天才の軌跡

 友人が面白いトゥギャッターのまとめを教えてくれた。


遠藤卓司先生( @takujiendo )、フェイズ制とシーン制について語る


 これについて語りたいことはいろいろあるのだが、まずは順番に、そのトゥギャッターのリンク先から飛んだちょっと古いまとめ、なぜ今まで気づかなかったのか、自分の頭をどつきたいほど面白かったまとめを先にご紹介したい。


やにお先生が語る、『遠藤卓司の天才性』


 あるある過ぎて、読みながら何度も大きく頷いてしまった。

昔話をしよう


 私と私の鳥取の仲間たちが最初に「遠藤卓司は天才だ」と感じたのは、NOVAではなくて最初の天羅万象だった。これについては何度も語っているが「業システム」。この素晴らしさ、物凄さも、やにおさんが語っているような「見えないように仕込まれた」「プレイしてみて初めて分かる」ルールだった。
 最初に見た時は「なんなの、この面倒くさそうなシステム。ガープスみたいなルールじゃ駄目なの?」と疑問を感じたが、実際に回してみると「やべぇ……遠藤卓司天才過ぎる……」と顔色を変える羽目になった。
 その後、業システムに惚れ込み過ぎて、やにおさんが深淵に登場判定をくっつけようとしたのと同じように、あらゆるものに業システムを導入しようとしてみたりもした。 


 そして、NOVA・Rの登場である。


 実は、私と仲間たちは、NOVAの2ndをしばらくプレイした後「これなんだかよくわからない」といって1stに戻り、ずっと初版を遊んでいた。特に戦闘ルールの運用は、SW2の乱戦ルールなど比ではないほど分かりづらかった。また、ルールの穴が多くバランスもお世辞にもいいとは言えなかった。
 そのため、Rが出た時も「とりあえず遊んでみた」という程度だった。「これもよくわかんないけど、とりあえずカード出せない時の行動の目標値が相手の制御値になったのはよかったかな」──今だからこそ正直に白状すると、Rの第一印象はこの程度である。今の若い人に説明すると、2ndまでの制御値は「制御判定」という特殊な判定にのみ使用する数値で、セッション中一度も使われないこともしばしばあるほどの、存在感の薄いパラメータだった。2nd時代は戦闘においてはアクションランクが全てであり、どんなに強力なゲストでも人数で勝るキャストに殴られると成すすべなく死ぬしかない。また逆に、キャストが自分より人数の多い敵に襲われると、対抗手段がなかった。行動の目標値が制御値になることで、自分より人数の多い相手に囲まれてもなんとかなる──恥ずかしい話、それ以外の変更点については登場判定やフェイズ制についても「よくわからないけどやる意味あるの?」としか思わなかった。やにおさんと同じ反応である。
 ただ、天羅の前例があったので「いくら天才でも毎回ホームランとはいかないよね」「天羅と違ってNOVAは今までの経緯があるから自由に作れなかったんだろうなあ」とか──あああああ恥ずかしい! タイムマシンがあったら当時の自分の頭をハリセンで張り飛ばしたい! 顔から火が出るわ!


 しかしその後、先輩から「NOVA・Rのルールブックって何かおかしくない?」という指摘を受ける。「おかしいって何がですか?」「だってこのNPCさぁ……」
 ──私はこの時、先輩のお陰でやっと「NOVA・Rのルールブックには何かが隠されてる!」と気づいたのだった。いや、本当の意味での驚きが襲ってきたのは「隠されていること」に気づいた時ではなく「なぜ隠されていたのか」に気づかされたときこそ、だったのだが。
 当時、私もまた、やにおさんとは全然比較にならない程度ではあるけれど、天羅を経験して自分のマスタリングにそれなりの自負を持っていた(自信はなかったが)。
 それが粉々に打ち砕かれた。まさに「どんだけ先を走ってるんだ遠藤卓司は!」という衝撃。
 

 天羅についてはこのブログでもさんざん書いてきたが、とにかく「気心の知れた呼吸の合う身内」とプレイするとこの上なく盛り上がるシステムだった。その後この方向に更なる進化を遂げたシステムはないと思っている。それは、遠藤さんが冒頭にまとめられたツイッターで述べているとおり、問題点が多く残るシステムでもあったからだ。
 特に、初対面の相手とセッションした時、「この人とは呼吸が合わないな」と感じると、開始15分で大惨事がほぼ確定してしまう。上手くはまらないと、物語を加速していくためのシステムが全て逆効果に働き、全員がストレスを抱えることになるという、非常に事故の起こりやすいシステムだった。


 NOVA・Rはその正反対だ。初対面の相手でも事故が起こりにくいように、遠藤さん自身が説明しているように「とにかく失敗しないシステム」になっている。やにおさんが「当時セッションは長いのが当たり前だった」「成功するセッションは上級者が偶然生み出すものだった」と語っておられることについては、(生々しいが)私が経験した具体的な例を挙げよう。
 その昔、JGCが始まるより前の話である。都内でTRPGの宿泊イベントが開催された時、私はとあるサイバーパンクRPGのテストプレイに参加した。GMはそのゲームの制作に携わっている人物。つまり、プロ中のプロである。そして、シナリオはルールブック添付のシナリオだ。もちろんGMは幾度もプレイした経験があったことだろう。
 しかしセッション時間はなんと9時間を超え、しかもプレイヤーの半数はほとんどのシーンに登場することもできず、活躍することもできなかったのである(戦闘シーンで戦闘系キャラ全員が敵に1ダメージも与えられなかったと言えばどんな状況か想像できるのではないだろうか)。
 そんな「当たり前でないことが当たり前」の時代だったのだ。


 Rのルールブックに衝撃を受けた後、それまでの私には考えられないことだったが、同じようにRに魅せられた、それまで会ったこともないような人たちと卓を囲む機会もできた。当時お膳立てをしてくれた人たちには今でも感謝している。やにおさんと初めて卓を囲んだのも、確かそんなチャンスの一つだったと記憶している。


 おっと、昔話に興じすぎた。続きはまた今度。