P5RにもP5Sにもなれなかった


 まず、上の動画については内容に誤りが含まれていると思われるので訂正を。「コマンドRPGは若者に刺さらない」という発言のソースは多分ここにある吉田直樹氏の発言。


dengekionline.com


 吉田直樹氏は代表取締役だったことはなく、「元代表取締役」に相当する人物が類似発言をした記録も見つからなかったので、これは恐らく誤りと思われる。「元役員」という、正確な表現を使っているサイトもある。その点について訂正したうえで、内容に関してはスレッドの流れにほぼ同意する。
 ここのところ立て続けだが、以下辛めのエントリになるので折り畳む。














 まず、吉田氏の言う「RPGがコマンド式を採用したのはプロセッサの性能不足が理由である」は、コンピュータRPGの歴史を多少なりと体験してきた者として、全く同意できない。
 何故なら、もしその仮説が正しいのであれば、ファミリーコンピュータ初のRPGアクションRPGハイドライドスペシャル)であるはずがないからだ。ファミコン用だけではない。ザナドゥイース、メルヘンヴェール。どれも黎明期の名作であり、すべてアクションRPGだ。そして、ゲーム機の性能が上がるほどにアクションRPGの比率が増え、コマンド式RPGの比率が減っている訳でもない。氏が挙げている「GTA」も、初作はGBA時代のゲームである。
 攻撃態勢になっているのに「攻撃」コマンドの意味が分からないという話に至っては、単なる翻訳の問題である。


 次に、それを主張するなら、新作FF16においてはコマンド選択がアクションに置き換わる部分以外は旧作と同じ、あるいはそれを凌駕する選択肢がプレイヤーに提示されなければならないはずだが、実際にはそうはなっていない。
 FF16のパーティメンバーは自分だけ。これだけでも、プレイヤーが操作可能な範囲で取り得る選択肢の数は凄まじく減少している。DQWをプレイしていて実感するが、「プレイヤーがパーティメンバー全員を操作できる」というだけで、特定の局面において選べる選択肢の数が等比級数的に増加するのだ。
 それでも、もし世界に「パーティメンバーが複数いるアクションRPG」が一つも存在しないなら、まだ擁護が可能かもしれないが、それも違う。「ペルソナ5スクランブル」は、アクションRPGでありながら、4人のメンバーでパーティを編成できる。非操作キャラはAIで自律的に行動する上に、リアルタイムで操作キャラを変更可能だ(ちなみに私は、パーティ編成システムはあっても原神タイプのアクションRPGは好きではない。非操作キャラが画面から消失する理由について、ゲーム内で合理的な説明がされないからだ)。
 ファイナルファンタジーの新作をアクションにするなら、最低でも、ペルソナ5Sが備えていた三つの機能はどれも実装しなければ、コマンド式RPGの頃と同程度の選択肢が担保できないはずであり、そして事実そうなった。


 FF16は、ペルソナ5Rのようにコマンド式RPGとしてUIを刷新する選択肢もあったはずだがその道を選ばず、アクションRPGにするならペルソナ5Sのような自由度を確保するべきだったが、それもしなかった、と私は思っている。しなかったのではなくできなかったのか、それはわからないが。

無敵モードとRPGである必然性


 FF7製作陣もそうだというのなら、吉田氏個人ではなくスクエニという会社の製作スタッフの上層部の問題なのだろうが、何か大きな誤解をしている気がする。アクションが苦手だからアクションRPGが嫌なのではない。ゲームとしての選択肢が狭まっているのが嫌なのだ。FFシリーズは重厚なストーリーが売りだからそれを見せたいって? それを理由に同じシリーズ内でゲームのジャンルを変えてしまうというのなら、いっそアドベンチャーゲームにでもすればいい。



 先日、IGNというゲームメディアのライターが、MODを使ってレベル上げしてレビューを投稿し、論議を呼んでいた。話題が出た当初、私も反論エントリを挙げようとしていたのだが、上の反論動画でほぼ言われてしまっていたので上げなかった経緯がある。

 しかし、ここで別の側面から、改めて書いておこう。
 私は、RPGにおけるレベル上げとは、プレイヤーの自己表現の一つだと思っている。私自身が元々TRPG出身だというのはもちろんあるだろう。セッション前のキャラクター作成、そしてセッション後の成長は、プレイヤーである自分自身の選択の証なのだ。プレイヤーキャラクター(PC)は、GMのシナリオを追うための無色透明の存在ではない。そこにはプレイヤーの個性が反映される。
 コンピュータRPGがストーリー重視となり、操作キャラにあらかじめ人格が与えられ、キャラクター作成システムがなくなっても、成長とゲームの進め方にはプレイヤーの選択の結果が表れる。慎重にレベル上げをして危なげなく進むか、それとも配信者のようにギリギリのレベルでスリルを味わいつつ進むか。物理攻撃中心で行くか、魔法攻撃中心で行くか。アイテムを潤沢に使いながら進むか、節約しながら進むか。そのすべてが、プレイヤーが自分を表現する行為なのだ。そこでは「選択肢があること」に意味がある。
 MODを使う行為は、その「自己表現」を捨てている。メタル狩りは楽しくないという主張だったが、当然だ。不正行為によって面白さを自ら捨てているのだから、面白いはずがない。

 そして、HP常時MAXモードの実装によって、今度は制作側が、RPGの「ゲームとしての面白さ」を捨てている。「モードを使うか使わないかはプレイヤーが選べる」というのは、選べるうちに入らない。「選ぶ」とは、「メリットとデメリットを比較衡量すること」に意味がある。「HP常時MAXモード」を「選ばない」ことに、どのようなメリットがあるというのか。
 絶対勝てる戦闘なら、RPGである意味がない。アドベンチャーゲームにでもすればいい。加えてストーリーの分岐もないなら、ゲームである必要性すらない。それは「RPG」という看板を掲げただけの、ただの「映像作品」だ。