ケルピーは動物ではなく魔物

togetter.com


 この場面って「人間と動物の距離の測り方は難しい」というテーマの場面なのかな。私は全くそうは感じなかった。
 コメントで指摘してる人は1人ぐらいしか見当たらないけれど、私はこれはむしろ「ケルピーはれっきとした魔物であって動物ですらなく、魔物としての本能を持っているので、最終的には人間を襲うものなのだ」というのがこの場面のテーマなんだと思っていた。だってこれは、動物で同じシチュエーションだったら襲って来ない場面だろう。これは「魔物の異質性」というものを作者が表現したい場面なんだと、私は思っていた。さらに、前にも書いたことがあるが、この作品の世界観は一般的なファンタジーとすら異なる。あくまでも作者独自のものだ。
 つまりそもそもケルピーは、我々が知る現実世界の伝承においても「動物」とは異なり人を襲う「魔物」で、さらにこの作品におけるケルピーにはオリジナルの設定が混ざっているのだ。二重の意味で、ケルピーのエピソードを一般化して現実世界の野生動物への教訓として捉えるのは、ちょっと難しいんじゃないかと私は思う。

これが本当のヴァーチャルハイドライド?


 公式に発売された実写取り込みのヴァーチャルハイドライドではなく、こちらは初代ハイドライドを3D化したような、同人ベースの作品のようだ。最初は「動画主が作成した、ゲーム風に編集した動画」なのかと思ったが、そうではなく、プレイ可能な形でかつてはダウンロード可能だった、れっきとしたゲームらしい。
 らしい、というのは、元サイトが既に閉鎖されていて、ダウンロード不可能になっているからだ。本人なのか不明だが、コメント欄には作者らしき人物のコメントがあり、それを読む限りでは様々な事情から再アップロードなどは望み薄のようだ。
 とはいえ、旧作のファンが本当に求めていたのは、公式に発売されたアレではなく、むしろこちらのような作品だったのではないかと、今となっては思う。

バビロンズフォール……

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 バビロンズフォールの時にももっと騒がれるべきだったと私は思っている。ちなみに、ザ・クルーはサービス期間は約9年8か月。バビロンズフォールのサービス期間は約1年だが、購入者には何の補償もない。

ワルキューレの冒険2だと!?


 たまたまレトロゲームからMSXの情報に行きあたって、これを見つけた。
 ワルキューレの冒険2だって!? 1がファミコンで2がMSX2ソフトというのも凄い展開だけど……。このデモを見る限りだと、ファミコン版よりキャラも大きくてグラフィックも凝っており、むしろワルキューレの伝説に近いイメージだ。でも、タイトルが時の扉でゾウナのイラストがあるということは、伝説より冒険に近い物語だったのだろうか。



 こちらの公式動画では「いくつかの次回作の検討が行われていた」と言及されているものの、MSX版の存在、あるいはこのデモで公開されているグラフィックについては触れられていない。一応Wikipediaにも載っている情報だが、知名度は高くはなさそうだ。

パーティ内恋愛禁止の話、続き

 昨日のエントリを書いた後、過去のセッションのことを色々思い出していて気付いたことが一つある。GMをやっていて「PC間で恋人同士という設定にしたい」とプレイヤーから提案されたことは数回あったが、そのいずれもが「プレイヤーが女性同士、PCが異性同士」という組み合わせのパターンだった。それも、恋人同士のロールプレイをしたいというより、ラブコメがやりたい、という提案に近かったように思う。
 で、昨日のエントリの内容に反するが、その頃はほとんど提案をそのまま受けていた。というのも、当時プレイしていたのはロードス島戦記とかギアアンティークだったのだけれど、これらにはPCの関係を規定するルールがない。関係性が「ない」よりは、恋愛関係でもPC同士の絡みがあった方がロールプレイのとっかかりにしやすい。もしかしたら、プレイヤーの頭にはロードスのパーンとディードリット、オルソンとシーリスのイメージがあったかもしれない(もちろん小説版の話だ。原作のリプレイでは彼らにそんな雰囲気は全くない)。



