世界の半分をやろう(前編)


 「まおゆう」がいよいよアニメ化された。個人的にはまおゆうがネット小説だった頃から知っているけれど、一番面白かったのは一番最初の最初、表題のやり取りの部分から魔王が萌え台詞を吐くところまでだと思っている。そこから先は「戦国自衛隊」みたいな「もしファンタジー世界に現代科学があったら?」的な話に突入するが、TRPGゲーマー()である私としては異論を差し挟みたい部分も多い。一番疑問を感じるのが「冒頭がパロディから始まってるのに、いつの間にか話の主題が作者自身が作ったオリジナルファンタジー世界の話にすり変わっている」という部分だ。*1


 が、それは置いといて。
 今回は「勇者」の話である。


 今期他にも「戦勇」という作品があったり、勇者の出番が多い。特に最近ライトノベルでは「勇者」や「魔王」という単語が登場する作品が思いつくだけでも30くらい浮かぶし、実際には下手をしたら100タイトルくらいあるんじゃないかと思うくらいだ。


 ところで、この「勇者」という言葉について、私が常々不思議に思っていることが一つある。

 
 一番分かりやすいのがまおゆうなので例に挙げよう。まおゆうの登場人物には名前がない。女騎士とか女魔法使いとか、クラス名が名前の代わりになっている。他にも商人や貴族といった人物が登場する。そして「勇者」である。勇者という言葉は「商人」や「騎士」と同格の言葉として扱われている。
 ウィキペディアにもあるように、本来「勇者」とは「勇敢な者」という意味であって、「英雄」などと同じような称号であり、少なくともそれだけでキャラクターの能力まで表せる言葉ではないはずだ。しかし、まおゆうを始めとするほとんどの作品、例えば今たまたま手元にある作品でいうと「明日の今日子さん」や「BIG−4」などでも、「勇者」はいちいち能力が説明されない。「勇者」というだけで「戦士と同等か僅かに劣る程度の武器防具が装備でき、僧侶ほどではないが回復呪文が使え、時にはある程度の攻撃呪文すら使える」キャラクタークラスであることが暗黙の了解となっている。


 ところが、勇者という言葉にキャラクタークラスとしての意味を持たせ、神官戦士のような能力を持たせるRPGというのは、実際にタイトル数で数えると決して多くはない。


 まずRPGの原点であるTRPGにおいては「勇者」というキャラクタークラスが存在するゲーム自体がほとんどない(詳しくは後述する)。
 コンピュータRPGにおいても、例えばFFシリーズには「勇者」というクラスは出てこない。もちろんテイルズシリーズにもない。世界樹シリーズにもない。海外でいえば古くはウィザードリィ*2ウルティマ*3……。
 クラスチェンジが可能なゲームで「勇者」が存在する有名なゲームといえば、一つしか思いつかない。


 ドラゴンクエストだ。
 それも、ドラゴンクエスト3、6、7。勇者という「キャラクタークラス」が登場するメジャーなゲームはたった3つである。
 つまり今巷に溢れる「勇者」が登場する作品のほとんどは、RPG全般のパロディではなく、ドラゴンクエストの、それも3か6か7のパロディだ、という話になってしまう。


 これらの作品の作者たちがどこまでそれを自覚しているかはわからないが、もちろん作品を書く以上、その辺りを調べて承知の上で書いている人たちが多いだろう。注目すべきは、多くの作者が「勇者という単語については、説明がなくても読者には能力も含めてイメージしてもらえると考えている」ということだ。
 これは、ドラゴンクエストについては説明が不要だと思っているということであり、作品の知名度がそれだけ高いという証といえるだろう。(続く)

*1:例えば、ファンタジー世界でどのような芋が栽培されているかというのは一般化され、共有された設定ではない。

*2:能力的にはロード/君主が近いが君主はあくまでも君主であって勇者ではない。

*3:アヴァター/聖者はイメージが近い気もするが……。