そんなの決まってる


海外ゲーマーの疑問「なんで日本RPGは銃が嫌いなの?」


 そんなの決まってるだろ……と思ったら、私とほぼ同じ意見の人が1人しかいなくて驚いた。もしかしてこれってTRPGのGM特有の視点で、普通の人はそう感じないのだろうか?


 日本のRPGが銃を好まない理由は、敵と喋れなくなるからだと思う。


 昔、天羅万象(初代ね)というゲームがあって、私が初めてキャンペーンをやった時のこと。パーティ内に「サムライ」という戦闘系のキャラと、「銃槍使い」という戦闘系のキャラがいた。細かい違いは色々あるが、最大の違いは得物が「刀」と「銃」であること。わざわざ別のキャラクタークラス(アーキタイプと呼ばれる)にするほどの違いか? と最初は思ったが、実際にやってみたら全然違った。
 サムライは刀が武器なので、敵と刃を交えつつ喋れる。戦いながら相手の主張に反駁したり、自分の主張を訴えたりできるのだ。ロールプレイが「気合」というボーナスポイントに直結する天羅において、敵との間でロールプレイができるかどうかは大きな違いだ。逆に銃槍使いは得意距離が遠距離で、相手に気づかれない遠距離から倒すことが自分の流儀を貫くことになるので、敵と会話することが難しい。必然、ロールプレイは仲間を相手にしたものが多くなる。その後の展開で敵の遺児を銃槍使いが育てることになったのも、二種類のロールプレイの差が生み出したドラマの故だ。


 また、こんなこともあった。とあるコンベンションでトーキョーN◎VAというゲームをやった時のことである(このゲームでも刀使い「カタナ」と、狙撃手「カブトワリ」は、明確に別のクラスとして設定されている)。
 とあるシナリオのクライマックスシーンで、フェイト(探偵)が容疑者を追い詰めた。いよいよ事件の真相を問い質そうとしたところで、それまで事態を静観していたカブトワリのプレイヤーがおもむろに宣言した。
「ではGM、僕は敵の武器が届かない《超遠距離》に登場します」
 N◎VAでは、PCの登場が明確にルールに規定されており、こう宣言されるとそれを阻止する技能を持っていない限りそれを止めることはできない。
「敵を神業《とどめの一撃》で射殺して神業《不可知》で退場します」
 神業というのは、PCに与えられた1シナリオにつき3回だけ使える超必殺技のようなもの。これを阻止するには同等の神業が必要となる。
 探偵役のPCはえらく憤慨したが、止めるための神業がない。またGMである私も途方に暮れた。実は殺した犯人は真犯人ではなく、ただの共犯者に過ぎない。探偵に問い詰められて真相を白状したところで真犯人が登場するはずだったのだが、その暇が与えられなかったためにそのシナリオはバッドエンドになってしまったのだ。
 この時のことについては後日またお話しするとして、要はこういうことになる。


 剣は生き様であり、銃は殺意だ。


 昔ニンジャマスター・ガラはこう言った。「剣はひとたび繰り出した物を引くことができるが、いったん唱えた魔法は戻せない」と。銃も同じだ。引き金を引いたら銃口から飛び出した弾丸は戻らない。
 剣劇アクションとブラックラグーンなどのガンアクションもの、あるいはJRPGとFPSゲームを比べてみればわかる。銃を使うということは、相手を殺すと決めたらもう相手と対話する必要を認めないということだ。リアリティを無視しドラマ性という点だけから見れば、鍔迫り合いの状態からでも相手と会話できる、つまり殺すと決めて抜刀した後でも対話が可能な剣の戦いとの違いは明白だ。
 つまり銃を好むか剣を好むかというのは、チェスと将棋のルールの違いの延長線上にある、背景となる文化の違いではないかと、私は思う。


 この話、まだ続きます。