豪鬼、Please come back


 ストリートファイター5は合ってないと思って途中から追いかけるのをやめたので、同作の豪鬼がどうなったのかとかはもう把握していなかった。操作する側としては、百鬼襲はおろか阿修羅閃空も斬空波動拳もない『狂おしき鬼』を豪鬼とは呼びたくないな。
 しかし、そうなるとストリートファイター6に豪鬼が来たとしても、ストーリー上この後に繋がるキャラクターということになるから、これらの技がない可能性があるわけか、うーん……。まぁ、この5からストリートファイターはe-スポーツとしての位置づけを重要視してるみたいだから、ゲームバランスを崩しかねないこれらの技は実装しない方針になったのかもしれない。とはいえ、それならそれで、大会では使用できないレギュレーションにするとか、ボスとしてCPU専用キャラにするとか、色々他にもやりようはあった気もするけど。

私が知っているのとは違うゲーム

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 先輩から回ってきたお題なのだが、結論だけ言ってしまうと「主語が大きい」で終わってしまう。ただ、気になる点がちらほらあって、私が今流行のTRPGシーンになかなかついて行けない理由が、この増田によく現れてると思ったので、もうちょっと語らせてもらおう。

 まず「この元増田に共感できるか」という点でいうと、「様々な問題が浮上し、日夜学級会が行われる」というあたりでは、「20年経っても30年経っても人間のやることって変わらないんだなあ」っていう感想だ。しかし、その学級会の題材が、有名なシナリオを使ってセッションをするにあたって、(シナリオ作成者の)「空気を読みながら規定ルートを探しつつ慎重に行動を取らないといけない」点というのが全く共感できなかった。賛成反対以前の問題として、私にとってのTRPGとこの人の言ってるTRPGが違いすぎて、想像できないと言った方が正しい。
 私にとって、TRPGは「空気を読みながら規定ルートを探しつつ慎重に行動を取らないといけないゲーム」では全くない。そもそも周りにそんなプレイヤーもいない。じゃあ「全然わかんないね」で終わる話かというとそうでもなく、確かに最近のクトゥルフ神話TRPGのシナリオは、こういう傾向が強いように私には見える。有名な作成者のシナリオを高値で買うなんていうのはその現れだろう。



 私がTRPGのセッションで重要視していることの一つは、「セッションにおいて、特定の状況で『自分のPCならどう判断するか』というのを考えること」と、「過去のセッションを経験して、自分のPCがどう成長し、それが状況判断にどう変化をもたらしたか」という点だ。
 こう書くとややこしいけれど、例えばダンジョンズ&ドラゴンズのようなゲームでいえば「前のシナリオで経験値を得てレベルが上がり、前のシナリオにおいては超えることもできなかった崖を飛行魔法を使って乗り越えられるようになった」というのも一つの成長であり変化だ。この成長による変化が、プレイヤーによる人数分存在することで、相乗効果が現れ、結果的に新しい物語が毎回作られるというのが、私にとってのTRPGの醍醐味の一つだ。
 だから、私はPCを見て(プレイヤーを見て、ではない)シナリオを当て書きすることが多いのだ。プレイヤーが変われば物語は変わる。それどころか、プレイヤーの面子が同じでもPCが違えば物語は変わる。基本的には、私にとって市販のシナリオは準備時間が足りない時の代替か、自作シナリオのアイデアを集めるためのソースであることが多い。N◎VAや天羅といったゲームをプレイして、この傾向はさらに強くなった。



 では、クトゥルフTRPGの有名なシナリオにこういう要素を期待できるかというと、できないと思う。なぜなら、また、ベーシックロールプレイというゲームシステムそのものが、PCの成長によってデータがドラスティックに変化する部分が少ないからだ。行動の成功率が変わるだけで、できることが変わらない。また、今有名なクトゥルフTRPGのほとんどは単発シナリオで、PCを持ち越して長期キャンペーンを行うことは想定されていないように見える。こうなると、同じPCを使いつつ、そのPCの成長、変化を体感するという要素は持ちようがない。
 前々から「私はクトゥルフTRPGが苦手で、それは題材であるホラーが苦手だから」と書いてるけれども、これは純粋に怖いものが苦手だという他に、現状で有名なクトゥルフTRPGのシナリオの多くが、同システムを採用している理由として、「『ホラーという題材が、プレイヤーの感情(PCの感情ではない)を最もプリミティブに引き出せるツールだから』と考えているのが、シナリオ作成者たちのスタンスから垣間見える気がして、それが苦手」という裏に隠れたもう一つの理由がある。
 私は自分のブログでソードワールドパスファインダーなどについて色々書いているが、それは自分が知っているTRPGに近いもので、内容が分かるから言える、という面がある。現在流行しているクトゥルフTRPGの主流は、私の知っているTRPGとはあまりにもかけ離れすぎていて言及しようがない、というのが正直な感想だ。
 この増田に対する感想も同じだ。これは私がやっているTRPGとは違うものだ。これはTRPGではないと言いたいわけではないが、なりきりチャットとか即興演劇とかに近いものに見える。私にとっては、プレイヤーとPC(プレイヤーキャラクター)は別の存在だ。自分はTRPGのセッションに、プレイヤーの感情を引き出すということには全く求めていない。求めるものが違うということなんだろう。
 そこはTRPGという趣味の受け入れる幅の広さを示している。冒頭で主語が大きいと書いたのはこれが理由だ。筆者にとってはTRPGなのだろうが、私にとってのTRPGとは全く違うもの──付け加えるなら、市販の公式リプレイなどで提示されているプレイスタイルなどとも全く異なる、“彼ら”に独自のもの──なので、「TRPGのセッションが~」という主語で書かれると、非常に違和感が強いのだ。