さて、前回予告したとおり、今回は私とファミコンにまつわる話である。
あなたはファミコンを持っていただろうか。
ファミコンが発売された当時、私の小遣いはたぶん月に500円くらいだったと思う。ファミコンの定価は15000円、ソフト1本を買うと約2万円になる。40週間、つまり一年近くも小遣いをため続けなければファミコンを買うことはできない計算だ。
もちろんそんな我慢などできるはずもなく、恐らく世の他の子供たちの多くがそうしたように、私も親に泣きつくという安易かつ最後の手段に出た。
しかし、当時私の家にはファミコンどころかマンガの1冊もなく、ビデオデッキもなかった。小学生低学年の頃までは、食事時間にテレビの電源がついていることも、まずなかった。お金がなかったというより、それが両親の教育方針だったのだ。今から考えると両親の教育方針が格別厳しかったとは思わないし、アニメやマンガはまだ見たり読んだりする習慣がなく耐えられたものの、ファミコンが買ってもらえなかったのは当時の私には非常にきつかった。
「友達はみんな持っているのに!」
それでも恐らく今の子供たちより幸運だったのは、ファミコンはDSとは違い「持っている友達の家に行って遊ぶ」ことができるゲーム機だったことだ。
恐らく、同年代の人にはわかってもらえる感覚ではないかと思うのだが、私や多くの友人たちの行動パターンは「○○というゲームを遊ぶために、そのゲームを持っている友達の家に遊びにいく」だった。
デビルワールドとアイスクライマーがやりたければK君の家に。マリオブラザーズがやりたければM君の家に。ドルアーガの塔がやりたければT君の家に…。ファミコンだけではなく、セガマーク3がやりたければO君の家、スーパーカセットビジョンがやりたければ転校生のK君の家……ゲームを求めてさまよう吸血鬼みたいな生活を送っていた。
逆にいうと、人付き合いの苦手な子供であっても人が持っていない(面白そうな)ゲームがあれば、人を4、5人集めてわいわい騒いで遊ぶことは難しくない時代だったのだ。特に同時プレイができるスカイキッドやバルーンファイト、そして前述のアイスクライマーやマリオブラザーズは簡単にエキサイトでき、人気も高かった。恐らく、今ポケモンやモンハンといった通信要素のあるゲームが根強い人気を誇るのも、恐らく理由は同じなのだろう。
だがそんな生活も、私立中学に向けての受験勉強が始まったことで一変する。結果からいえば私は受験に全滅し公立学校に進んだのだが、勉強漬けであるはずの2年間は、私に新しいゲームの地平を切り開いたのだ。
次回は「1ゲームはいくら?」というタイトルでお送りする予定である。