ミステリは鬼門

小太刀右京さんによる突発的TRPGガイド ミステリー編


 前にも書いたけど鬼面都市バドッカで酷い目にあってから「プレイヤーに推理させる」というのは絶対にやらないようにしている。GMとプレイヤーには知識格差がありすぎ、まともな推理が成り立たなくて事故る可能性がどうしても否定できないからだ。
 私が使うことが多い手法は、小太刀さんがいうところの「B」に相当する。つまり普通の情報収集と同じプロセスで真相まで行きつくという方法だ。小太刀さんはこの手法について詳しく触れていないが、私が一番大きなメリットとして実感するのは「トリックが見当違いだったり、穴があったりしてもセッションが停滞しない」という点だ。そもそも推理をしないので、推理が合っているか/間違っているか、という点にプレイヤーがこだわることがない。
 先日やったセッションでも(システムはNOVA)「容疑者には殺害時刻にアリバイがある → 実は《転移》で現場まで移動していた」という真相を用意したが、これをプレイヤーに一から推理させたらきっと怒られるだろう(はっきり言って反則だからだ)。もちろん小太刀さんのいうように、この手法だと推理自体が気分にしかならないのだけれど、小太刀さんのようなプロの作家ではない人間にとっては、推理は気分くらいでちょうどいいと私は思っている。


 ところで、このガイドの後半に犯人を追いつめたら「改心する」「戦闘」「自殺を試みる」で2番目と3番目がお勧めとあるのだが……正直、3番目の手法は取ったことがない。というか、TRPGのクライマックスシーンはほぼ戦闘ではないかと思うので、必然2番目を選ぶことが多いのではないだろうか。そして、ここが実は私が推理物をやらないもう一つの大きな理由だったりする。


 言うまでもなく、シャーロック・ホームズエルキュール・ポアロは推理で突き止めた犯人を射殺したりはしない(ポアロのアレは例外として)。
 小太刀さんも記事の前半で「暴力的手段での自白を求めず」「社会的特権での捜査で事件を解決できず」というのが推理物を成り立たせる条件だ、と書いているが、実はクライマックスシーンでも似たようなジレンマを抱える羽目になる。つまり「クライマックスシーンにおいて真犯人とPCたちの戦闘を予定し、そしてそれにPCたちが勝った/犯人を殺害した場合、それは真犯人が被害者に対してやったことと何が違うのか?」という話になるのだ。犯人Aが被害者Bを殺害し、PCたちが真相を突き止め、襲い掛かってきた犯人Aを返り討ちにして倒す。この構図が成り立つためには「犯人Aが被害者Bを殺害するのは犯罪か、あるいはそれに順ずる世界設定上責めを追うべき行為であるが、PCたちが犯人Aを殺害するのは犯罪や責めを負うべき行為に該当せず、何らかの理由で免責されている」必要がある。でないと、PCたちが犯人Aを殺すのも犯罪行為になるか、あるいは逆に犯人Aが被害者Bを殺害したのがそもそも犯罪ではなかった、という話になってしまうからだ。
 一番簡単なのは「PCたちに何らかの権力や司法組織の後ろ盾がある」というケースだ(ただしこれを「社会的特権での捜査で事件を解決できない」という前提条件と両立させなければならない)。ファンタジーでやるとしたら、少なくとも犯人よりは高位の存在(貴族であっても宗教組織であっても)であるか、あるいは高位の存在である犯人を訴追できる制度が存在している必要がある。例を挙げると分かりやすいだろうか。例えば旧版のソードワールドRPGで、駆け出しの冒険者が「リジャール王が法を犯して人を殺めた」シーンを目撃したとしよう。これを犯罪として弾劾するのがいかにナンセンスかは一目瞭然だ。例え法を破っていたとしても、倫理に反する行為であったとしても、相手が最高権力者では訴える先がない。これが「リジャール王に命じられて事件を捜査したら犯人は大臣だった」なら、大手を振って相手を責められるし、もし国王の許可があるならば、殺害しても咎められないだろう。
 舞台が現代や未来だと、権力者であっても法から逃れられないという面がある一方、解決手段として戦闘を選んだら法的責任を問われるという危険はむしろ増す。ダブルクロスで敵がジャームでなく、PCにUGNというバックがない時を想像すれば、現代が舞台のゲームで「相手を殺す」という解決策を選ぶのが困難であることは分かると思う(PCが犯罪に問われないという保証がない)。


 というわけで、セッティングを二重三重に工夫しないと、単純な推理物を成り立たせるのはなかなか難しい、というのが私の個人的な意見である。