予想外の展開


 前日談という体裁上、それほど長いシリーズにはできないだろうと思ってはいたけれど、残念ながらプリクエルはこの3巻で最終巻。ようやく楽しめるブレイブウィッチーズを見つけたところだったのだが……。
 

(以下、本書の軽微なネタバレあり(裏表紙に書かれているあらすじ程度))












 1巻が菅野、2巻がニパにフォーカスが当たっていたので、3巻が伯爵のストーリーかと思いきや、彼女は謎めいた存在のままだった。3巻でクローズアップされたのは、なんとあの「スオムス独立義勇飛行中隊」。つまり、故・ヤマグチノボル氏が執筆し未完で終わった「スオムスいらん子中隊」との共同作戦である。
 前巻の後書きでそれとなく触れられてはいたものの、多分これを書けるのは築地氏か南房氏(ノーブルウィッチーズ執筆者)くらいではなかろうか。もちろん島田フミカネ氏の援けも必要だ。その意味では、古参のファンほど嬉しいドリームチームのようにも思う。私はいらん子を追いかけていなかったので、その心情は推し量りがたいが……。ただ、登場人物が一気に増えるため、コミカライズでは描写が難しく、ここまで追いかけないかもしれない。


 これだけでも驚きなのだが、もう一つ古参のファンほど驚くであろう仕掛けが待っていた。それがあの「人型ネウロイ」の再登場である。人型ネウロイは、TV版第1期のラストでいかにも意味ありげに登場し、後に続く伏線と思わせておきながら、2期の冒頭であっさり流され、以降一切触れられることのなかった、ある意味ストライクウィッチーズの「黒歴史」である(いや、このシリーズは黒歴史だらけではあるんだけど)。
 黒歴史にされたのも当然といえば当然で、人型ネウロイは第1期ラストではあたかも「ネウロイが人類と対話しようとしている、あるいは対話可能な存在である」ことを示唆しているかのような扱いだった。しかし、それは当然1期で積み重ねてきた物語、主題とコンフリクトしてしまう。対話や融和はそんなに簡単に片付けられるテーマではない。取ってつけたようにそんなテーマを持ち出すと、いかにグダグダになるかは、ソードワールド1が証明している。

 話が逸れた。第2期の冒頭で「なかったこと」にされた人型ネウロイ。それを、築地さんはどう料理したのか。もちろん、対話だのなんだのなんていうテーマを今更蒸し返すような無粋な真似をするわけがない。そうではなく、これまで登場したネウロイのルールに完全に忠実に、人型ネウロイの存在を、既存のネウロイの中に体系付けている。
 これまでのネウロイは、人類側の兵器を模倣したものだった。それは人類側の兵器の存在に対抗するためだと思われる。そして、極論すればウィッチも「人類側の兵器」である。つまり、今回の物語では、基地から発進してくるウィッチを模倣し、その作戦行動をトレースしてくる存在として、そして人類をではなく、ウィッチを排除しようとする白血球的な存在として、人型ネウロイが描写されている。
 人型ネウロイの扱いの綺麗な落とし所としては、恐らくこれが一番エレガントでシンプルだと思う。そして、これを描き得る作家も築地さんか南房さんか、亡くなられたヤマグチさんくらいしかいなかったのではないだろうか。今までアニメなどのメディア展開があえてスルーしてきたところにあえて手を突っ込むあたりまで含めて、いかにも蓬莱関係者の築地さんっぽい答えの出し方だと感じた。


 ミーナとラルの漫才も、これが最後と思うとなんだか名残惜しい(なお、雁淵姉妹は一切出てこない)。プリクエルの更なるメディア展開は……望み薄かもしれない。ストライクウィッチーズの次なる展開はどうなるのだろうか。期待と不安のない交ぜになった気持ちで、最後のページを閉じた次第である。


追記:後日知ったが、人型ネウロイについても、実は生前のヤマグチさんの著作に登場しており、設定はそのままだったようだ。上のエントリでは築地さんのアイデアのように書いてしまったが、この3巻は徹頭徹尾、築地さんがヤマグチさんをリスペクトした一冊、ということなのだろう。情報収集の拙さをお詫びしつつ、この記述は「築地さんのファンでヤマグチさんの著作を未読の人間が3巻を読んだ初見の感想」としてこのまま残しておこうと思う。