美味いか不味いか


 前にちょっと話題になってた本だし、作者の前作も読んだから探して買ったんだけど……タイミングが悪かった。これ、風邪で食欲なくしてるときに読む本じゃないわ(笑)。センシの料理はたぶんこれ「意外だけど美味しそう」っていう感性で読まないとこの作品成り立たないんだろうが、まったく食欲が湧かなかった(絵柄の問題とかではなく)。


 で。それは別の話として。この本は作者の過去作品同様、九井さんのオリジナルファンタジー世界観に基づく作品なのね。そういう意味ではセントールの娘とかにも似てるかも。あるいは、例が適当か分からないけどロールアンドロールの「うちのファンタジー世界の考察」的というか。
 純粋に「ドラゴンは食べたら美味しいか不味いか」とか「バジリスクは食べれるのか」という話だったら一般的なファンタジー世界全般の話とも取れるけど「リビングアーマーはマジック・クリーチャーではなく鎧に寄生した卵生の生物」とかまでいくと、一般的なファンタジー像からは逸脱すると思う。例えばTRPGにこういう設定を取り込むと根本の設定が狂う場合も出てきそうだ(上の理屈に従うと、リビングアーマーにはディテクトマジックが効かないということになる)。それはそれで、この作品の中で完結している分には十分面白いから問題ないのだけど。


 何故こんな取りとめもないことを考えたかというと、多くの古いTRPGゲーマー、かつGMだった人間がそうであるように、私も自分独自のオリジナル世界設定や、オリジナルのシナリオを考える時に、ほとんど役に立たない「ダンジョン内の食物連鎖」などに思いを巡らせた経験があるからだ。

ダンジョンに生態系は成り立つか?

 先ほど「こういう考察はほとんど役に立たない」と書いたが、今という時代には「まったく役に立たない」と書いても過言ではない。しかし昔は違った。ダンジョンの不自然な場所にドラゴンが一頭出てくると、プレイヤーの中に「こいつは今までどうやってこんなダンジョンの奥深くで生活してたんだ」と言い出す人間が稀に(そう、ごく稀に)いたのだ(クロちゃんのTRPG千夜一夜的な意味で)。
 GMとしては半分は自己防衛のため、もう半分は想像そのものが楽しいから色々考えるわけだが、実はこの話、語るほど長くなる話ではない。九井さんがこの作品を描くにあたってオリジナルの世界設定を用意したのが何よりの答え、つまり「一般的に言われる“ダンジョン”内では、ある種の条件を設定しない限り生態系は成り立ち得ない」である。


 単純な話、ダンジョンの奥深くにドラゴンが一頭棲んでいたとして、これを飢えさせないだけの食料となりうるものがダンジョン内に存在するか、と考えただけで「普通のダンジョンでは到底無理」という答えを出さざるを得ない。ドラゴンの生態が爬虫類に似たものであり、その食事量が体重に比例すると仮定したら、の話ではあるが。
 通常下層に降りていくほど強大なモンスターが徘徊するダンジョン。強大であるということはすなわち第三次消費者、第四次消費者であることを意味する(そうでなければ攻撃に必要なスピードやパワー、巨体を維持する生物学上のメリットがない*1)。つまり下層に行けばいくほど一次消費者や二次消費者としての生物の層が厚くなければ生きていけない。つまりダンジョンが「下に行けばいくほど広くないとおかしい」ことになるのだ。しかも、下層になればなるほど太陽光が届かないとすると、まともな生産者が生息できるのか、という疑問が生じる。ダンジョンの最下層に陽が燦々と照っているのはおかしいが、暗い中では植物も育ちにくく、それを食べる草食動物も育ちにくく──以下略である。


 ダンジョン内に生態系が存在することが作中で示唆され、それが矛盾なく作品に取り込まれていた例で私の記憶にあるのは「風よ、龍に届いているか」である。ネタバレになるので詳細は省くが、この作品においては、生態系内に存在し得ないような強大な存在は「召喚された」ことにして辻褄を合わせている。
 普通のGMでも、例えば貴族の邸宅に潜入するシナリオをダンジョンシナリオとして作った時、扉を開けたらドラゴンが鎌首をもたげていたり、通路でバジリスクジャイアントラットを捕食していたりする描写はしないだろう。ここで役立つのが先ほど出てきた「リビングアーマー」のような「魔法で作られた存在」、つまり「食事もしないし寝ることもないし水も飲まないし疲れて休むこともない、どこから来たのか説明する必要もない」存在というわけだ。

話が逸れたので

 もうちょっと具体的な話をしよう。実際に「敵を食べれる」TRPGはあるのだろうか? 前に「TRPGにおける食べ物」について触れたことはあるが、あれは敵を捕食する前提ではなかった。
 初代のCD&Dからして「食料」とは「買って持っていく装備」だった。今のゲームに比べて単体の敵に関する記述が多かったにも関わらず、匂いや見た目の描写はあっても「味」の描写がほとんどなかったことから考えて「敵を食べる」ことはほとんど想定されていなかったのと考える。逆に言えば、CD&D(あるいは指輪物語)の段階で「ドラゴンは食すと鶏肉に似た味がして美味であり、滋養も豊富」とルールブックに書かれていたら、後発のファンタジー作品もこれを踏襲し、従ってこの「ダンジョン飯」という作品は存在し得なかったかもしれない。
 私の記憶している限りでは、アリアンロッドにはモンスターを食べることを示唆する記述がある。例えば、マッスルームという敵は「歯ごたえがあって美味しい」と書かれている。ただ、そのマッスルームもPCが食べることができるものを落とすわけではない。ただ、マッスルームに限らずアリアンロッドのドロップ品は「これはPCが入手し売却した後、誰かが加工して食べるものなのでは」としか思えない部位などが含まれる(ギルマンの鰭なんて他に何に使うのかよくわからないし……)。
 ただこれは、コンピュータRPGから逆輸入された世界観や、ドロップ品というシステムによるところが大きいのかもしれない。


 コンピューターゲームならば「ダンジョンマスター」というゲームでドラゴンを倒すとドラゴンステーキを落とすのをはじめ、オンラインゲームでは敵を食材にすることは珍しくない。なぜなら、調理という職人/合成スキルがそのゲームに存在するのであれば、当然敵のドロップ品を原材料にすることが多いからだ。
 もちろん「モンスターハンター」という巨人の存在感も大きいのだが……あそこまでいってしまうと、もはや「ファンタジー」ではないだろうという気もする。

*1:ドラゴンなどは「蓬莱学園の魔獣」でいうところの「エルトンの魔物」にかなり近い生き物、つまり生態系の上位の生物を捕食するために最適化された生き物の理想形だ。