前提変換の話

Role&Roll Vol.154

Role&Roll Vol.154


 3ヶ月前の「前提変換」の話の続きである。で、記事を読んだ結果としては、3ヶ月前の私の意見に変更はない。というか、考えてみれば当たり前の話を意地悪く書いてしまったが、この問題に「たった一つの冴えた回答」が用意できるなら、口プロレス問題はとっくの昔に死滅しているはずなのだ。*1


 この記事では口プロレスをとんちを使うものと、問答を中心とするものの二種類に分け、それぞれの対処法を書いている。後者については、恐らくプレイヤー自身は否定するだろうが、GM視点で見ると完全に悪意があるとしか言えない。
 例示されているのは「部屋には何もありません」「何もないなら空気もないから敵は窒息するよね?」というやり取りであり、普通は揚げ足取りと呼ぶべきものだ。小太刀氏の対処法は一言で言えば「相手すんな」であり、これには同意する。どちらかといえばプレイングテクニックというより人間性の問題であり、あまりにも酷ければ、究極的には卓からオミットする以外に対応しようがない。──が、割と有名なリプレイでも、この手の揚げ足取りが出てくることはある。スケープドール云々とか。


 問題は前者のとんち型口プロレス。これをセッション中で肯定的に活用するには卓全体のコンセンサスが必要だというのが前提で、問題点が二つ。一つがGMの裁定に従わない場合で、もう一つが「次以降同じ裁定をしなければならなくなること」だというのが主旨だ。
 二つ目の問題については、前に「粉塵爆発」を取り上げた時に書いたことがある。一度粉塵爆発を認めると、次以降も認めなければならなくなる、というものだ。一つ目のGMの裁定に従わないなんてのは論外である。というか、小太刀右京氏が今回の記事で指摘した内容こそ、私が「前提変換」を認めない理由そのものだといってもいい。
 実は、その前の「卓内のコンセンサス」についても問題がある。得られていると思っているのがGMと本人だけだったりするのだ。往々にしてこの手の「言った者勝ち」プレイは、ほぼ同じプレイヤーで占められる(スイフリーとか)。発言力が強いプレイヤーがこれをすると、他のプレイヤーが異を唱えられなくなる。結果として「コンセンサスが得られているように見えるだけ」となるが、これをGMの視点でセッション中に区別するのは非常に難しい。まさかセッションを中断して匿名でアンケートを取るわけにもいかない。


 繰り返しになるが、例えばジャングルで川を渡ろうとする場面があって、あるPCは泳いで渡ろうとし、別のPCは近くの植物のつるを集めてロープを作ってそれを伝って渡ろうとしたとして、どちらが適切か、どちらが成功率が高いのか、ファンタジー世界に生きていない現代地球に暮らす私たちには判断しようがない。本当のジャングルでサバイバル体験があるかどうか、はこの場合関係ない。どれだけ博識であろうと、経験豊富であろうと、事情は同じである。ランタンを地面に落として火が消えないかどうか、実際にやってみろなんて質疑応答は論外だ。そもそも、ファンタジー世界と現代地球の物理法則が同じだと誰が担保してくれるのか。なろう小説よろしく、ルールを無視した現代地球の雑学を実際のセッションで使うなんてのは最悪のマナー違反の一つである。


 そして、私がそもそもこの問題に疑問を感じる理由が二つある。


 一つは「前提変換が必要とされるシチュエーションの大多数は、実際のセッションでは大したシーンではない」ことだ。私が例示したジャングルの川渡りにしろ、小太刀氏がいう「崖を上るシーン」にしろ、セッションにおいては重要なシーンではない。魂を削りあうようなNPCとの丁々発止のやり取りや、PCにとってこれからの生き方に関わる重要な決断を迫られるシーンであれば、前提変換は持ち込みようがない。GMの立場から口さがないことを言ってしまえば「そんなものにリソースを割かれたくない」のだ。


 もう一つは、前にも書いた「ゴブリンのジレンマ」に通じるものがある。つまり、そのシーンにおける「正解」とは、果たして成功率が高い行動が「正解」なのか? ということだ。ジャングルの川渡りでロープを使わないのは、直情的なPCのロールプレイの一環なのではないか。ロープを作ろうとするのはPCの手先が器用だというロールプレイなのではないか。崖を登るのに巨人族の背中に乗ろうとするのは、過去巨人族と縁のあるシーンがあったからではないのか。
 そう、行動とはPCのロールプレイの一環だ。成功率の高い行動が必ずしもセッションにおける正解ではないというのが私の考えだ。

 そして、このコラムは「カオスフレア」のコラムである!

 ならば、とんちの利いた素晴らしいアイデアには、難易度を高低するのではなく、ロールプレイを評価し、フレアを投げればいい。カオスフレアなら、それができるのだから。投げられたフレアを行動にボーナスとして使えば、ルールの範疇を一切越えることなく、アイデアも無碍にすることなく評価ができる。しかも、GMがそのロールプレイを評価すればいいだけだから、卓内のコンセンサスすら取る必要もなく(あくまでもフレアを投げることに対してだけだが)、その行動が正解かどうかを判断する知識も必要ない。
 あるかどうかもわからない正解を探すのではなく、他者に共感してもらえるロールプレイをこそ重視していく姿勢をGMがアピールしていけば、セッションはきっと成功する。

 だからカオスフレアは素晴らしいゲームなんだ! と、私は声を大にして主張したいというのが、記事を読んだ私の感想である。


*1:小太刀右京氏は「Aの魔方陣」の制作陣の一員でもあり、同ゲームの根幹である前提変換について肯定的立場なのは当然かも知れない。このゲームそのものについての評価は本題ではないのでここでは避ける。