誰だこの子……


 今度新作も出るらしいけど、誰だこの子……。

 それはさておき、前にどこかの記事でも読んだけど、素麵を出すお蕎麦屋って少ないよね。

尾羽じゃなかったのか

togetter.com


 足!? だったらなんで二本にしなかったんだ……。1本しかないから尾羽だとばかり思っていた。

パーティには何人必要なのか?(2)

F.E.A.R. ゲーマーズ・フィールド25th Season Vol.3

F.E.A.R. ゲーマーズ・フィールド25th Season Vol.3

  • 発売日: 2021/02/28
  • メディア: 単行本


 昨日のエントリ、クラシックダンジョンズアンドドラゴンズの話の続きである。
 さて、では「妥協する」とした場合、各クラスの優先度はどのようになるのか。私はこう考えている。

 僧侶>盗賊>魔法使い>戦士

 下位から見ていこう。

 まず、CD&Dの戦士は代替不可能な能力を持っていない。特徴といえばHPが高くて頑丈なくらいだ。ネームレベル(レベル9)を超えて攻撃オプションを選べるようになるまでは、片手武器の範囲では攻撃力は盗賊と同等であり、マスタールールセットのスーツアーマーを導入しない限り、防御力も僧侶と同等である。また、パーティの人数が少なくなるほど、戦士が「壁」となるのが難しくなる(敵が脇をすり抜ける)。
 能力が少ないのは初心者向けでシンプルという面では意味があるが、ことパーティ人数を何人まで減らせるかという観点では不利である。

 次に魔法使い。戦士の項で述べたように、ここまで人数が少ないと、前衛が壁にならない。そうなると、脆弱な魔法使いは活躍が難しい。魔法使いの多彩な呪文の活躍は、前衛になってくれるパーティメンバーの存在があればこそなのだ。
 また、その多彩な呪文にも罠が隠されている。前にも書いたことがあるが、CD&Dの呪文は魔法使いと僧侶では取り扱いが異なっている。魔法使い用呪文はレベルアップや使用回数の増加と同時に呪文の書に記す呪文を選び、習得する形をとる。この時習得しなかった呪文は、何らかの形でゲーム中に入手するなどしない限り、習得できない(金銭で購入する手段は提示されていない)。つまりDMから見ると「魔法使いが特定の呪文を覚えていないと詰む」シナリオは作り辛いということになるのだ。
 ウィザードロックの呪文がないと開かない魔法の扉で施錠されたダンジョン、ベントリロキズム(腹話術)の呪文がないと進まないイベント、フライ(飛行)の呪文がないと辿りつけない場所……これらはすべて、魔法使いが当該呪文を覚えていなければ進行不可能になる。
 これらをメタな視点で言い換えると「魔法使い呪文が必須なシナリオは、DMが作り辛い→魔法使いを無理に入れる必要性は低いのでは」という話になる。

 その次が盗賊だ。盗賊が魔法使いより有用と聞くと驚く人もいるかもしれない。しかし、CD&Dは盗賊でなければ忍び足(ムーブサイレントリー)も聞き耳(ヒアノイズ)もできないゲームである。さらに盗賊が優秀なのは、その能力の使用回数に制限がないということだ。スリープを一回使ったらアクト中にやることがなくなる魔法使いとは異なる。これが、インビジビリティの呪文が盗賊の代わりにならない理由である。
 先程の逆の言い方をするなら、DMとしては魔法使いの特定の呪文が必須となるシナリオは作り辛いが、盗賊の能力が一つも必要とされないシナリオも、また作り辛いはずだ。聞き耳、壁上り、鍵開け、忍び足……。どれも冒険者には必須の能力と言ってよい。

 そして、最も優先度が高いと思われるのが、僧侶である。戦士並みに高い防御力、そして便利な僧侶呪文。どれを取っても不要な要素がない。
 僧侶呪文は魔法使い呪文と異なり、朝が来るたびに習得可能なレベルまでのすべての呪文リストから好きな呪文を選んで覚え直しができる。つまり、DMにとっては、僧侶が特定の呪文を覚えていないと進まないシナリオを組むのは全然アリなのだ。仮に僧侶がたまたまその呪文を覚えてなかったとしても、一日待てば好きな呪文を覚え直せるのだから。例えば、シナリオの進行に必要な証言をするNPCが敵にやられて麻痺した状態で登場する……なんていう状況も、レベルさえ足りていれば、一日待てばキュアパラリシスの呪文が使えるようになるのだから、十分選択肢に入る。
 ということは、僧侶呪文は魔法使い呪文よりもシナリオ中で必須とされる可能性が高いということであり、引いては僧侶の必要性が高い、ということになる。
 

 CD&Dで盗賊と僧侶の二人旅。なんだかちぐはぐな二人だが、こと能力面のみから見るならば、割と有効な組み合わせだと私は思っている。

 次はD&D以外の、あのゲームの話をするつもりだ。……なお、T&Tのことではない。T&Tは「盗賊または魔法戦士の一人旅。はい、終了」で話が終わってしまい、考察し甲斐がないことこの上ないからだ。