運命の邂逅

 今回のエントリを書くにあたり色々な人の話を聞いてみたのだけれど、「この時」に何歳だったか、というのはどうやら私の後々のゲームライフに大きな影響を与えたようである。


 「この時」とは、つまり携帯ゲーム機「ゲームボーイ」の発売日だ。


 私の身の回りには、ファミコンは買ってもらえたがゲームボーイは買ってもらえなかったという人が何人かいた。みんな私より年下だ。ゲームボーイはリビングのテレビを占有しない代わりに隠れてゲームができてしまうので、自分のお小遣いでも買えず(つまりそこまでの年齢に達していなかったということ)親にも買ってもらえなかったというパターンだ。もちろん、自由にファミコンで遊べる環境にあり、わざわざ見劣りする携帯ゲーム機を買う必要性を感じなかった人もいた。
 しかし私はそのどちらでもなかった。

 今も覚えているが、私はこの時中学生。しかも発売日は修学旅行の初日だった。普通の平日だったらもちろんおもちゃ屋の開く時間に店に行くことなどできないが、駅の集合時間が遅かったのをいいことにおもちゃ屋に走った。その日までにためにためたお小遣いを手に。

 ゲームボーイの箱を初めて手にした時のその気持ちを、なんと形容すべきか。

 自分で稼いだお金でこそないが、それは自力で手にした最初のゲーム機であり、誰に邪魔されることなく思うさま遊ぶことのできた最初のゲーム機だった。そう、それはまさに、私が「普通の子ども」から「ゲーマー」への第一歩を踏み出した瞬間だった。

 ローンチタイトルはアレイウェイスーパーマリオランド、ベースボール、役満。私が買ったのはスーパーマリオランドだけだった。12月に魔界塔士サガが発売されるまで他のタイトルを買った覚えはなく、ひたすら一つのゲームを遊んでいたことになる。
 携帯ゲーム機といっても、私の場合携帯することはほとんどなかった。ゲームボーイの電池は充電式バッテリではなく乾電池、それも単三乾電池4本で40時間しか(それでも次回以降に述べるゲーム機のなかでは破格の長さなのだが)持たず、それを湯水のように消費するのは金銭事情が許さなかった。同時発売されたバッテリアダプタをAC電源として使い、ひたすら自室で遊んでいた。
 まだポケットモンスターが流行するずっとずっと前の話である。



 この初代GBは、その後サガ1・2・3、WIZ外伝1・2・3をプレイする時までずっと稼動し続けた。液晶の縁の接着が剥げて液晶内に入り込んでしまい、また接触不良からか左右に縦線が混じるようになってWIZがプレイできなくなるまで。
 その後買い換えたのはGBASP(2003年発売)だから、実に14年の長きに渡って現役だったことになる。(6)でご紹介する彼のライバルと並び、私の持っていたゲーム機のなかでは一番の長寿選手だ。

 ゲームボーイは間違いなく、私の人生を変えたゲーム機である。