第二版と第四版の微妙な関係


シャドウラン 4th Edition リプレイ ストリートの天使たち 改訂版 (Role&Roll Books)


 ここでようやっと、最初の話に戻る。実は、ダンジョンシネマティークの著者朱鷺田氏は、シャドウラン第四版の翻訳者なのだ。もしシャドウラン第二版のローカライズが本国のデザイナーに認められていたなら、第四版の英語版にその設定が反映されているはずだ。なかんずくそれがなかったとしても、第四版の日本語版展開は第二版の東京ソースブックを踏まえたものになっていておかしくない。
 しかし第四版のスタンスは「ローカライズ展開を完全に無視」という、実に分かりやすいスタンスである。舞台もシアトルだ(シャドウランだけではなく、T&Tの第七版でも、日本語版ローカライズ設定は完全にスルーされている)。


 私が冒頭で「真相は闇の中」と述べたのは、この姿勢が例えば翻訳時の契約内容に起因するものであるのか(恐らくシャドウラン英語版は契約当時FASAが権利を有し、それがCatalyst社に移っていても、東京の設定部分についてはSNEに著作権が帰属すると思われる)、それとも他の理由が存在するのかが部外者の身では推測しかできないという点である。
 ただし、朱鷺田氏は原書派だと私は考える。ダンジョン・シネマティークの執筆においてどこまでFASAの許可を得たかはわからないが、同じ富士見書房から出版されている東京ソースブックを踏まえた記述がまったくゼロというのでは、日本語版第二版を想定しているとは思えないからだ。


 どっちが悪いというのではない。権利関係については会社の倒産なども絡み複雑なケースが多い。メディアワークスが持っていたD&Dの翻訳出版権がHJ社に移ったのも同じような事情だろう。
 ただ、最後にしわ寄せを受けるのはプレイヤーである。原書派の人たちは嬉々として第四版を遊ぶかもしれないが、日本語版が好きだった人が馴染みの東京で遊ぶことは極めて難しい(ルールブックの記述はシアトルを前提にしている)。マオや殺(シャア)といった昔のキャラクターの名前を挙げたところで「ハァ?」という反応が返ってくるだけだろう。その怒りを反映してなのか、第四版「ストリートの天使たち」のレビューにもはっきりと「第二版の方がよかった」と書いている人がいる。