ダンジョンズアンドドラゴンズ劇場版


 面白かった。Twitterでも言ってる人がいたけど、指輪物語みたいな「壮大で何もかもが美しいです。金もかかってます」みたいな作品ではない。シリアスな場面でも笑いを挟んでくるというか、娯楽大作、っていう感じ。バックトゥザフューチャーに例えてる人もいたが、ノリは確かに似てる。シリアスなシーンもなくはないけど、全体的に見るとそこまで深刻さを感じさせる作品ではない。
 CGをバリバリに使ったファンタジーとかっていうとあとはナルニアとかで、あれも別にコメディではないし、最新の技術を使って作られたファンタジー、かつ指輪物語ほど肩に力を入れずに気楽に見れる作品という意味で価値がある。……とはいえ、最初の予告はないわ……。


(以下、ネタバレアリの感想なので折り畳む)














 最初私がPVを見た時にあまり評価しなかったのは「主人公のエドガンがどう見ても革ジャン着てる」とか「サブ主人公のホルガが素肌に鎧を直接着てる」とか、どう考えても指輪物語ほどの考察はされていないっていうところを評価していなかったのだが、どうもこの作品、わざとやってるんじゃないか、っていうのが全体を見ての感想だ。他にも言っている人がいたけど、ファンタジー世界を舞台にしてるんだけど、いい意味でものすごく現代っぽい感じがする。
 あと、RPG的というか「仲間を探そう」とか「クエストをクリアするために前提クエストをやります」みたいな、そういう構図に近いものがある。

 フォージの悪事を暴くために宝物庫を開けようとする→
 宝物庫に乗り込むために扉にかかっている魔法を解く→
 魔法を解くために魔法破りの兜を探しに行く→
 兜を探すために所在を知っている死者に話を聞く→
 兜を持っているパラディンを訪ねる→
 兜を保管しているダンジョンに突入、みたいな。

 こういう部分に抵抗があると見づらいかもしれない。ちなみに私は全然抵抗はなかった。

 ストーリーを最初から追っていくのもなんなので、ゲーマーの私が気づいたところを挙げていこうと思う。といっても、それも割と色々なところでもう取り上げられてるけれど。

 最初に私がわかってるな、と思ったのは、主人公の4人がダンジョンズアンドドラゴンズの基本パーティーの形式に沿っていること。



 主人公のエドガンが盗賊のヴァリアントクラスのバード。
 相棒のホルガが戦士のヴァリアントクラスのバーバリアン。
 ドリックが僧侶のバリアントクラスのドルイド
 サイモンが魔法使いのヴァリアントクラスのソーサラー。ちゃんと基本を押さえている。*1

