昨日の続き

 昔、クリスタニアというゲームがあった。作者の水野氏によれば、出版社にもう続編は書かないとはっきり断言してシリーズを終えたらしい。もちろん話は全然終わっていないのだが、グループSNEのTRPGのなかでは一番好きなゲームだった。どこがどのように好きだったか──は、また別に機会に話すとしよう。実はこのシリーズ、世界設定は好きなのだが、リプレイシリーズで「やってはならない禁じ手」を連発したシリーズでもある。

 私が一番唖然としたのが、傭兵伝説クリスタニアというリプレイのクライマックスで起きた出来事である。味方側NPCである騎士王ディラントが敵に拉致され、高い塔に幽閉されてしまう。主人公のリュースたちはディラントを救出するために現地へ赴くのだが、なんとここでプレイヤーの一人が「私は現実世界で建築学科出身だから(建物の構造を把握できるので)、塔を崩せてもいいですよね」という発言をし、ビーストマスターのタレントの一つ“トンネル”で塔の下に穴を掘り、塔を倒壊させてしまったのだ。
 要は「塔の中に入っていってダンジョン攻略をするのがめんどくさいから」ということだろうが「プレイヤーが建築学科出身だから正しい」と主張するとは……正直、今では考えられない。*1しかもこのケースの場合は人質がいるわけで、GMが「重要NPCはみんなスーパーマン」で有名な水野氏でなければ「じゃあ、塔の倒壊と同時にディラントは生き埋めになって即死したよ。シナリオ終了」と言われても文句は言えない。*2
 このケースは「タレント“トンネル”はルールで規定されているが、本来想定されている使い方と違う使い方でルールを悪用するパターン」つまり「首ナイフ」に近い。

首ナイフ
(俗語:TRPG
「悪漢が人質の首筋にナイフを突きつけた。この行為は脅しとして有効か?」という、TRPGのルール運用にまつわる古典的命題の一つ。
「首にナイフを突き立てられれば致命傷になりかねない」という常識的発想と「ナイフのダメージ期待値は低いので、1回ぐらい刺されても致命傷にはならない」というルール上の処理が対立する。
初期のTRPGはSGの流れを汲み、ルールの厳密化によってあらゆる物理現象を再現しようとする思想が強かったため、このような問題が激しい議論を呼んだ。
物語的な演出をルールに取り込んだ近年のシステムでは、この問題を解決するために、即死攻撃のルール化、「エキストラ」の概念の導入などの方法論が提示されているが、完全な解決に至ったとは言えない。

http://www16.atwiki.jp/takugedic/pages/21.html#kubiknife
*3


 ただ、必ずしもプレイヤー側だけを責めることはできない。実は同じクリスタニアで、GMもとんでもないシナリオを作ったことがある。


 秘境伝説クリスタニアの一エピソードでこんなシナリオがある。ある村から、洞窟で暮らす風習のある比翼の部族(コウモリの部族)が消息を絶ったので、彼らにいったい何が起こったのか調べてもらいたい、可能であれば原因を取り除いてもらいたい、という依頼があり、PCたちが現場に向かう。そこは鍾乳洞で、部族は全滅している。近くにジャイアントスラッグ(巨大ナメクジ)の死体があるが、それに襲われて殺されたのではないようだ──というシナリオだ。


 真相はこうだ。ジャイアントスラッグが何らかの事情で鍾乳洞のなかに入り込み、比翼の部族に撃退される。彼らはスラッグに殺されることはなかったが、スラッグの粘液に含まれる強酸が鍾乳洞の石灰岩を溶かし、二酸化炭素が発生する。そして洞窟で暮らす比翼の部族の民は「酸欠で窒息死する」。
 現象そのものは現代人である私たちには周知のもので、不自然ではない。実際このリプレイでも、プレイヤーは全員真相に辿りついた。


 問題はその後である。「石灰石と酸が反応し、二酸化炭素が発生すること」「二酸化炭素濃度が上がりすぎると人間が窒息死すること」これは現代人の知識だ。ファンタジー世界の住人は、この知識を持っていない。依頼の内容は「真相を究明する」でありながら「プレイヤー知識を使うことができない」というジレンマに陥る。
 比翼の部族はスラッグに殺されたわけではないから「スラッグに殺された」という報告では不十分だし、しかし「化学反応で窒息死した」という本当の真相は理解してもらえない。いや、そもそも依頼人以前に「科学的知識を持たないPCがどこまで真相を理解し得るのか」という点で意見が分かれるだろう。このシナリオは結局「PCは村人に真相を説明することができなかった」ことで、報酬を完全にもらうことができない「失敗」扱いとされたが、プレイヤーにその責任があるというより、科学的知識を持っていないと解決できない「真相」を用意したという点でむしろGM側に責任がある。

