その名前は禁忌なるぞ


 いきなり聞き覚えのある同人誌の名前が出てきて吹いた(笑)。

イドラと関係ない方が


 ポポナちゃんはホントにイドラに関係ないことやってる方が面白くて草。
 「よだれ垂れてんだけど」って言いながらダクトの真下に近付いていって襲われて「なんでだよ!(怒)」っていう辺りがいかにもそれっぽくて最高。
 あと、ポポナちゃん画面に「おとりを使え」って指示出てるのも頑なに無視してるよね(笑)。

受賞すべきじゃない

headlines.yahoo.co.jp


 そりゃあんな作品でノミネートされれば驚きもするだろうな……。


(かなり辛口なので一応折り畳みます。見たくない方は回れ右でお願いします)













 この作品は物語の体を成していない。この作品が受賞するようなことがあったら、それは選考メンバーがいかにこのジャンルを甘く見ているかということの証左になる。というのも、この作品がいかにダメな作品かは、ちゃんと見ていれば開始後5分で分かることだからだ。

 この作品の冒頭はどんなシーンか。主人公のくんちゃんが窓ガラスに息を吹きかけ、それを磨くシーンである。子育てをしている人から見ると、ああ、監督はよく子供を観察している、子供はよくああいうことをやるんだよね、と言いたいシーンかもしれない。
 では、物語全体に対する位置づけとしてはどうか。もちろん、これは「くんちゃんが2人目の子供のために入院している両親を心待ちにする心情を表したシーン」だ。だとしたら、この後に来るシーンは次の二つのうちどちらかしかない。
 「磨いたガラスの向こう側に両親の乗った車が見える」(期待が叶えられる)か、「磨いても磨いても車の姿が見えることはない」(期待が叶えられない)か、だ。遊んでいるくんちゃんに「ママ帰ってきたってー」と祖母が声をかける、なんてシーンを繋げるのは、物語としては下の下である。何故なら、因果が繋がっていないからだ。いかにそれが現実によくあるシーンだったとしても、物語的に意味がない。これは動物の観察日記ではないのだ。これが「千と千尋」の冒頭シーンであれば、千尋の表情や小道具の花束を見ただけで、何の説明もなくても、状況が全て分かる。
 ところが、この「因果が繋がっていないシーンは物語的に意味がない」という観点で見てしまうと、この作品、ほとんどのシーンに意味がなくなってしまう。約束を忘れた父親に気付かせるのでなければ、雛人形を仕舞うシーンには意味がないし、幼き日の母親と一緒に怒られるのでなければ、部屋を散らかすシーンにも意味がないし、くんちゃんが自転車に乗る前に明かされるのでなければ、父親が自転車に乗れない描写も意味がない。何の伏線も脈絡もなく唐突に出てくる自分の未来の姿など論の外だ。
 要するに、作品自体に物語としての意味がないのだ。前作、前々作は脚本を手がけた人間の力でギリギリ補正されていたのかもしれないが、今作は全てを一人で兼務しているため、破綻が露になっているうえに誰のせいにもできなくなっている。
 
 ネットで誰かが言ってたが、ここでこの作品が外国で賞を受けるようなことになると、この監督は「もう日本で評価されなくてもいい、外国が俺を評価してくれる」と開き直り、数の取れない作品を連発して莫大な赤字をばら撒きながら、それをまったく悪びれない某押井元監督のような人物になりかねない。いや、もう半分なりかかっている。そして、本当に金を使うべきところには使わずに、そういう人に金を注ぎ込む訳のわからないスポンサーと、それを食い物にする人間が、哀しいかな世の中には存在している。
 残念ながら、監督が戻ってくる可能性は低い。結婚して変わってしまった元ゲームデザイナーの某氏と同じだ。だから後はもう、いかに損害を最小限にするかしかない。賞を受賞することは──ノミネートすることさえも──もはやプラスに働かない。未来の損害額をいや増すだけなのだ。