オープニングでもう泣ける


 神々のトライフォース終わったばかりなのに早いな!
 ……そしてこのゲームはGB版でやったけど、もうOPだけで泣けてくる……。

望まれるには遅すぎた

パスファインダーRPG コア・ルールブック (Role&Roll RPGシリーズ)

パスファインダーRPG コア・ルールブック (Role&Roll RPGシリーズ)


 今日もちょっと辛めの話である。

 先日、ロードス島戦記RPGを買った時、隣にパスファインダーRPGのコアルールブックが並んでいた。9000円である。ボリュームを考えれば理解できなくもない価格だが、迷いに迷った末、買わなかった。そのため、これから書くことは「内容」に関する指摘ではない。「売り方」に関する話である。

 そもそもパスファインダーは成立経緯の特殊なTRPGだ。D&Dが4版に班上げしたとき、その前の3.5版からドラスティックに変更が加わった。3.5版の時の資産も使えなくなった。このため、3.5版のサプリの制作を請け負っていたパイゾという会社が、3.5を継承した「パスファインダー」を制作して発売することにした──これが経緯である。公式ページにもこの経緯が書かれている。

 しかし、日本語版の発売にあたってこの経緯だけを記載しているのは、明らかに片手落ちである。
 なぜなら、この経緯はあくまでも「英語版」が発売されるまでの経緯であって、「日本語版」が発売されるまでには、状況は二転三転しており、また日本特有の状況にも触れられていないからだ。

 最大の違いは、前にも書いたとおり、既にD&D第5版の日本語版が発売されていることである。それも、3版に近い形で改版されたものだ。これは、パスファインダーというゲームにとって大きなディスアドバンテージである。言うまでもなく、D&Dの3.5版が好きだった人間にとって、5版を遊ぶという選択肢が既に存在しているからだ。
 前に私がパスファインダーについて書いた時は、D&DNEXTと呼ばれていた日本語版の展開が絶望的になった時だった。このタイミングでならば、パスファインダーを出すことには大きな意味があっただろう。D&DのようなTRPGを遊びたいという人間にとって、他に選択肢がないからだ。しかし、今はそうではない。

 またD&D3.5版も、日本の展開は本国のそれとはまったく違う。本国の展開は質量共に圧倒的であり、日本語に翻訳されたのはそのなかのごくごく一部に過ぎない。本国のファンに存在した「惜しむほどの3.5版の資産」が、元々日本語版にはないのだ。もちろん、今後増える可能性もない。

 この状況でパスファインダーを発売する意味はあるのか? 私は「ないことはない」と思う。ただしそれには条件が付く。その条件については後述するとして、今のパスファインダーの状況を見ていると、私は過去のとある出来事を思い出す。奇しくもそれは、過去のD&Dの展開のことだ。

かつて、D&DAD&Dはどう違ったのか

 以下の記述は基本的に、新和により日本語訳されたボックス版D&Dと、AD&D第2版に基づくものである。

 私はこのブログで、過去何度も「それはD&DではなくてAD&Dだ」というフレーズを使ってきた。バルダーズゲートの紹介記事などに対してだが、なぜしつこいまでにこれを繰り返すか。D&DAD&Dがまったく異なるTRPGだというのは、別に私が主張しているわけではない。元々の発売元であるTSRが、そして新和が、二つは別のゲームだと発売当初から強調していたのだ。半ばネタではあるが、私はそれを真似ているだけである。
 日本語版AD&Dのサポート誌は「オフィシャルD&Dマガジンの別冊」という形を取っていたが、本誌でも別冊でもそう述べられていた。なお、過去のウィキペディアに書かれていた「新和D&DからAD&Dの移行を目論んでいた」というのも、サポート記事や当時の商品展開を見る限りは正しいと思えない。「アルフハイムのエルフ」は、AD&Dより後に発売されている。そう、当時新和D&DAD&Dの平行展開を企図していたのだ。
 では、新和版の末期、なぜD&DAD&Dも展開が縮小してしまったかというと、これは新和が「D&DAD&Dのどこがどう違うのか」を明確にアピールできなかったからだと私は考えている。もちろん、細かい違いはたくさんある。アライメントが3から9になったり、種族がクラスとは別扱いになったり、マルチクラスができるようになったり。しかし、それらはある意味で些細な違いだ。
 製作者たちは何と言っていたかというと「違いは(沢山ありすぎて)説明できない」と言っていた(例えば別冊1号冒頭の大貫氏のコラム等)。それはつまりD&DAD&Dに興味がある人間に、両方を買わせるほどの違いはなく、魅力もないと言っているに等しい。

 もちろん、今から思えば両者には大きな違いがあった。
 1点目は「値段」である。D&Dは初心者向けに、ルールがレベル帯ごとに分かれていた、このため、最初にお試しで遊ぶようなイメージであれば、ベーシックルールセットの5000円だけで足りる。これに対して、AD&Dは最初からプレイヤーズガイド、ゲームマスターガイド、モンスターマニュアルの3冊がないと遊べない。全部で15000円超かかる。
 そして、レベルが上がっていくとこの価格差は逆転し、D&Dはマスタールールセットまでで20000円、AD&Dは15000円から上がらない。ただし、追加ルールを導入し幅を広げると、この差は再逆転する(D&Dには追加ルールという概念がなかった。厳密にはガゼッタシリーズで追加されているが)。
 自分たちのプレイスタイル、どこまで遊ぶか、どうやって遊ぶかによって価格差もそれぞれ異なる。これも一つの「違い」だ。

 そして2点目。「背景世界」だ。
 その頃のD&DAD&Dは、背景世界を共有していなかった。つまり、どちらかのルールを選べば、遊べるのはどちらか片方の世界だけだった。D&Dならミスタラ、AD&Dならグレイホークやフォーゴトンレルムドラゴンランス
 ドラゴンランスは文字どおりドラゴンが鍵を握る世界(神々もドラゴン)であり、AD&Dの標準的な世界観からはかなり逸脱しており個性的。グレイホークとフォーゴトンレルムは骨太なイメージ。それに対してミスタラ世界は「36レベルマジックユーザーが1000人」とかあっさり言い出したり、魔法帝国が一晩で海の底に沈んだり、35レベルのハーフリングマスターがレイズデッドフリーを使ったり、「普通のエルフ」が戦争に負けて滅んだり、かなりぶっ飛んだ世界である。

 ルールがどれだけ似通っていようが、背景世界に際立った違いと魅力があれば、どちらのゲームも買うプレイヤーはいるはずだ。それこそが一番必要な情報だった。
 ただ、当時はまだ、昔のTRPGの分類でいうところの第1世代と第2世代の狭間。ルールは汎用的なものであり、背景世界とは別個のものという認識が強かった。だから新和は背景世界の違いを最前面には押し出さなかったのだろう。

そして今

 そして……時が経ち、今は21世紀である。背景世界がTRPGにとって重要な要素であることは既に周知の事実だ。パスファインダーD&Dを源流とはするものの別種のタイトルであり、優れた魅力のあるTRPGだというなら、その背景世界が魅力的だということをアピールすればいいはずだが……果たして、それはできているだろうか。
 一言付け加えるなら、パスファインダーで旧D&D3.5版の「モンスターマニュアル」に相当する、つまり通常セッションに不可欠のはずの「ベスティアリー」が別売りであることが、HPのどこにも書かれていないのはあまりにも不親切だ。ベスティアリーの存在によって、D&D5版との価格差が逆転する可能性すらある。
 いや、そもそもルールブックが12月発売なのに、5月からまったく更新履歴のないHP自体どうかと思うのだが……。