TRPGにおけるバッドエンドについて(3)

トーキョーNOVA The Detonation (ログイン・テーブルトークRPGシリーズ)


 中村やにおさんの「グッド・ビズ」についての詳細は、リンク先のやにおさんの日記をごらんいただくとして……なぜ、今まで幾度もプレイしたバッドエンドシナリオの中で、たった一つグッド・ビズだけが納得できたのか。
 極論すれば理由は一つ、やにおさん自身がいっているように「仕掛け自体が単純なために、引っかかったPLは全員「自分が悪かった〜」という顔になった」からだ。

 よく考えてみれば、どう見ても約束を守るはずのない相手に「1週間待て」と言われたからといって、はいそうですかと1週間待つという選択肢はありえない。ありえないにも関わらず数十人の人間が引っかかったその理由を、やにおさんは「直前の激しい戦闘で頭を疲れさせたせい」と言っている。しかし少なくとも私に関しては違う。情けない話ではあるが、もし仮に戦闘がなかったとしても、私はこのシナリオの仕掛けを見破ることはできなかっただろう。
 私自身は「1週間待て」という申し出の時点で「こいつはきっと闇討ちを仕掛けてくるに違いない」と考え、取引そのものがおじゃんになるという状況をまったく想定していなかった。「ヘッドハンティングの情報を秘密にする代わりに恋人の身柄を渡せ」という申し出に対して「ヘッドハンティングの計画を前倒しにして取り引き材料自体の価値をゼロにする」という対抗手段を取る、それそのものが私の思考の完全に外にあった。


 しかし、不自然ではない。そして理不尽でもない。重要なのはそこだ。シナリオの失敗がどう考えてもプレイヤーの不手際、プレイヤーの責任だと思えるシナリオだから納得がいったのだ。グッド・ビズにはプレイヤーを勘違いさせるための工夫が何重にも凝らされていた。
 また、やにおさんの並外れたマスタリングテクニックに拠るところも大きい(正直私は同じシナリオを上手く回せる自信はない)。彼がGMとして黒をあたかも白であるかのように描写すると、本当に黒が白に見えてくるから不思議だ(後から考えると、どう見てもそれは黒だと描写されているのに!)。
 しかし、もしここでGMが本当に黒を「白だ」と断言してしまったとしたら、シナリオの失敗はプレイヤーの責任でなくGMのせいになる。
 グッド・ビズで例えると、シナリオヒロインであるクロマクが取引内容をキャストに明かさない、取引相手を言わない、サーディク家がキャストにアクションを起こしてこないなど、プレイヤーが正解を導くに足るヒントを(プレイヤーに非がないのに)出さなければ、それはアンフェアであり、ミッション失敗はプレイヤーのせいではなくGMのせいということになる。
 納得できるバッドエンドの必要条件は、その原因がプレイヤー自身にあると自覚できることだ。GMに無理矢理バッドエンドにされた、という感想しか抱けないのであれば、それはセッションとしては失敗だ。
 
 ごちゃごちゃ書き連ねてきたが、一言で言えばこういうことだ。
「納得できるバッドエンドシナリオとは「これは一本取られた。すごい!」と気持ちよく騙されることができたシナリオのことである」と。
 ただしそれがいかに難しく、高度なマスタリングテクニックを必要とすることか。ハッピーエンド、あるいはグッドエンドに至る道筋を示せば、その時点でプレイヤーのほぼ全員がそちらを目指すだろう。その全員を騙しおおせて初めて、納得のいくバッドエンドに持っていける。

 身も蓋もない言い方をすれば、私がバッドエンドのシナリオを作らないのは、バッドエンドであるにも関わらずプレイヤーにすごいと言わせるシナリオが思いつかないからだ。それはお前が下手なだけだろう、という指摘には、そのとおりと頭を垂れるしかない。
 だが、あえて言わせてもらう。オレは上手い、あるいはこのシナリオのストーリーは素晴らしいからプレイヤーは納得している「はず」というのは、GMが最も陥りやすい陥穽の一つなのだ、と。今まで私が遭遇したバッドエンドシナリオのGMたちは、一人残らず(そう、たった一人の例外もなく!)自信家だった。でもその展開のほとんどは理不尽であり、アンフェアとしか言いようのないものだった。
「オレは上手いGMだ、だからバッドエンドでもプレイヤーは納得するはずだ」という態度がセッション中に垣間見えるようでは、結果はおのずと明らかだ。


 私はハッピーエンド主義者だ。TRPGにおいてはことさらにそうだ。プレイヤーは往々にして美しいストーリーより達成感のあるシナリオを好むし、私自身がプレイヤーであってもGMの自己満足で後味の悪いシナリオを見せられるよりは、陳腐でも単純でもカタルシスの得られるハッピーエンドの方がいい。
 もしあなたがTRPGにおいてバッドエンドのシナリオを組むのであれば、ハッピーエンドのシナリオよりもプレイヤーの要求するハードルが相当に高くなることを覚悟の上で組むべきだ。こつは「バッドエンドでもGMが悪いと思われないように腐心して組む」ことだ。


 もう一度言う。TRPGにおけるバッドエンドはプレイヤーにとって非常にストレスとなる。TRPGはGMがプレイヤーにバッドエンドを体験させることを目的とするゲームではない。