。
 単純に、PC同士が恋愛関係、あるいはそれに近い関係になると人間関係がそこで閉じてしまうので、GMや他のプレイヤーが話を振りづらくなるのだ。
 後年のFEARのゲームなどが分かりやすいが、PC1枠に対してNPCが恋愛関係か、あるいはそれより手前の庇護関係を築くことでシナリオへの当事者性を増すパターンが多いので、PC同士で恋愛関係になっているとその障壁になる。
 またPC1でなくても、通常PC同士のコネクションは円環を描くように関係を結ぶことで、シーンの参加などを円滑に進められるように作られているが、特定のPC同士だけが双方向にコネクションを築いていると、関係性がそこで止まってしまう(恋人を差し置いて別のPCに助けを求める、というシーンが演出しづらくなる)。よって、GMから見ると話を進めにくい、という話である。

ダブルムーン伝説の話(続き)・「14種の魔法」は少ないか?


 前回のダブルムーン伝説のエントリで「魔術師も司祭も魔法が14しかなく、少ない」と書いた。これについて補足しておきたい。例えばアリアンロッド1stエディションのメイジの魔法は、基本ルールブックでは総数で15。ダブルムーン伝説と1しか違わない。ではアリアンロッドの魔法も少ないか、というと……贔屓目を抜きにしても、それは当たらない。状況が違うからだ。
 ダブルムーン伝説の場合、魔術師系呪文は魔術師、魔法戦士、吟遊詩人、賢者が使用できる。仮にそのうち3クラスがパーティ内にいたとして、それぞれが初期段階で魔法を3つ習得できるため、全員が被らないように魔法を覚えたとすると、初期状態で全ての魔法のうち半分以上をフォローできてしまう。さらにレベルが上がると追加で呪文を覚えるので、レベル3でレパートリーが尽きる。*1経験値テーブルはレベル11まで用意されているのに、だ。
 これに対して、例に挙げたアリアンロッドの場合は、メイジは基本職かつルールブック内で他プレイヤーとの被りを推奨しておらず、さらにマルチクラスが標準なので、他のプレイヤーと被っていない総数30のリストの中から最初2、続けて1ずつ覚えていくことになる。このためレパートリーが尽きるのは相当先の話である。しかも、上級ルールでそれぞれのリストに大量の追加がある。
 つまり「マルチクラスも転職もできない」「基本クラスの中に実質上位互換の職業がある」「サプリメントでも魔法が追加されなかった」というトリプルパンチがキツいのである。
 加えて魔術師魔法、司祭魔法の大半が戦闘用の魔法で、なおかつ他プレイヤーを支援する魔法はほとんどない。アナライズもESPも、ヘイストもフライもないのだ。

 プレイヤーの一人がこう言った。「ダブルムーン伝説は、WARPSファンタジーから尖ったところを全部なくしたようなゲームだ」と。決断力チェックも抑制力チェックもなく、ヒーローポイントもない。その分、普通のゲームに近づいたように見える。
 逆に言えば、WARPSは戦闘以外で行き詰まった時に「実はそこにいた」「実は持っていた」「実は知っていた」で切り抜けることができたから、魔法は戦闘専用でよかった。しかし、ダブルムーン伝説ではそれはできない。と、ここまで来て前回書いた「判定システムが緻密でない」という弱点が繋がってくる。
 「キャラクター作成までしか遊んでいないのに……」と思われるかもしれないが、キャラクター作成まで行ったところで、プレイヤーも乗り気でなく、GMである私もセッションをどう進めていいのかわからなかったのだ。

 一応、添付シナリオでその辺りについて触れられていないかも確認したが、ダンジョンの最初の扉にいきなり鍵がかかっており、開けるには最大難度のD%判定に成功する必要があるのに、失敗した際のフォローは書かれていない。*2さらに、導入が「PCたちの前に別のパーティが事件解決に向かったが、消息を絶ったので調べてほしい」なのに、そのパーティがその後どうなったかどこにも触れられていないという、あの頃割とありがちだった「細かいところはGMが考えて」シナリオだったため、あまり参考にはならなかった記憶がある。

*1:ちなみに魔術師魔法にはレベル1のものと2のものがあるが、レベル2魔法を習得するのに何レベルが必要なのかはルールに記載されていない。Q&Aにも記載はないが、他のルールから類推すると、恐らくレベル3から。

*2:魔術師呪文、司祭呪文に「アンロック」はなく、魔法では開かない。

鬼畜ゲーと呼ばれようとも……


 この動画を見ていて感じたことが一つある。昔から、宝箱の出し方が鬼畜と言われ続けるドルアーガの塔だけど、その鬼畜さゆえにプレイヤーの記憶にはより強く残ったのではないだろうか、と。



 こちらは同じ作者によるドラゴンバスターの動画だ。このゲームも同じナムコによるファンタジーを題材にしたレトロゲームだが、こちらでは、中盤で早々に「同じことの繰り返しで話すネタがない」というセリフが出てくる。
 ドルアーガも敵のバリエーションは無限ではない。サキュバスドルアーガを除けば、顔ぶれ自体は塔の中層で揃ってしまう。しかし、宝箱の出し方は58階までバラバラだ。それゆえに話題に事欠かなかった。これは配信者に限った話ではなく、かつてのゲーマーたちにとっても同じだったのではないだろうか。それゆえか、題材はよく似ているのに、知名度にはかなりの差がある。Google検索が件数を表示してくれなくなったのでPixivで比較すると、ドルアーガは1000を超えるのに対して、ドラゴンバスターは100にも達しない。
 もちろん、続編の有無という違いはある……と言いたいところだが、ドラゴンマスターにも続編はないわけではない。となると、両者の知名度の差を分けたのは、他の要因だったのではないか……という気がしてならないのだ。