パプリカかぁ……


 この曲、結構あちこちで見るよね。ただ、ベトナムのことを歌った曲だというのは大百科を見て初めて知った。さらに、石油が無機物から生まれるという無機成因論の存在もそこで初めて知った(笑)。

やっぱり両親は……

欅姉妹の四季 2巻 (ハルタコミックス)

欅姉妹の四季 2巻 (ハルタコミックス)


 やっぱり両親は亡くなってたのか……出てこないからそうかもとは思っていたけれど。四姉妹の年齢がある意味で意外だった。次女高校生、三女中学生、四女小学生くらいに思っていたので、それぞれ一つずつ間違っていたことになる。
 この手の作品で「生活費」(おこづかいではない)の描写があるのはあまり記憶になく、その点が面白かった。
 しかし、母親でないとすると、138ページに出てきた謎の美女はいったい……?

これは面白い記事

gigazine.net


 サイバーパンクを知る人には周知の事実かもしれないけれど、こうして(ムービーの紹介記事とはいえ)記事になることには意味がある。特に重要なのは末尾だ。

 そして、現代の新しい作家は、サイバーパンクのSF的な設定を構成する要素を一新しようとしているという主張で、ムービーは締めくくられます。


 そう、それが知りたい。サイバーパンクを構成する要素は一新できるのか、そして一新された「それ」は「サイバーパンク」と呼べるのか。
 あと、細かいことだけど、「日本のサイバーパンク作品が生まれた背景は、アメリカと異なる」と書かれているものの、では一体どういった背景で生まれたのか触れられていないのはちょっと残念だ。
 個人的には、AKIRAの成立背景はアメリカのそれと似通っていると思う。退廃的な町、体制への反抗、発達した科学の非人間性など、共通した要素も見られる。しかし、攻殻機動隊は確かに他の文脈とは異なる作品だ。それは、攻殻機動隊という作品自体が士郎正宗さんの連綿と続く作品世界の一部であり、また旧来のサイバーパンクに近い「アップルシード」と差別化を図って異なるテーマを盛り込んだ結果、だと思う(だからこそ、攻殻機動隊を押井監督の作品であるかのように語る人たちには納得がいかないのだが)。
 アップルシードは、第三次世界大戦で世界が荒廃した後の物語、ポストアポカリプスものだ。作中で重要な役割を果たすバイオロイドは、ブレードランナーレプリカント同様、生物学的に作られたロボットであり、従って作品のテーマ(の一つ)も「限りなく人間に近く作られた人造人間は、人間なのかそうでないのか」で、両者は似ている。
 アップルシードで上記のテーマを語っていたために、攻殻機動隊では別のテーマが掘り下げられることになった。それが「人間の脳が電脳という形でコンピュータネットワークと融合した時、何が起きるのか」である。これは前書きで作者自身が書いているが、アメリカのサイバーパンクムーブメント、そしてそれを「表層のみ」なぞった日本のSF作品を見た上で、作者が「自分自身のサイバーパンク」として描いたのが攻殻機動隊だ。もちろん、最大の違いは作品の成立した年だろう。この作品は1991年の作品で、アメリカのサイバーパンクムーブメントやAKIRAなどよりも成立が遅い。だからいわば「(当時の)新しいサイバーパンク」なのだ。

 しかし、現代はその「新しいサイバーパンク」すら古臭くしてしまった。ニンジャスレイヤーのように、既存のサイバーパンクレトロフューチャーとして表現するのも一つの選択。ただ、もしサイバーパンクの概念を新しくするというのなら……今より「未来」が見えていなければ、形にできない。それは恐らく簡単なことではないだろう。