話が繋がっていない


 今回この本のレビューを書くにあたり、大きく二つのネタバレを含んでいる。一つはエントリを折り畳むが、もう一つは折り畳まずに書く。というのは、一つ目のネタバレは、本来この本を読む前の予備情報として、読者に知らされていて然るべき情報だと思うからだ。なお、断るまでもないと思うが、本書は小説であり、かつSPLL発表前の作品なので、SPLLに記載された引用のルールに従っていない。悪しからず。

 本書が大分前に発売されていたのは知っていたが、ある理由で買っていなかった。それは、この小説が「“バルサスの要塞”のバルサス・ダイアと“モンスター誕生”のザラダン・マーの間で戦争が勃発する」という主題のものだったからだ。バルサスもザラダンも、それぞれのゲームブックで主人公によって打ち倒される。ということは、この戦争で二人が倒されるはずがない。結末が分かっているのであれば読む意味はないと思っていた。



 これが一つ目のネタバレになるが、この小説の物語はゲームブックバルサスの要塞”や“モンスター誕生”と連続していない。何故なら、二人はこの小説の中で倒されてしまうからだ。
 もちろん、バルサスやザラダンが魔法的な復活手段を持っていて、本書で倒されようが何だろうが何度でも復活できるという設定なら話は変わるが、もしそうなら逆にゲームブック版で主人公が両者を打ち倒すことには何の価値もない、という話になってしまう。火吹山のザゴールは復活にかなりのリスクを払っていた。特にザラダンについては、本書中にそれに相当する伏線は見当たらない。なので、普通に読むと「この物語はゲームブックとは舞台を同じくするだけのパラレルワールドだ」という話になる。
 そもそも、このトロール牙峠戦争は両ゲームブックの時間軸とどういう前後関係になるのかすら、判然としない。読む前は当然ゲームブック前のエピソードだと思っていたが、こういう内容だとそれすら怪しくなる。
 
 どういうことかと読み進めていったら、後書きに気になることが書かれていた。

 そこで一番割りを食ったのが本書である。もともと1992年に出る予定で進めていて、いったん初稿が出来た段階のまま、急にいわゆる「お蔵入り」になってしまった。そのうち21世紀に入ってすぐ社会思想社の会社整理が起こり(略)
──本書344ページより

 あの時、関連書籍で唯一「お蔵入り」になったままの本書「トロール牙峠戦争」を、30年ぶりに出したいという強烈な思いだった。
──本書345ページより


 これだと、まるで翻訳しておいた初稿がもったいないからというだけで発刊しただけのように読めてしまう。「“火吹山の魔法使い”“バルサスの要塞”“モンスター誕生”の背景事情を過不足なく述べている」とも書かれているが、私はそうは感じなかった。
 そもそも「悪魔の三人」の設定は“モンスター誕生”もしくはタイタン執筆の際に作られた後付け設定で、火吹山やバルサスの時点ではそんな設定はない。“モンスター誕生”についてはエントリでも書いたが、そもそも当該作の主人公は「記憶喪失のモンスター」だし、パラグラフ内でバルサスの名前を目にした覚えもない。

閑話休題

 あと、ちょっと気になったのが──

 FFゲームブックはかつての成功が非常に大きかっただけに、逆に復刊の試みは21世紀初頭に他社から三度あったけれど、ことごとく失敗といってよい結果になっていた。
──本書346ページ


 コンシューマゲーム業界ならともかく、無電源系の業界で、他社のプロジェクトを、しかも公式に発売された刊行物の中で「失敗」と断じているのは他に見た記憶がない。それもインタビューやホームページではない。書籍の後書きでだ。立場を逆にすれば、ホビージャパン翻訳版のD&Dの後書きに日本語版スタッフが「メディアワークス版のD&Dは失敗だった」と書き記すようなものだ。*1ゲームブックシリーズをあの価格で、しかも限定生産にしたエクスキューズだろうか? しかし、その割にはこのトロール牙峠戦争自体は限定生産でも何でもない(定価2500円を小説の値段として適正と思うかどうかは人によるだろう)。
 何故私がここまで引っかかるかというと、前に書いた「ラス・オブ・ジ・イモータル」の話があるからだ。あれこそ本当にD&Dというゲームにとって必要な背景情報だった。あれが翻訳されなければ、ミスタラという世界の「現在」で冒険が出来ない。それを置いておいてこっち? というのが正直な印象なのだ。

それはさておき

 それはさておき。本書がつまらないかと言われると、そんなことはない。特に、この独特の雰囲気、悪の陣営の濃密な描写や、味方も一筋縄ではいかない様子は、確かにあのゲームブックシリーズと同じ作者の手になるものだとはっきりわかる。例えばゴブリン一つとっても、本書のそれはまるで中間管理職のようにも見え、日本のファンタジー作品とは扱いが全く異なる。そして同じ翻訳物でも、例えばドラゴンランスなどとはかなり違う雰囲気を味わうことができる。
 ただ、本書で一見の価値ありなのは、最終章だろう。そして、最も賛否が分かれるのも最終章だと思う。ここからは折り畳む。












 最終章のタイトルに「判決」とあったので、ザラダンやバルサスが法廷に立たされるところなんて想像できないな、と思っていたら、なんと「タイタンの神々が、本書の舞台をボードゲームの盤上を眺めるように見ている」という場面である。実はこれは神々のゲームだった、というオチだ。



 ここは本当に賛否が分かれるだろう。邪悪の化身であるザラダンやバルサスが気の毒に思えてきたほどだ。彼らは彼らなりに必死に戦ったのだろうが、実は神々の掌の上で転がされていただけだった訳だ。
 ただ、この場面を完全否定する気分にならないのは、最後のどんでん返しが凄まじかったからだ。
 物語の途中で主人公を助ける謎めいた魔術師、リッサミナという人物が登場するが──この人物、なんと女神リーブラ本人であることが最後に明かされる。これにはぶっ飛んだ。



 つまり本書は、この最後の「オチ」で、他の部分をどれだけ許せるか、にかかっているのだというのが、私の感想である。

*1:同様に、「社会思想社の社内整理」なんていうフレーズも同社の人間以外が書いていいことなのか疑問が残る。