 GMもプレイヤーもどちらもプレイヤー知識とPCの知識を混同しているわけだ。GMがルール違反しているのだから、当然プレイヤーもルール違反するに決まっている。

 にも関わらず、同じフォーセリアを舞台とするソードワールドRPGにおいて、水野氏と共同デザイナーの1人である清松みゆき氏はこんなことを言っているのだ。同じモンスターが挙がっているので分かりにくいが、上記のクリスタニアのエピソードとは異なるエピソードである。

【Gスラ問題】
(俗語:TRPG
 プレイヤーの知識とキャラクターの知識の乖離、特に「モンスターの能力について、キャラクターが知っているかどうか」を判定するルールを運用する上での問題。『ソード・ワールドRPGリプレイNEXT』でのルール運用に由来する。
 ソード・ワールドには、キャラクターがモンスターのことを知っているか判定する「怪物判定」のルールがあり、判定に失敗したキャラクターは、そのモンスターに関する知識がないものとして振舞わねばならない。しかし、ルールブックを読み込んだプレイヤーは、モンスターのデータを諳んじていることがあるため、キャラクターが自然とモンスターの弱点を突くように誘導することがある(例:バンパイアについて知識のないキャラクターが『バンパイアは日光に弱いので、日光の当たる場所へ移動すれば有利になる』という行動は取れないが、『なんだか怖いので、明るい方へ逃げ出そう』ということは可能)。しかし、このような対処法が怪物判定のルールを有名無実化するという意見もある。

 リプレイ中の冒険者パーティはダンジョン内でモンスターに遭遇するが、怪物判定には失敗した。しかし、GMの描写からそのモンスターが「ジャイアント・スラッグ(巨大なめくじ)」だと気付いたパーティは「このモンスターが動物系であることは、状況から推測できる」と主張し、動物系モンスターの一般的な弱点である「精神力へのダメージ」魔法を使用することでジャイアント・スラッグを容易に排除した。
 リプレイ監修の清松みゆきは上記のプレイを非難し、さらに後のQ&Aで「怪物判定に失敗した場合、絶対に弱点を突く行動を取ってはならない。ただし、GMオリジナルのモンスターで、データを知らない場合はその限りではない」と回答した。
 これに対して

1.プレイヤーが知識を持っていることを理由に、外見から容易に推測できる弱点すら突いてはいけないということになれば、プレイヤーがゲームの知識を持てば持つほど不利になってしまう。

2.「弱点を絶対突かない」というのは、弱点を知っていることの裏返しである。それでは「知識がない」キャラクターのロールプレイとは言えない。

などの反論が挙げられている。
 以上の論議は、『ソード・ワールドRPG』を対象としているが、モンスターの能力を行為判定で看破するルールを持ったシステムは他にも存在し、同様の問題を内包している場合がある。

http://www16.atwiki.jp/takugedic/pages/44.html#Gslug
  
 正直、これが正しいんだったらさっきのシナリオの取り扱いはどうなるんだよ、と突っ込みたい。プレイヤーの知識を使わないのであれば酸欠という結論すら導き出すことが禁じられ、このシナリオは「迷宮入り」以外の結論がありえなくなる。


 ──とまぁ、ここまで述べてきたエピソードは全てもう10年以上前の話だ。今のゲームは、例えばアリアンロッドRPGの上級ルールブックなど様々な場所でプレイヤーのマナーについて言及されているし、こんなプレイングをすることもあるまい──と言いたいところだが、実はこんな出来事もあった。


http://d.hatena.ne.jp/bit666/20111127


 ここでヤマグチさんが言及しているのは去年のJGCだ。「めんどくさいから屋敷燃やそう」これを聞いて「ああ、10年経ってもこの人全然進歩してないんだな」と私が思った理由は、くどく説明すると上のような事情があったからである。


