「領主」で遊ぶTRPG・D&D編

ダンジョンズ&ドラゴンズ第4版スターター・セット

ダンジョンズ&ドラゴンズ第4版スターター・セット


 先日、実家に帰って用事を済ませた後、空いた時間で、かねてから気になっていたことの一つを確認した。
 それはクラシックダンジョンズアンドドラゴンズ(以下CD&D)のコンパニオンルールセット、通称「緑箱」のことである。

 前のエントリで「なろう系小説には領主になる物語が多い」と書いた。「昔のソードワールドなどでは『永遠に平凡な冒険者でドタバタをやりたい』というリプレイが多くて辟易した」とも書いた。
 その時、ふと思ったのだ。「領主を演じるTRPG」はどれだけあっただろうかと。ゲーム全般まで範囲を広げてしまうと、シミュレーションゲーム系がほとんど入ってしまうので断念した(といっても、ロマサガ3は後で出てくる)。

縦に積んでいくことと、横に広げていくこと

 ゲーム系では数えるのを諦めるほど沢山ある「領主のゲーム」。しかしTRPGでは領主を遊べるゲームはそれほど多くない。その最初にして代表的な一つが、冒頭に挙げたCD&Dのコンパニオンルールセットである。倉庫から引っ張り出して久しぶりに読んでみたが、当時の自分が断念した理由がよくわかった。

 まず、緑箱に至る経緯について。
 何度か書いているが、初期のダンジョンズアンドドラゴンズは、CD&Dとアドバンスド・ダンジョンズアンドドラゴンズ(AD&D)という二つのタイトルに分かれていた。二つのゲームの最大の相違点は、ルール構造を縦に割っているか、横に割っているか、だった。
 AD&Dは基本的なルールを集めた、いわばコアルールに対して、職業やシチュエーションごとのオプションルールを付加していく形をとっていた。種族と職業を別扱いにしていたり、サプリメントごとに追加クラスが増えていったのが、それを端的に表している。後に日本でリバイバルしてヒットしたD&D3rdは、アドバンスドの記載こそないが、明らかにこの系譜だ。
 それに対して、CD&Dはルールを「レベルごとに区切っていく」形をとった。レベル1から3までがダンジョン、4から14までがワイルダネス、と。これはこれで導入には有効だったし、CD&Dを初心者向けと謳っていた理由もよくわかる。
 しかし、その導入のわかりやすさは、レベル15〜25を対象とする緑箱でいったん足踏みする。理由は簡単で「舞台を広げられなくなった」からだ。

緑箱の憂鬱

 最初でダンジョン、次に屋外をやってしまい、その次の舞台がない。今なら分類上は都市を舞台にした「シティアドベンチャー」も存在するが、当時は主流ではなかったし、仮にあったとしてもレベルが上がると開放されるというイメージとは違う。屋外戦闘より高レベルが町の中というのも変だ。
 そこでCD&Dはどうしたか。まず、PCに二つの道を用意した。今までどおり冒険者を続ける放浪の道と、領主への道である。そして、後者には領地経営ゲームという、新しい舞台を用意した。──ここまでは覚えていたが、読み返したかったのはこの次の部分。放浪の道を選んだ冒険者の新たな冒険の舞台はなんだったか。……それは異次元だった。
 当時は「なんでいきなり異次元のモンスター一覧が載ってるんだろう」という印象だったが、今読み返すと、明らかに「次の行き先は異次元だ」と誘導している。
 だが、子供の時分にはそれを読み取れなかった。理由は簡単。異次元に関する設定や描写が少なすぎて、シナリオなどとても作れるレベルではなかったからである。

 PCたちが存在するプライムマテリアルプレーン(主物質界)のすぐ隣、イサーマテリアルプレーンですら、わずかに説明があるだけ。モンスター一覧に住人は載っているが、果たしてどのような「世界」なのか。「普通の住人」がいて、町があって……というイメージでいいのか。それとも全く構造の違う何かなのか。しかも、異次元にはその先やさらにその先が存在するが、それらは輪を掛けて謎の世界だった。
 人間は「自分の脳内に持っているもの」しかイメージすることができない。CD&Dの異次元の設定は、明らかにそれを超えていた。公式には(原則として)地図も用意しない、というCD&Dの姿勢がそれに拍車を掛けた。DMにさえ何がなんだかわからない世界を、説明されたプレイヤーが理解できるはずがない。

道は二つある(選べるとは言っていない)

 というわけで、普通に考えると、ほぼ領主の道を選ぶことになる。詳しくは次回以降のエントリに譲るが、領主をプレイするTRPGといっても「大規模戦闘のルールがある」か「領地経営のルールがある」か、それともその両方かによって、雰囲気は大きく異なる。
 CD&Dの場合、ルールは上記の両方を持つ。租税額が経験値になるシステムまで搭載しているから、明らかに領地経営そのものがゲームの主題だ。参考文献も何もない異次元での冒険よりは、まだイメージしやすい。
 ところが、領地経営のルールはDMとプレイヤーの1対1になる要素が大きく、他のプレイヤーが介在しづらい。数値的な設定はコンパニオンルール内に多数あるが、これをセッション中に細かく取り扱うと、それはTRPGというよりシミュレーションゲームになってしまい、ロールプレイの余地がない。かといって、領主である以上領地を経営するのは主題にせざるを得ず──という、ジレンマに陥る。
 恐らく、デザイナー側もこの問題点は承知していたと思われる。というのも、その後に出た26-36レベル用ルール、黒箱ことマスタールールセットでは、冒険の舞台を広げるというより、既存の舞台での冒険の幅を広げるようなルールが追加されたからだ(これが緑箱の時に出ていれば、とつくづく思ったものだ)。
 ちなみに、この「領主経営しながら冒険する」というジレンマの解決策を示してくれたのが、ロマサガ3のレオンハルトだった。「経営は部下に任せて自分は冒険に出ちゃっていいんだ」というのは、目から鱗の発想だった(笑)。

ロマンシング サ・ガ3

ロマンシング サ・ガ3

余談

 なお、領主ではないほうの道、つまり異次元の冒険については、まともなリプレイどころかセッション場面すらお目にかかったことがなかったが、ずっと後になって黒野さんのところの「ゆるゆるD&D」のクライマックス(クバルカンとの対決の舞台)で使われているのを見て「さすが、アリアンロッドで超々高レベルセッションをこなしたプレイグループは一味違う」と唸った記憶がある。