 転機になったのは、例によって無印天羅万象である。このゲームでPC同士で恋愛関係になるということは、互いに相手PCへの因縁を取得するということを意味する。これをやると、双方が相手のPCに向けてロールプレイするだけで「気合(ヒーローポイント)」が溜まっていく。すると、当人たちは他人に向けたロールプレイをする余地がなくなるし、GMや他プレイヤーから見ると、二人に向けたロールプレイが非常にやりにくい。昨日書いたような状況が起きるのだ。
 天羅以外のゲームをやっていた頃は、恋愛関係のPCがいても「なんとなく他の人が絡みづらい」程度で済んでいたが、それを明確に数値化して可視化してしまうのが天羅というゲームの恐ろしさだ。以来、天羅ではPC同士の因縁を取ることはなんとなく避けられるようになった。その後NOVA・Rを経てブレカナへ続くうちに、PC間で円環を描くようにコネクションを取得するのが主流になっていき、プレイグループでは「パーティ内恋愛」は提案されることがなくなった。
 もし天羅というゲームに出会わなかったら、その後パーティ内恋愛を避けるような空気も生まれなかったかもしれない。毎回思うことだが、つくづく私のプレイスタイルに大きな影響を与えたゲームである。

わざとやってるのかと思った


 ラミィが極悪市長をやってたのはハヤトの野望の人をリスペクトして無茶をしたからだと思ってたんだけど……こよりもあくあもあずきちも似たような展開になってるってことは、そもそも初心者が順調に街作りをするのは難易度が高い感じのゲームなんだろうか……(笑)。

パーティ内恋愛禁止

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 こういう話題が出てくると、どうしてもTRPG的な視点で見てしまうんだけど、まずその前に作品内の視点で見ると、チルチャックの言いたいことはよくわかる。


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 パーティメンバーは「長時間一緒に仕事をする仕事仲間」だから、恋愛関係は禁止しないと無用のトラブルが発生しそうだ。

 で、TRPG的なメタ視点で見ると、前にブログに書いたように、子供の頃は「PC同士で恋愛関係を匂わせるとか大人っぽいロールプレイだな」と思っていたこともあったが、後年自分がセッションをする時は、明文化して禁止こそしなかったけど、忌避していた。
 単純に、PC同士が恋愛関係、あるいはそれに近い関係になると人間関係がそこで閉じてしまうので、GMや他のプレイヤーが話を振りづらくなるのだ。
 後年のFEARのゲームなどが分かりやすいが、PC1枠に対してNPCが恋愛関係か、あるいはそれより手前の庇護関係を築くことでシナリオへの当事者性を増すパターンが多いので、PC同士で恋愛関係になっているとその障壁になる。
 またPC1でなくても、通常PC同士のコネクションは円環を描くように関係を結ぶことで、シーンの参加などを円滑に進められるように作られているが、特定のPC同士だけが双方向にコネクションを築いていると、関係性がそこで止まってしまう(恋人を差し置いて別のPCに助けを求める、というシーンが演出しづらくなる)。よって、GMから見ると話を進めにくい、という話である。

ダブルムーン伝説の話(続き)・「14種の魔法」は少ないか?


 前回のダブルムーン伝説のエントリで「魔術師も司祭も魔法が14しかなく、少ない」と書いた。これについて補足しておきたい。例えばアリアンロッド1stエディションのメイジの魔法は、基本ルールブックでは総数で15。ダブルムーン伝説と1しか違わない。ではアリアンロッドの魔法も少ないか、というと……贔屓目を抜きにしても、それは当たらない。状況が違うからだ。
 ダブルムーン伝説の場合、魔術師系呪文は魔術師、魔法戦士、吟遊詩人、賢者が使用できる。仮にそのうち3クラスがパーティ内にいたとして、それぞれが初期段階で魔法を3つ習得できるため、全員が被らないように魔法を覚えたとすると、初期状態で全ての魔法のうち半分以上をフォローできてしまう。さらにレベルが上がると追加で呪文を覚えるので、レベル3でレパートリーが尽きる。*1経験値テーブルはレベル11まで用意されているのに、だ。
 これに対して、例に挙げたアリアンロッドの場合は、メイジは基本職かつルールブック内で他プレイヤーとの被りを推奨しておらず、さらにマルチクラスが標準なので、他のプレイヤーと被っていない総数30のリストの中から最初2、続けて1ずつ覚えていくことになる。このためレパートリーが尽きるのは相当先の話である。しかも、上級ルールでそれぞれのリストに大量の追加がある。
 つまり「マルチクラスも転職もできない」「基本クラスの中に実質上位互換の職業がある」「サプリメントでも魔法が追加されなかった」というトリプルパンチがキツいのである。
 加えて魔術師魔法、司祭魔法の大半が戦闘用の魔法で、なおかつ他プレイヤーを支援する魔法はほとんどない。アナライズもESPも、ヘイストもフライもないのだ。

