失われた“東京”

 さて、なんだかこのところロール&ロール特集号っぽい雰囲気になっているが、今回もロール&ロールの記事が題材である。とはいえ今回の話題は、前回の「空を飛ぶ」よりも歯切れの悪い結論になる。どうしてかというと「真相は闇の中」だからだ。


 もうずっと昔の話になるが、富士見書房から「ダンジョン・シネマティーク」という本が出版されたことがある。タイトルの通り、TRPGのシナリオを映画的に演出するノウハウの本である。
 この本そのものは特定のシステムのために書かれた本ではなく、あくまでもタイトルを限定しないTRPG全般が対象である。しかし、いくつかの章では明らかに作者お気に入りのシステムが想定されていた──高層ビルの一室でドローンを相手にメイジが魔術を投射したり、下水道でコカトリスにむかってSMGを乱射するようなゲーム、そうそうあるとは思えない。
 使われていたのはシャドウランというゲームである。しかし当時シャドウランの日本語版に触れたことのあるプレイヤーたちは、きっと脳裏に疑問符を浮かべたことだろう。
 ダンジョン・シネマティークに例示された舞台は、断定はできないものの、日本語版の展開の中心である東京ではなく、シアトルだったからだ。

シアトル? 東京?


シャドウラン 4th Edition (Role&Roll RPGシリーズ)


 ここで、シャドウランの日本語版展開について説明を加えておく必要があるだろう。シャドウランは元々FASAという会社が出版したアメリカのTRPGである(FASAは現在倒産し、版権はCatalyst社が保有している)。その第二版の翻訳出版権を富士見書房が獲得し、日本語版展開を手がけたのがグループSNEである。
 グループSNEはシャドウラン第二版の日本語版を展開するにあたり、英語版をそのまま翻訳するという道を選ばなかった。基本ルールブックこそほぼ完訳だが、オリジナルの舞台であるシアトルではなく、日本のプレイヤー向けに東京という都市を設定してリプレイやサプリメントを展開したのだ。シアトルを舞台にしたサプリメントは一冊も翻訳されなかったので、当時ソードワールドリプレイなどからシャドウランに入ったプレイヤーの中には、オリジナルのシャドウランの舞台がシアトルだったことすらあまり認識していない人もいる。
 実はこれはかつて、SNEのお家芸だった。以前ちらっと触れたが、T&TもHT&Tの舞台として英語版のドラゴン大陸とは隔絶した世界(陸続きだが行き来はできない)を設定しているし、ガープスもオリジナルの舞台にルナル大陸は存在しない(そしてガープスシャドウランの翻訳監修者は同じ江川氏である)。
“本国と日本では文化が違う。だから日本人に親しみやすい舞台を設定するのだ”──これが当時説明された事情だったように記憶している。


 それそのものは100%否定することはできない。しかし、それは当時の出版社やグループSNEが、ルールブックと世界設定は完全に切り離せるものだと考えていた証左ともいえる。
 汎用TRPGをうたったガープスはともかく(*1)、シャドウランはルールと世界設定が強固に結びついている。章頭のクォート(ルールブックに添えられたキャラクターの台詞)がシアトルのNPCのものなのに、後の展開ではそのNPCはまったく登場しなかったり。“覚醒”(アウェイクン)が日本語なのに、ゴブリナイズ(“覚醒”で人間がトロールになったりゴブリンになったりすること)が英語のままだったり。


 最大の問題は──日本語版で今でいうライトノベル的な展開をしたことで、シャドウランユーザーを「原書派」と「日本語版派」に分断したこと、そして双方の溝を埋める努力をしなかったことである。


「努力してないなんてとんでもない! シャドウラン第二版の日本語版展開は、ちゃんと英語版のユーザーにも配慮していた!」という主張には、簡単でわかりすい反証が提示できる。


「では、どうして日本語版シャドウラン第四版では、日本語版第二版の設定に基づく東京の記述がないのですか?」と。

第二版と第四版の微妙な関係


シャドウラン 4th Edition リプレイ ストリートの天使たち 改訂版 (Role&Roll Books)


