凍てつく波動かぁ……


 これだけ「いきなりスキル」を売りにした武器を出しておいて、そんなに狙い撃ちにしてくるかなぁ、という疑問はさておき、確かにいきなりスキルは再使用できない(戦闘開始時にしかかからず、一定ターン数しか効果がない)ものも多いので、封じられるときついのは確かかも。

剣士も盗賊もサムライも一緒

togetter.com


 この記事を読んでいて、昔から不思議だったことを思い出した。
 ここで呟いている人もファイティングファンタジーシリーズを例に出しているが、私の記憶に新しいのは、某サイトで、ある翻訳家の人が「甦る妖術使い」を実際にはプレイしないで、数値バランスを見ずに「親切なつくり」と評していたんじゃないかという話のことだ。



 この記事を読んだ時にも感じたことだが、ファイティングファンタジーシリーズの不思議なところの一つに、シリーズと銘打っているにも関わらず、主人公たる旅人の能力値が、第1作目である「火吹山の魔法使い」から最新作に至るまで、体力点が12+2D6、技術点が6+1D6、運点が6+1D6で変わらないという点がある。
 「主人公である旅人は、それぞれの作品において別人だから、別の作品で経験を生かすことはできない」という意見もあるだろうけれども、それにしては、例えばソーサリーシリーズとか迷宮探検競技のように、明らかに別の作品の続きとして(場合によっては主人公も同一人物を想定して)書かれた作品であっても、能力値が高い状態から始まることはない。



 「ファイティングファンタジーシリーズには成長要素という概念がない」というのであれば、それはそれで納得するが、ゲームブックシリーズをTRPG化した作品であるアドバンスドファイティングファンタジーシリーズにはちゃんと成長要素があり、技能などを習得することで判定値を上昇させていくことができる。つまりファイティングファンタジーシリーズそのものには成長要素という概念はあるが、ゲームブック作品においてはそれが一切作品に反映されていないのだ。



 もちろん、インフレがあまりにも酷くて、迷宮探検競技の主人公がバルサスをワンパンできるとか、モンスター誕生の主人公が雪の魔女をワンパンできるとかなってしまうと、古い作品を遊んだファンとしては興ざめかもしれない。しかしこの記事に書かれているように、シリーズを続けるにつれて、冒険の内容、そしてそこで描かれる脅威は前より強大に描かざるを得ないというシリーズ作品の宿命がありつつも、数値バランス的には常に同じということになってしまうと、作中の選択肢で仕掛けるトラップや、主人公が弱いままにも関わらず、敵を強くすることでデッドリーなバランスにしてその雰囲気を表現するしかなく、結局真面目にサイコロを振る人がいなくなって逆効果になってしまう。



 例えばモンスター辞典にある赤龍(レッドドラゴン)のデータでは、技術点が14点、体力点は23点。主人公の旅人は、たとえ最初のキャラクター作成の時点でどちらも最大値を振ったとしても、技術点は12点、体力点は24点。体力がギリギリ拮抗で、技術点は勝ることがない。これは城塞都市カーレを突破し、七匹の大蛇を倒した英雄であっても、必ずこの数値になる。もちろん、ストーリーの中で技術点が上がる魔剣を手に入れたり、マジックアイテムによって運点を上げることができるが、その成長は別の作品ではリセットされてしまう。従って、プレイヤーとしては旅人の成長を実感することができない。
 これは単純に数値の大小だけではなくて、例えばサムライの剣であれば、主人公は八幡国のサムライなので技術点が高く、その分運点が低いとか、作中で盗賊という設定の旅人であれば、技術点が低めで運点が高いとか、そしてソーサリーであれば、1冊目は初期値で始まり、4冊目の「王たちの冠」においては1巻から3巻までの経験を経て、技術点や運点が高い状態でスタートしたり、といった個性づけがあっても良かったんじゃないかな、と思う。
 選択肢などでバランスをデッドリーにするよりは、敵の数値と味方の数値をマイルドに少しずつ上昇させていって、作品中の事態の深刻さを実感させ、当事者性を増していった方が、プレイヤーにとっては思い入れしやすいし、少しはまともにサイコロを振る人も増えたんじゃないだろうか。
 もしかしたら私が気づいていないだけで、作者たちが知る、それができない理由があったのかもしれないが……。