控え目に言って最高


 スパイダーマン・ノーウェイホームを観てきた。控え目に言って最高だった。私が好きな「X-MEN:フューチャー&パスト」を超えるとまでは言わないが、それに匹敵すると思う。
 ただ本作は、重大なネタバレなしには評価ができない。なので、以下の記述はすべて重大なネタバレを伴うのでご注意を。












(以下、スパイダーマン:ノーウェイホームの重大なネタバレがあります)










・ネタバレ注意と言っておいてなんだが、当初本作を見る予定がなかった私が本作を観に行ったきっかけは、一本のネタバレ動画だった。



 この動画の「この映画はマーベル版スパイダーマンの3作目というより、サムライミ版スパイダーマンアメイジングスパイダーマンの完結編」という一言に惹かれ、前シリーズを観ていた人間として、本作を観に行ったのだ(あと時節柄今見逃すともうチャンスがなさそうで……)。まさにその通りの作品だった。
 冒頭でフューチャー&パストの名前を挙げたが、個人的な印象ではノーウェイホームはフューチャー&パストに非常に似ている部分があると思う。中途半端に終わってしまった前のシリーズの後始末を、評判のいいリブート作品が片付けるという意味において、特に。


・本作の脚本で巧みだな、と思ったのは、観客にカタルシスを与えるための「溜め」の部分、例えば序盤でスパイダーマンが正体をバラされて批判派と肯定派から追われるシーンなどが、観客がだれるほど長くなく、しかしカタルシスが薄まるほど短くない、絶妙な長さになっていたことだ。


・また、本作の素晴らしいところは、前2シリーズの続きという面も持ちながら、ちゃんとマーベル版ピーター・パーカーの成長物語としてキチっと完結しているところ。本作で「収まるべきところに収まった」感が凄く強い。
 マーベル版ピーターは全2シリーズのピーターと違い、協力してくれる仲間がいて、スーツもスタークインダストリーが作ってくれた。作中時間ではベンおじさん(本編開始前にすでに故人のため)もメイおばさんも命を落とすこともない。非常に「恵まれた周囲」だった。
 それが、本作で「大いなる力には、大いなる責任が伴う」の有名な一言が登場したシーンで、思わず唸った。なるほどそう来たか、と。
 本作のラストで、ピーターは協力者を失い、MJを失い、スーツも自作に戻る。図らずも共闘した二人の先達と同じ、孤独な「親愛なる隣人」だ。だから、本来ハッピーエンディングではないにも関わらず、本作のラストは非常に「希望のある」エンディングに見える。何故ならそれは「先達のスタート地点」だからだ。あたかも、本当のマーベル版スパイダーマンの物語はここから始まるのだ、とでもいうような。


・それと同時に、本作は「打ち切り」で終わってしまった前2シリーズにキッチリ片を付けた作品でもある。まさかトビー・マグワイアアンドリュー・ガーフィールドがまたスパイダースーツを身に着けている姿を目にすることができるとは、夢にも思わなかった。
 打ち切りの無念もこの時のためにあったとまで言ったら言い過ぎか。「まさかスパイダーマンの映画で泣かんやろ」と思っていたのに、クライマックス前、3人のスパイダーマンが全く同じポーズで揃って着地する「あのシーン」を見た時、不覚にも涙が出てしまった。これを待ってたんだよ!!! これを!!!


・本作の脚本を書いた人は、本当に前2シリーズが大好きな人だったんだろうな、と思う。最後に立ちはだかるのが、サムライミ版で最初に立ちはだかったグリーンゴブリンなのも、エレクトロがグリーンゴブリンと手を組むのも、正気を取り戻したオクトパスがピーターを助けるのも、全部納得が過ぎる。
 本作で初めて「喪失」を味わい消沈するマーベル版ピーターに、先輩として声を掛けるサムライミ版ピーターも素晴らしいし、最後にMJを助けて(自分が助けられなかったグウェンを思い出し)哀しい顔をするアメイジングスパイダーマンも最高だった。


・前2シリーズの「描かれるはずだったのに描かれなかった」エンディングを描くと同時に、新しいスパイダーマンの門出となったのがノーウェイホームだ。私は本当は、人の生死が軽くなる気がするのでマルチバースという言葉があまり好きではないのだけど、こういう扱いなら大歓迎だ。大人の事情でリブートしまくったシリーズを逆手に取って、これほどの作品に仕上げた制作陣には感服の一言である。