 ここでようやっと、最初の話に戻る。実は、ダンジョンシネマティークの著者朱鷺田氏は、シャドウラン第四版の翻訳者なのだ。もしシャドウラン第二版のローカライズが本国のデザイナーに認められていたなら、第四版の英語版にその設定が反映されているはずだ。なかんずくそれがなかったとしても、第四版の日本語版展開は第二版の東京ソースブックを踏まえたものになっていておかしくない。
 しかし第四版のスタンスは「ローカライズ展開を完全に無視」という、実に分かりやすいスタンスである。舞台もシアトルだ(シャドウランだけではなく、T&Tの第七版でも、日本語版ローカライズ設定は完全にスルーされている)。


 私が冒頭で「真相は闇の中」と述べたのは、この姿勢が例えば翻訳時の契約内容に起因するものであるのか(恐らくシャドウラン英語版は契約当時FASAが権利を有し、それがCatalyst社に移っていても、東京の設定部分についてはSNEに著作権が帰属すると思われる)、それとも他の理由が存在するのかが部外者の身では推測しかできないという点である。
 ただし、朱鷺田氏は原書派だと私は考える。ダンジョン・シネマティークの執筆においてどこまでFASAの許可を得たかはわからないが、同じ富士見書房から出版されている東京ソースブックを踏まえた記述がまったくゼロというのでは、日本語版第二版を想定しているとは思えないからだ。


 どっちが悪いというのではない。権利関係については会社の倒産なども絡み複雑なケースが多い。メディアワークスが持っていたD&Dの翻訳出版権がHJ社に移ったのも同じような事情だろう。
 ただ、最後にしわ寄せを受けるのはプレイヤーである。原書派の人たちは嬉々として第四版を遊ぶかもしれないが、日本語版が好きだった人が馴染みの東京で遊ぶことは極めて難しい(ルールブックの記述はシアトルを前提にしている)。マオや殺(シャア)といった昔のキャラクターの名前を挙げたところで「ハァ?」という反応が返ってくるだけだろう。その怒りを反映してなのか、第四版「ストリートの天使たち」のレビューにもはっきりと「第二版の方がよかった」と書いている人がいる。

奇貨

 しかし、この話にはオチがつく。私がこの第二版と第四版の齟齬を悲しんでいるか、憤っているかというとそうではない。逆である。
 私は、シャドウランというゲームにはあまりいい思い出がなく、ずっとトーキョーN◎VAというゲームをやり続けてきた。それについては詳しい事情はまたの機会に譲るが──当時、日本語版シャドウラン第二版の展開が停止したことで、サイバーパンクRPGを求めるプレイヤー層──“東京”を探し求めるプレイヤーたちが大量にトーキョーN◎VAに流れてきた。彼らの多くはロールプレイ重視派で、プレイスタイルもカッコよく、その中から生まれたライターさんの中には後にトーキョーN◎VA・R、そして後にDを牽引していくことになる人たちも含まれていた。もしシャドウランの日本語版展開が丁寧に、息長く続いていたのなら、彼らはN◎VAを訪れることはなく、ひいてはトーキョーN◎VAのサポートも終わっていたかもしれない。
 その意味では、シャドウランの熱心なファンの方には誠に申し訳ないが、シャドウランの展開がある意味で失敗してくれたからこそ今のN◎VAがあるともいえる。


 今回のロール&ロールに掲載されたシャドウラン第四版の記事は日本特集だった。やはり東京ソースブックを前提にした記述はない。(*2)それを読んでつらつらとそんなことを考えた次第である。


(*1)実は、違う次元でガープスも失敗をしている。ガープスは汎用TRPGと銘打っていながら、日本語版だけの環境では「普通のファンタジーRPG」がプレイできない。
 その理由は、日本独自の展開であるガープス・ルナルを本国サプリメントガープス・ファンタジーに替わるものとして発売したために、ファンタジー用のデータが存在しないからだ。普通のファンタジーRPGをプレイしようにも、ゴブリンやグリフォンなどの敵データが不明、デミヒューマンであるエルフのデータも設定がない(ルナルのエルファはいわゆるエルフとはかなりイメージが違い、データを流用するのは不可能だ。他についても同様である)。これでは普通のファンタジー世界では遊びようがない。


(*2)グレートドラゴン・リュウミョウについてと、日本帝国(JIS)の帝がシアワセ財閥から妻をもらったことが書かれているくらい。これらの情報は日本語版第二版の展開とはまったく関係なく、英語版の基本ルールブックに載っているレベルの情報である。