 長々と述べてきたが、それほど難しい話ではない。「この行動を取ったら、GMは処理に困るんじゃないか?」という想像力がちょっと働けばいいだけだ。
 何度も言うが、TRPGはプレイヤーとGMが戦うゲームではない。GMに無茶を言ってやり込めることも、プレイヤーがどうしたらいいか分からなくて途方に暮れることも、究極的にはどちらも「参加者全員の負け」なのだ。
 「めんどくさいから」屋敷を燃やし、折角「GMが用意したダンジョンの罠とか仕掛けが一瞬でパー」になって、果たしてGMがセッションを楽しめると思うか? GMが持たない科学知識を元にルールの処理やシナリオの流れを無視して無理矢理事件を解決に導こうというプレイヤーと相対して、GMが楽しいと感じられると思うか? そこに思いを致す想像力さえあれば、ルール外/内処理のごり押しなどできないはずだ。
 また、逆のことはGMにも言える。GMが強権を振り回してプレイヤーを打ち負かしても、別にGMの勝ちではない。プレイヤーが苦し紛れに見当違いのことを始めたとしたら、それはプレイヤーだけが間違っているのではない。恐らくGMも(誘導の仕方を)間違っているのだ。


 もう一度言うが、TRPGはGMとプレイヤーが協力し合うゲームだ。私が前に「昔は面白いと思っていた清松氏のバブリーズリプレイが今は面白いと思えなくなった」と書いたのは、GMとプレイヤーが協力し合っていない(あるいはそう読めない)からだ。
 もし協力関係があるのなら、グイズノーの蘇生の代金を一桁間違えた時にも、GMから「ごめん。桁を間違えたので訂正させて」と申し出ればいいし、スケープドールの売却代金が想定外だった時も「申し訳ないけど、今回はスケープドールの売却はなしにして」*4と申し出てもよかったはずだ。それをしないで、あたかもプレイヤーがGMの裏を掻いた(あるいはGMのミスを利用した)かのように描くから、プレイヤーとGMが対立関係にあるように読めてしまう。もし、これらのミスをGMが「制御可能だ」と判断して敢えて受け容れたのなら、キャンペーン後半で「魔晶石ジャラジャラ使われて困る」などと自分のミスを連呼するような描き方をするべきではなかった。
 ちなみにこのリプレイシリーズでGMの裏を掻きまくっていたのは(あるいはそう描写されていたのは)エルフのスイフリー、つまりプレイヤーは水野氏である。
 こういった、GMとプレイヤーの信頼関係の不足が、以後の清松氏のリプレイシリーズで話題となった「ペイント問題」などを誘発することになる(これは以前に引用したことがあるのでここでは省く)。上記のGスラ問題も、信頼関係の不在から起こる問題だといっても過言ではない。


 しつこいようだが、もう一度書く。大事なのはGMとプレイヤーの信頼関係だ。GMとプレイヤー全員が納得しているなら、そして楽しめているなら、私の書いたエントリなど全部無視して粉塵爆発を起こそうが何をしようが構わない。GMとプレイヤーは相争っているわけではない、一緒に同じストーリーを作っているのだ、ということさえ忘れなければ。
 ただし、一度ルールを無視して特別な裁定を認めてしまうと、次からもプレイヤーは同じ結果を求めて同じ行動をするかもしれない。粉塵爆発を認めたら、次以降のシナリオでいつも粉塵爆発を狙うようになるかもしれない。それはファンタジーRPGと言えるのか? 参加者全員がそれで楽しいと納得できるのか? 果たしてそれは、そのゲームをプレイしていることになるのか? それらのリスクを全て承知の上で敢えてやるというのなら、だが。

*1:一応その後に「PC自身もソーサラーだから知識は豊富なはず」と続くのだが、別にフォーセリアソーサラーは家を建てたりしない。

*2:のだが、このリプレイのすごいところは、プレイヤーもプレイヤーならGMもGMで、倒壊に巻き込まれたと思われるディラントが、無事どころかシナリオのラスボスと思われるデーモンすらあっさりブチ殺して生還してくるというところだ。どう考えてもPC要らないわ、このシナリオ。

*3:なお、この記事の編集者は「完全な解決に至ったとは言えない」と書いているが、少なくともFEAR系のゲームでこの類を問題視しているのは聞いたことがなく、少なくともゲーム上の処理としては「解決している」と言っていいと私は考えている。

*4:特にあの場面では緊急を要する事態だったので「マジックアイテムを売却するつてを探すほどの時間はない」と裁定してもおかしくなかった。