昨日の続き/補足

 昨日のエントリを書くにあたり、劇場版ダンジョンズアンドドラゴンズを見直していたところ、他にも改めて気づいた点があったので、二、三補足しておこう。今回もネタバレアリである。















 まず、フォージがレッド・ウィザードであるソフィーナの真の目的に気づいていたのかどうか。初見の時にはこれがよくわからなかったが、見直したところ、ソフィーナの目的に気づいた上で積極的に協力していた、というのがはっきり描写されていた。ハイサンゲーム開幕の演説の時点で「ギフトがあるからその場から動かず止まるように」と観客にわざわざ指示を出しているのは、ソフィーナの魔術の特性を把握した上で、市民がその犠牲になるように誘導していたということになる。その上で自分たちは逃げ出していたわけだから、魔術の内容も完全に把握していたんだろう。ラストでパラディンのゼンクがフォージを見逃さず、捕らえて監獄にぶち込んだのには、それなりの根拠があったわけだ。

 次はちょっとマニアックなのだが、翻訳の話である。
 今回の劇場版の宣伝では、日本語版の吹替が結構推されていた印象がある。個人的にはよほど下手な人じゃない限り、誰が演じるかというのにはあまりこだわりはないが、今回字幕版と吹替版を見比べてみたら、キャスティングとは関係ない部分で、なかなか面白いことに気がついた。場面によって、吹替版の翻訳の方が適切なケースがあるのだ。吹替版と字幕版で翻訳者が違うのだろうか。
 例を挙げよう。昨日も取り上げた、クライマックスの直前、フォージから娘のキーラを取り戻し、財宝を満載した船の上からソフィーナの儀式を目撃するシーンである。

原語版/字幕版

It’s the Beckoning Death
“招きの死”だ

That’s why she needed Forge.
そうか フォージを利用して──

The games brought the city together for the spell.
市民を集め あの呪文を

Szass Tam is taking Neverwinter.
街を支配するために

吹替版

招きの死だ

このためにフォージを利用したんだ

ゲームで市民を集めて呪いをかける

ネヴァーウィンターがザス・タムの手に


 字幕版と吹替版を比べると、明らかにニュアンスとしては吹替版の方が分かりやすい。字幕版は間違いではないが、元々フォージは街の領主であり、ソフィーナはその側近だ。「街を支配するため」という表現で、原語にあるザス・タムを省略してしまうと、ソフィーナの目的が隠れてしまう。
 それに対して吹替版は「ネヴァーウィンターがザス・タムの手に落ちる」と言っているので、こちらのニュアンスであれば「ネヴァーウィンターの市民をアンデッドの軍団に仕立て上げる」というザス・タムの、そしてソフィーナの目的がはっきり分かりやすくなっている。