3DダンジョンRPGへの憧憬「ウィザードリィ外伝3・闇の聖典」


 このゲームは、FF11を除けば私が一番長い時間プレイしたゲームの一つだ。

 (武器の射程の概念を除けば)あくまでも基本に忠実だった国産ウィザードリィの外伝1、2に対し、シリーズ初といってもいい大きな変更が加えられたのが外伝3だ。
 これには理由がある。本国のウィザードリィシリーズ第6作「ベイン・オブ・コズミックフォージ」において、当時人気だったダンジョンマスターの影響を受けてかシステムの大改変が行われたのだ。これによって第6作目以降のウィザードリィはそれまでのものとはもはや別のゲームといえるほど異なるシステムになった。
 当然、当時日本版を展開していたアスキーには二つの選択肢があったはずだ。本国のシステムに追従してシステムを変えるか、それとも今までの路線を貫くか?

 結論からいえば、彼らはどちらでもない第3の道を選んだ。

 まとめWikiにはこうある。「それまでのウィザードリィ外伝をベースに、BCF以降追加された種族や職業、呪文を取り入れた」と。双方のいいとこ取りをしたシステムだといえる。例えば旧作のシステムにこだわる人であれば、職族と職業について旧作の範囲で縛りをかければ旧来どおりのウィザードリィであり、新しいバリエーションがほしければ追加された種族と職業を混ぜてパーティを編成すればいい。まさに絶妙なバランスだった。
 また、ウィザードリィでは初めて「屋外」を冒険の舞台とし、複数のダンジョンを行き来できるようになった。冒険の範囲は広がり、楽しみ方の範囲も広がることになった。


シナリオ#5以前とは異なる方向へと進化していった本家シリーズとは違い、この作品は本家を含む色々な要素を取り入れながら#5以前のシステムを伝統として残していく、という和製ウィズの方向性を決定付けた。
外伝Iが和製ウィズの先駆者、外伝IIがそれまでの日本におけるウィザードリィの集大成とするならば、外伝IIIは和製ウィズに新たな血を取り入れた作品と言えるのではないだろうか?


 このWikiの総評が的確だと思う。


 私の印象に残っているのはストーリー最後の部分とダイヤモンドキングだ。

 もうプレイ困難だと思うのでネタバレしてしまうと、このゲームのエンディングを見るためにはラスボスの「アガン」を倒すだけでは足りない。これまでのシリーズのようにボスを倒して城に戻ってもその後の展開が「???」なのだ。最初ここで非常に詰まった。今までのウィザードリィではありえない展開だったからだ。
 途方に暮れて、ボスの倒し方が悪かったのかとその場を調べ直してみる(正確にはその場で「仲間を探す」)と、なんと倒したはずのアガンが仲間になる。正解はアガンを仲間にして生き返らせ、城ではないシナリオのキーポイントになるとある場所に行くこと、だったりする(私は知らなかったのだが、この時寺院に行ってアガンを生き返らせようとするとロストしてしまい、バッドエンドになるらしい)。
 私は当時から経験値合わせ縛りをしていたので、この仕様は辛かった。仲間に空きがないとアガンが回収できないからだ。仕方ないのでパーティに空きを作りつつメンバーをとっかえひっかえし、全員の経験値が同じになるまでアガンを倒しまくった。

 そして、このゲーム最強最悪と名高いダイヤモンドキング。名前からわかるとおりウィザードリィ「ダイヤモンドの騎士」のコッズシリーズを髣髴とさせる敵だ。ACが低すぎてほとんど攻撃が当たらない(レベル100でもまともに当たらない)ため、無効化されるのは覚悟の上でMPが尽きるまで攻撃魔法を連発して倒した(全員全ての魔法を習得しているにも関わらずティルトウェイトでは倒しきれず、マバリコやラダルトまで駆使した)記憶がある。

 外伝シリーズはこの後携帯機ではなくなってしまうので、私はずっと3をプレイし続けた。皮肉なことに、出来がいいと言われた作品もこの3が最後となり、和製ウィザードリィは長らく低迷の時代を迎えることになるのだが……。