 その上でさすがと感心したことがある。実はこの4人の構成でやると、映画的に話が進めにくい部分があるのを、ちゃんとクリアしている点だ。
 この構成で誰をリーダーにするかというと、普通は戦士だろう。ところが、戦士は真っ先に敵陣に乗り込んでいく役割なので、戦闘中に仲間に指示したりという動きがしづらい。本作のホルガを見れば、その役を果たせないのは自明だ。これはメタな意味でも問題がある。全体を俯瞰して見れる観客の視点が存在しなくなるからだ。
 というわけでこの作品ではバードがリーダーなわけだが、もしこれが盗賊的な役割を果たすとなると偵察や索敵をやることになるので、やはり作戦司令塔なのに真っ先に自分が突っ込んでいかないといけなくなる。マジックユーザーも今回のソフィーナと戦うシーンのように 魔法使い同士の戦闘になったら、仲間の戦闘状況に目を配るような余裕はなくなる。
 で、本作ではこの辺りをどうやってクリアしているかというと、この主人公、元盗賊で現在バードというクラスなのに、索敵もしないし 偵察もしない。殺さずを貫いているわけでもないのに、自ら剣を取って戦うシーンも一切ない。 映画のキービジュアルを見てみるとよくわかるが、この主人公のエドガーだけは武器を持っていない。担いでいるのは楽器だけだ。ゲーム的には、バードなら仲間を強化する魔法が使えるはずだが、作中ではマジックアイテムの使用を除き、魔法のようなものは一切発動していない。
 盗賊が偵察せずに誰が偵察するのかというと、ドルイドがその役を担っている。偵察では蝿に変身し、ネズミに変身して格子を潜り抜け、鷹に変身して建物から逃れ、鹿に変身して街路を疾走する。そしていざ戦闘になればオウルベアに変身して相手をぶん殴るという、見せ場ありすぎのキャラクターだった。この作品で一番人気があるのはこのドリックじゃないだろうか。黒野さんのところのゆるゆるD&Dのムウナを何度も思い出した。
 これも映画的に考えると仕方のない話で、僧侶をキャラクタークラスどおりに「仲間を癒すクラス」として演出してしまうと、仲間が傷ついたり、怪我したりするシーンの緊迫感がなくなってしまう。ゲームで必要な役割と、映像作品で必要な役割は違うのだ。だから、僧侶の位置に相当するドルイドに、治療の代わりに偵察を担わせ、偵察、斥候をやる必要のなくなったバード/盗賊をリーダーの位置に寄せる。そして、戦闘時には仲間を鼓舞するが自分から直接的な力を振るうことはない、というキャラクターにするわけだ。これは非常に上手い構成だと思った。なるほど、基本4クラスを映画的に翻案すると、こういう配置になるのか。
 さらにいうと、この主人公パーティの構成は非常に「ゲーム的」に見えるが、実は4人が同時に同じ敵と相対するシーンは、レッドドラゴンとラスボスくらいしかない。後はパーティメンバーをバラバラにし「それぞれの見せ場」を巧みに作っている。迷宮シーンですらそうだ。ここはゲームのルールを守りつつ、映像作品としてのセオリーを優先している部分だ。

 それ以外に気づいたD&Dならではの要素というと、やはりモンスターになるだろうか。



 とりあえずパッと思いついたところでいうと、何度も書いているように、強酸を吐き出すブラックドラゴンは会いたくない敵の中でトップクラスと再認識した。
 オウルベアは、ビジュアル的な見た目という意味でいうとカプコンのシャドウ・オーバー・ミスタラの雑魚キャラで出てくるので、映像で動いてるのは初めて見たというわけではない。とはいえ、カプコンのそれの頭はどう見てもをフクロウではなかったが、今回はちゃんと頭がフクロウになっていた。
 ディスプレッサービーストも、シャドウ・オーバー・ミスタラにも出ていたモンスターだ。こちらはちょっとイメージと違った。ディスプレッサービーストは、本体が見えている場所にいるのが幻覚で、ちょっと離れたところに本体がいるというのが恐ろしさの主軸のはずなんだけど、今回の映画のように幻像と本体が同じ相手に同時に襲いかかったら、幻像を出している意味が薄いような気がする。
 逆に、今回その恐ろしさの片鱗を垣間見たのが、ゼラチナスキューブ。狭い通路で出てくると、やはり脅威以外の何物でもない。しかも 単なる雑魚モンスターというわけでもなく、物語上で結構重要な役割を果たしていた。

 そうそう言い忘れていたが、今回の劇場版はちゃんとダンジョンズ&ドラゴンズということで、ダンジョンも出てくるしドラゴンも出てくる。その点もちゃんとダンジョンズ&ドラゴンズしてるなとは思った。……前回の、不幸でどうしようもない劇場版とは違い、ちゃんとした娯楽作品になっていたのは、高く評価できる。この出来ならもうちょっと興行成績を稼いで、是非次回作に繋げてもらいたいが……さすがに無理、だろうか。観た人の評価は高いんだけどなぁ。
 

*1:聖騎士のゼンクを数に入れていないのは、彼は早々にパーティを抜けるから。