世界の半分を怒らせるとか言いながら、第2回にして既にオンライン嫌いの人におもねる記事を書いてるようにしか見えないんだが。
私はそれほどドラクエに詳しくないので、自分はドラクエについて語る資格があると断言する押井氏(その根拠は最後まで読んでもよくわからなかったが)のドラクエ観についてあれこれ言うつもりはない。
が、この文章にはとんでもない事実誤認が含まれている。押井氏の言うことだからとこれを信じる人が出てこられると非常に困る。前に北久保さんだったかが言っていたように、人の言葉を借りてこそいないけれど、この人は盛大な勘違いをする悪質な癖がある。真実を知ってて言ってるのか本当に知らなくて言ってるのかわからないが、
省略して文句を言われるのも嫌なので、原文の該当部分を全て抜粋する。
RPGの本質は「殺戮と略奪」につきます。これは誰が何と言おうとそうなのであって、オレは違うぞと思っている方は己の暗い欲望に向き合うことを恐れて、自己欺瞞に陥っているだけです。いいぢゃありませんか、ゲームなんだから。高額な装備が欲しくて弱っちいモンスターを殺しまくり、他人の家に勝手に上がり込んでタンスの引き出しを開けたりしてるじゃないですか。仲間が瀕死の状態でも、宝箱だけは必ず開けずにいられない。そこの貴方、あなたのことですよ。身に覚えがあるでしょ。「友情」だの「使命」だのは、その暗い愉悦を覆い隠し、糊塗するための方便に過ぎません。まあ、その辺の事情を隠さず、あからさまに描いたゲームもりましたけど。『M&M』とか。その反対に、徹底して偽善の道を貫いたゲームもありました。『ウルティマⅣ』のことですけど。なんせ聖者・アバターですから。ゲームクリアのためとはいえ、献血したり施したり。いやあ、恥ずかしかったなあ。
「殺戮と略奪」のどこが悪い。現実にそれをやったとしたら人外魔境・地底獣国ですが。なにしろゲームですから。そしてゲームだからこそ、独り隠れて非道を貫くことで、快感はいや増すのです。当たり前じゃん。何が悲しくて、そんな姿をパブリックに晒さねばならないのか。匿名だからいいじゃん、という話ではない。「オシイマ」だろうが「イヌマル」だろうが、「押井守」だろうが同じことです。誰かがそれを見ている、知っているからでなく、己れが見ている、知っているからイヤなのです。
プログラムされたキャラではない、背後に現実の人間がいるからこそ、意外性と偶然が期待できるのだ、という反論もあるでしょうが。そんなものはゲーセンの『バーチャファイター』で経験済みです。中学生にタコ殴りにされて不愉快だっただけです。ゲームに他人を意識したいなら、血生臭い麻雀でじゅうぶんです。いやというほど「他人」を意識できるし、なんなら「関係の絶対性」に思いを致すことだってできるし、高邁な真実に触れることだって可能です。現金収入という副産物もあるし。負けてハダカに剥かれることもありますが。こうして書いてみると、判りきったことばかりです。そんな判りきった理屈を、よりにもよって本家本元の「ドラクエ」がなぜ――という思いが全てであり、「今回はパス」を決めた理由の全てです。
RPGの本質は殺戮と略奪──これは百歩譲って認めなくもない。私は共感できないが、そもそも元祖RPGであるD&Dが殺戮と略奪のゲームだからだ。問題はその後である。
「ゲームだからこそ、独り隠れて非道を貫くことで快感はいや増すのです。当たり前じゃん」
──当たり前じゃねーよ。何言ってんだ。
そもそもRPGというのはその発祥から「1人で遊ぶゲームではない」。上に挙げた通り、RPGの元祖はTRPGであるD&Dだ。RPGは1人でやるのが当たり前だなんて言ったら、ゲイリー・ガイギャックスも怒るだろう。この発言は、半分どころか全てのTRPGゲーマーに喧嘩を売っているに等しい。
もちろん、押井氏自身は絶対にTRPGには向かない性格だろう。同じ卓を囲むチャンスがあると言われても謹んで御免蒙る。どう考えても一緒に遊んで面白いとは思えない。
ただ、それはあくまでも「押井氏個人」の問題であって、そもそもRPGは1人でやるもんだとかそんなのは全部お門違いな話である。彼が格闘ゲームで負けたのが悔しくて、麻雀が好きで、TRPGやオンラインゲームに向いてないというだけの話に過ぎない。
正直、1人非道を貫く姿をパブリックに晒すのがそれほど嫌なのなら、士郎さんの作品を勝手な独自解釈で改悪しまくる姿も同様にパブリックに晒さないでいて欲しかった。押井氏がドラクエ10でどんな略奪をしようが殺戮をしようが、パブリックな雑誌紙面上でかつての仕事仲間である出渕さんに悪口雑言を浴びせる行為ほどは恥ずかしくないはずだ。
私は、MMORPGは一種の「先祖返り」だと思っている。かつて沢山の人間と卓を囲み、一緒にわいわいやって遊ぶゲームだったRPGが、コンピュータを介して遊ぶ1人向けのゲームに変化し、そしてまた通信技術の発達とともに沢山の人間と一緒に遊ぶゲームに戻ったのだ。
その本質が殺戮であろうと略奪であろうと、RPGというのは1人で遊ぶゲームとは限らない。いやむしろ、その起源を考えれば複数の人間で遊ぶ形こそが本来の形なのだと、私は思う(もちろん、MMORPGの方が優れているだとか、RPGを1人で遊ぶのは間違っているなどと言いたいわけではないので念のため)。
余談
ちなみに、押井氏の今回のコラムを読んで──私は「注文の多い傭兵たち」も読んだはずなのだが(ドラクエっていうよりウィザードリィの本だった記憶しかない)──正直、彼のコラムがこんなにつまらないとは思わなかった。これも主観なので私の好みの問題といえばそれまでだが、この記事に有料配信記事として金を払う価値があるかと言われれば首を捻らざるを得ない。
私が彼のコラムをあれこれ言うのには理由がある。今回のコラムのTRPGに対するスルーっぷりを見る限り、きっと彼自身ももう覚えていないだろうと思うが、押井氏は以前、今はなきRPGマガジンの姉妹誌であったコミックマスターという雑誌に、インタビューを掲載したことがあるのだ。
その雑誌の該当号はもう手元にないのだが、そのインタビュー記事で彼はこのような主旨の発言をしていた。「アニメだとかゲームだとかそういった業界は、間もなく全部消えてなくなる」と。インタビュアーがフォローのつもりか「それは、消えてなくならないように努力していかなければならないという意味ですよね?」というと、きっぱりと否定し「いや、そういう意味ではない。努力しようが何をしようが必ず消えてなくなる。これはもう絶対に避けられない」とはっきり断言していたのだ。
当時、今よりもいくらか純真で、押井信者でもあった私は心からその言葉を信じ「ああ、私の好きなものはもうすぐみんな消えていってしまうんだな、なんて残念なんだ。業界に詳しい押井さんの言うことなんだから間違いなんてあるわけがない」と嘆き悲しんだのを、今も鮮明に覚えている。
それから、もう20年以上経つ。ゲーム業界とアニメ業界がその後どうなったかは、皆さんご存知のとおりである。