これは本気だ……。
多分追いかけないだろうな
かつては、神山監督の攻殻機動隊SACの半ば熱狂的のファンで、そのことを友人にからかわれたこともあるほどだったのだが……。
私が神山監督から離れるきっかけになったのは「東のエデン」という作品。といっても、内容が面白かったとか面白くなかったとかではない。そもそも私はこの作品を未視聴である。ただ、Wikipedia程度の概要でも、これが「攻殻機動隊SACと連続性を持ち、設定的にもリンクした作品」であること、そして実際作中の事件が素子の過去に関連する重要な事件と同一であることは明白である。──それを知り、私はこの作品を見るのを止めた。
私が神山監督を評価していたのは「内務大臣室の壁にある地図に建設中のオリュンポス(アップルシードの舞台)らしきものが描かれている」とか、作品の端々から「原作者へのリスペクト」を感じていたからだ。当時、後輩からこのことを教えてもらったときは、心底ワクワクしたものだ。
しかし士郎氏の作品でもなんでもない、自分が原作の作品に、攻殻機動隊SACの設定を原作者に無断で*1反映させたら、それは「原作付き作品の私物化」ではないだろうか。
もちろん、何かに抵触しているわけではないし、道義的な面を除けば許しを得る必要もない。その設定は士郎氏ではなく神山監督が創作した設定だからだ。しかし、何故他の作品と設定をリンクさせる必要があるのか? それも、自分のオリジナルではなく、原作つきの作品と?
そして、神山監督はあの押井塾の出身であり、この作品はあの攻殻機動隊である。それを思うにつけ、私の脳裏に、原作の殿田大佐の台詞が浮かんでならないのだ。
「子は親に、ロボットは人に似る──いずれ君も私のようになるさ」*2