ファイヤーボール、ファイヤーボールはどこじゃったかな……

www.4gamer.net




 なるほど、こういう動画を使った派手な広告なんかは、販売元がウィザーズ・オブ・コースト社に変更されたからこその動きと言えるかもしれない。
 しかし、ドラゴンランスか……TRPGショップの店頭で「フィズバンと竜の宝物庫」というサプリメントの名前を見た時から、もしかしてドラゴンランスもサポートしていくつもりなのかなとは思ってたんだけど……。一応説明すると、ウィザーズ・オブ・コースト社になってから発売されたサプリメントのうち「ザナサーの百科全書」と「フィズバンと竜の宝物庫」は、それぞれ別の背景世界であるフォーゴットン・レルム、ドラゴンランスの超有名NPCの名前がついたサプリメントなのだ。


 



 とはいえ、3rdエディションからの流れを見る限り、私が知っている背景世界の中では、ドラゴンランスが一番「今のダンジョンズアンドドラゴンズ」に縁が薄い背景世界だと思っていたので、そういう意味では意外だった。正直、今回全くサポートされていないグレイホークの方が、古いプレイヤーには縁が深いんじゃないだろうか。
 というのは、ドラゴンランスは2ndエディションの時にはかなり力を入れて展開していた背景世界だったものの、途中でダンジョンズアンドドラゴンズを離れ、独立したTRPGが出ていたからだ。それもカードを使うTRPGで、手札がヒットポイント代わりになるなど、当時かなり先進的なシステムだった記憶がある。


https://www.rpg.net/reviews/archive/classic/rev_1911.phtml(日本語版未発売)


 個人的な印象としては、ドラゴンランスと他の背景世界の大きな違いの一つとして、フォーゴットンレルムエベロンの場合、背景世界で大きな事件が起き、歴史が進むタイミングというのは、ダンジョンズ&ドラゴンズの版数が進むタイミングだった。だからある意味で「ダンジョンズアンドドラゴンズ4版のエベロン」といえば、ある程度固定された世界設定で遊ぶことができた。FEARのゲームだと、ブレイドオブアルカナやトーキョーN◎VAアルシャードダブルクロスも同じような展開の仕方をしている。
 これに対してドラゴンランスは、小説が出版されてどんどん設定が変わっていく世界だ。例えば、このシナリオは竜槍戦争に関わるものだというが、この戦争の結末がどうなるかは、小説の世界で決定している。
 そして、私が個人的に、このドラゴンランスという世界に思い入れがないのは、次のような理由からだ。

 D&Dにはいろいろな背景世界があり、「ドラゴンランス」もその一つです。そしてこのドラゴンランス世界は、主要な小説が全部翻訳されている、日本で一番知られているダンジョンズ&ドラゴンズの背景世界なのです。


 柳田氏は記事の中でこう述べている。私は翻訳者としての柳田氏の実績には敬意を払うし、偉大な人物だと思っているが、この部分については異議を唱えざるを得ない。日本で一番有名なダンジョンズ&ドラゴンズの背景世界は、ここで公開された劇場版の舞台となるフォーゴトンレルムだろうし、その次に知名度が高いのはアーケードゲームとして好評を博したシャドー・オーバー・ミスタラの舞台であるミスタラだろう。
 確かに柳田氏がいうように、小説としてのドラゴンランスは何巻も発刊されて、シリーズも何冊にも及んでいる。しかし少なくとも日本語環境においては、そのドラゴンランスの世界を舞台にTRPGで遊ぶことは一切できなかった。小説を除くジャンルで作品展開されたのはTRPGサプリメントはおろか、ファミコンゲームとカードゲームしかないのだ。



 もちろんこれは柳田氏が責めを負うべきことではない。当時小説版を翻訳・出版していた人たちの問題だ。つまり過去のエントリで書いたこれと同じだ。当時どのような事情があったか知り得ないが、ユーザにしてみれば、TRPGの背景世界としてサプリメントを翻訳発売できる見込みも予定も全くないにも関わらず、あたかもTRPG関連商品であるかのように、小説だけを翻訳し販売してきたようにしか見えなかった。
 私が途中でドラゴンランスを追うのをやめたのは、これが理由だ。TRPGゲーマーとしては、当初はTRPGの関連書籍だと思っていたからこそこのシリーズを読んでいたが、結局TRPGとして遊べる日は来ないのではないかと悟ったのだ。TRPG関連書籍ではなくファンタジー小説として評価した時にどうかというと、私にとって一番面白かったのは2巻の「城砦の赤竜」で、それ以降は好みからどんどん離れていった。
 結局のところ、日本語環境でアンサロン大陸(ドラゴンランスの舞台)で遊べるようになるまで、あれから35年かかったことになる。この本は35年前にあるべきだった本なのだ。

わかるわ

――ゲームの翻訳ならではの難しさとはどういうところですか?

 ルールを運用する、つまり遊ぶ時に誤解が生じないように訳し、なおかつ極力原文に忠実に訳すところですね。わかりやすいようにと翻訳者の方で運用を判断し、そのように訳すと良くないことがあります。例えば、あるルールに後から修正が入ったときに、我々の判断した運用と違った場合、翻訳にかなり手を入れなくてはいけなくなる。技術書を訳すときと同じような厳密さが必要になるところがあります。


 このインタビュー記事を読んでいて、一番高く評価したいのはこの部分。昔は翻訳に手厳しい人が結構多かったことを考えると、ここの言葉は非常に重く感じる。