君の名は。感想


 今話題の「君の名は。」観て参りました。

 以下、作品の核心に関わる超絶ネタバレがあるため、続きのエントリは自己責任でお読みください(なお、ウィキペディアのネタバレはここより酷いです)。












(以下、重大なネタバレあり)












・過去に「雲の向こう、約束の場所」「秒速5センチメートル」「星を追う子ども」と3連続で3回とも痛い目に遭ったので、今回も誘いがなければ絶対に行かなかったと思う。正直言うと、観始めるまでかなり憂鬱な気分だった。


・結論から言ってしまうと、新海作品とは思えないほどのハッピーエンドなので、その時点で私の評価は星二つ増えている。


・冒頭、入れ替わりものによくあるシーンから始まる。ヒロインの体に入ってしまった主人公が自分のおっぱいを触って確かめるところまでお約束。だが、ここからの描写が多少捻られている。入れ替わっていることを示唆するシーンのあと、いきなり翌日、元に戻ったであろうシーンに飛ぶのだ。これは後述の理由によると思われる。


・そのまま田舎に暮らすヒロインの描写が続く。そしてその次が都会に暮らす主人公の体に入ったヒロインの描写。主人公自身の描写はしばらく後、ヒロインの体に入った主人公の描写は、実は後半まで回想のみとなる。これは恐らく、物語が開始早々、4つの視点の情報を視聴者が整理するのが大変だからだろう。もちろん、入れ替わりだけがメインなら、それでも問題ないのだが……。


・頻繁に起きていた入れ替わりがある時唐突に起きなくなり、主人公はヒロインを探すため、彼女の住んでいた場所を探し出そうと、友人たちと旅に出る。手がかりが少なく、諦めかけたところで──


──ヒロインたちの住んでいる村は、3年前に彗星が衝突して壊滅、ヒロインたちを含め、大部分の住人が死んでいることがわかる。主人公が入れ替わっていたのは「3年前のヒロイン」だったのだ。
 ここがこの作品の肝であり、一番重大なネタバレにあたる。かつ、この点こそがこの作品で一番綱渡りしている部分でもある。ここで「実は時間がずれていた」という事実をミスディレクションするために、ここまでかなり無理のある展開になっている(3年前に起きた大災害の存在を主人公が覚えていない、など*1)からだ。
 ただ、これまでの新海作品だったら伏線ゼロからこの展開に持って行っただろうけど、今回は伏線が多数ある(ヒロインが「今度飛来する彗星」の話に何度も言及するのに、主人公は「彗星を見ている過去と思われるシーン」が出てくる、等)ので、ギリギリ許容できなくはない。


・そして主人公は、ヒロインが神社のご神体に奉納した口噛み酒を口にすれば、もう一度入れ替わりを起こせるのでは、と思いつく。これもいきなり出てきたらかなり超展開になるところだが、前半でくどいほどに伏線が張られているので納得できる。


・彗星衝突寸前の村にいるヒロインと入れ替わった主人公は、仲間たちと何とか村人を避難させようと奮闘するが……。


・もしここで「頑張ったけど村が滅びるのもヒロインが死ぬのも止められませんでした。でも彗星は美しかった。主人公の心に残る一夏の思い出と喪失感」だったら、ぶっちゃけ酷評したと思う。今までの新海監督だったらそうなってたんじゃないだろうか。しかし今回は、そうはならなかった。


・終盤、ヒロインの仲間たちや家族が都会で(人命は助かったけど村はクレーターだからね)思い思いに暮らすカットやシーンが入って、心底ほっとした。


・そしてラスト。すれ違ったあと、二人は振り向き、そして……。失恋で終わりじゃなくてよかったね!


・先日、ライトノベル作家笹本祐一氏がこんな話をしていた。


・一つ目のほうは、本当に面白ければ気にならない。例えばガルパンで「スーパーギャラクシーに戦車六両は乗らないだろ」とか。「君の名は。」でもこのパターンはある。
 一番大きいのは何より「村一つクレーターにするほどの彗星が衝突したら日本全体が壊滅してるんじゃないか」という。
 細かいところで言えば「変電所を爆破しても、ガソリンで自家発電してる村祭の屋台の電源は落ちないはず」とか「いくら金持ちでも、ケーキで3000円取る喫茶店に、都立高校生が毎日通わないだろ」とか「主人公が働いてるレストランの店の装いと客層が違いすぎ」とか、そういう突っ込みどころはいろいろある。でもまぁそれは面白ければスルーできる。


・問題は二つ目。作品世界の設定が自己矛盾を起こしているパターンの場合、多くはストーリーに破綻が起きたり、筋書きが成り立たなくなることが多く、少なくとも私は気にせずスルーするのは不可能だ。
 これがもう「君の名は。」だと本当に「ギリギリで回避してる」レベルで、人によってはそこが受け付けないかもしれない。
 例えば、村人を避難させようとするシーンで、突然ご神体の方を見て「そこにいるのか」と呟くヒロイン(in主人公)。
 これは「主人公(inヒロイン)が村まで来ている」ことを感じ取るシーンなんだけど、普通に物語上の整合性を考えると、主人公が村に来たのは「3年後の壊滅後の村」であって「3年前の壊滅直前の村」に主人公がいるのはおかしいはず。しかし、この明らかにおかしいシーンに、前半「黄昏=誰そ彼」の説明シーンが入ることで、辛うじて「ああ、あれはこのことを言っていたんだな」とわかるようになっている。
 3年前の惨劇を主人公が知るシーンもそう。口噛み酒のシーンもそう。湖のほとりでヒロインが突如消えるシーンもそう。*2


・本当はこれらは「設定の矛盾」なので、存在しない方が望ましい。しかし新海監督の場合「銃を撃ってきた先生と手を繋いでアガルタに行った」り、「突然サブヒロインが平行世界の話をしだした」りする過去の作品を観る限り、作中でこういうシーンを限りなく少なくするのはどうも無理っぽい。
 穿った見方かもしれないけど、今回脚本協力となってる人がいて、その人が新海監督の脚本に必死に伏線を張ったりフォローを入れてくれたのであれば大変な功績だし、新海監督自身が入れたものであれば正直見直した。


・何より、村を救うというハッピーエンドにしたことは白星を越えて大金星といってもいいと思うし、それでこれだけの観客を動員したのなら「それこそ観客の求めているものだった」ということじゃないだろうか。


・余談だけど、私は今回この作品を見て古橋さんの「三時間目のまどか」(「ある日爆弾が落ちてきて」収録)と「そして明日の世界より」を思い出した。今回の新海作品の評価が高めなのは、この二つが私の好きな作品だったこともあるかもしれない。

*1:精神の入れ替わりのせいで記憶が曖昧になっていたせいだ、というのが作中の理由付けっぽい。

*2:記憶が消えるというご都合主義をどっちに含めるかは微妙なところだけど。