 プレイヤーの一人がこう言った。「ダブルムーン伝説は、WARPSファンタジーから尖ったところを全部なくしたようなゲームだ」と。決断力チェックも抑制力チェックもなく、ヒーローポイントもない。その分、普通のゲームに近づいたように見える。
 逆に言えば、WARPSは戦闘以外で行き詰まった時に「実はそこにいた」「実は持っていた」「実は知っていた」で切り抜けることができたから、魔法は戦闘専用でよかった。しかし、ダブルムーン伝説ではそれはできない。と、ここまで来て前回書いた「判定システムが緻密でない」という弱点が繋がってくる。
 「キャラクター作成までしか遊んでいないのに……」と思われるかもしれないが、キャラクター作成まで行ったところで、プレイヤーも乗り気でなく、GMである私もセッションをどう進めていいのかわからなかったのだ。

 一応、添付シナリオでその辺りについて触れられていないかも確認したが、ダンジョンの最初の扉にいきなり鍵がかかっており、開けるには最大難度のD%判定に成功する必要があるのに、失敗した際のフォローは書かれていない。*2さらに、導入が「PCたちの前に別のパーティが事件解決に向かったが、消息を絶ったので調べてほしい」なのに、そのパーティがその後どうなったかどこにも触れられていないという、あの頃割とありがちだった「細かいところはGMが考えて」シナリオだったため、あまり参考にはならなかった記憶がある。

*1:ちなみに魔術師魔法にはレベル1のものと2のものがあるが、レベル2魔法を習得するのに何レベルが必要なのかはルールに記載されていない。Q&Aにも記載はないが、他のルールから類推すると、恐らくレベル3から。

*2:魔術師呪文、司祭呪文に「アンロック」はなく、魔法では開かない。

鬼畜ゲーと呼ばれようとも……


 この動画を見ていて感じたことが一つある。昔から、宝箱の出し方が鬼畜と言われ続けるドルアーガの塔だけど、その鬼畜さゆえにプレイヤーの記憶にはより強く残ったのではないだろうか、と。



 こちらは同じ作者によるドラゴンバスターの動画だ。このゲームも同じナムコによるファンタジーを題材にしたレトロゲームだが、こちらでは、中盤で早々に「同じことの繰り返しで話すネタがない」というセリフが出てくる。
 ドルアーガも敵のバリエーションは無限ではない。サキュバスドルアーガを除けば、顔ぶれ自体は塔の中層で揃ってしまう。しかし、宝箱の出し方は58階までバラバラだ。それゆえに話題に事欠かなかった。これは配信者に限った話ではなく、かつてのゲーマーたちにとっても同じだったのではないだろうか。それゆえか、題材はよく似ているのに、知名度にはかなりの差がある。Google検索が件数を表示してくれなくなったのでPixivで比較すると、ドルアーガは1000を超えるのに対して、ドラゴンバスターは100にも達しない。
 もちろん、続編の有無という違いはある……と言いたいところだが、ドラゴンマスターにも続編はないわけではない。となると、両者の知名度の差を分けたのは、他の要因だったのではないか……という気がしてならないのだ。

この発想が委員長


 動画を見る前は、実在の男性アイドルか何かになるのかとふわっと思ってたけど、よく考えたら人間ですらなくなるのか、納得(笑)。

実はちょっと安心した


 宝の地図の新要素が明らかになってきても、モンスターの心を集める優先度の最上位はあまり変わっていない。正直このことを知って、ちょっとホッとしている自分がいる。
 モンスターの心を集めるコンテンツは現在かなり多岐に渡っていて(イベント強敵、メガモン、ギガモン、ほこら、千里行、14章めったに枠、15章めったに枠、そして宝の地図)、すべてを追うのはかなり大変だ。しかもこれらのコンテンツの中だと、宝の地図のお宝モンスターにはメガモンとは違う意味の集めづらさがある。
 それは、クエストの目標地点から必ず一定距離離れたところにPOPするという点である。一枚のランクSの宝の地図のお宝モンスターをすべて狩るには、現実世界の地形などの運も絡むとはいえ、私の場合1時間歩き続けてもまず終わらない。それも、他のコンテンツと違い、目標地点に向けて一直線に歩くのではなくて、周囲を虱潰しのように歩くことになる。それはつまり、DQWというゲームにおいては「虱潰しのように歩いても問題ない場所まで出向く必要がある」ということを意味するからだ。