初心者ってシティアドベンチャーで何したらいいかわからなくなるよね


 かつては、確かにそうだった。


 繰り返すが、ホビージャパンが3つのタイトルを発表してほどなく、日本のTRPGは危機的な状況に陥った。井上氏が「日本最後のオリジナルTRPG・ビーストバインド」をデザインしたのはこの頃だ。



 結論から言う。
 我々には後がない。
 TRPGは今、真冬の時代だ。一時の繁栄などは今は昔、名企業の撤退に次ぐ撤退。ついにはこの夏、日本最後の一般書店売りのTRPG専門誌が消えて無くなる。

 もう一度、言う。
 我々にはもう、後がない。

 これは、最後の希望だ。
 小学館と云う新たな企業の参入。これに応えるため、最高のスタッフが、今ここに集まった。そして、命を賭けて、最高の作品を作ると、ここに約束する。
 そして誰でもない。君が、君こそが、協力してほしい。それがなければ、TRPGは終わる。1999年、このゲームをもって日本のTRPGは終わる。

 もう一度。言う。
 我々には後がないのだ。


ゲーマーズ・フィールド6月号
“BEASTBIND”広告ページより



 今では笑い話かも知れない。しかしあの頃それは、決して笑い話ではなかった。ホビージャパンがTRPGから手を引き、SNEのTRPGの発売予定ラインナップがリプレイを残して消え、マジック・ザ・ギャザリングとモンスターコレクションが卓上ゲームを席巻した頃だ。
 あの頃私たちは、本気でTRPGは消滅すると思っていた。バブルのように数えきれないほどあったはずの発売予定のタイトルが、文字通り泡のごとく次々と消えていった。10年前の自分に、今の毎月のTRPG関連書籍の発刊点数を話したら、まさかといってきっと笑い飛ばすことだろう。
 井上氏が自分のデザインしたTRPGのキャッチコピーに「日本最後のオリジナルTRPG」と銘打ったことについては賛否両論があった。自分の作品を売るために悪質なデマゴギーを流していると憤慨した人もいた。
 そして、そういって憤慨した人たちは、そのあとTRPG業界に対して特に何をすることもなかった。ビーストバインドを日本最後のオリジナルTRPGにしないために、新たなゲームを創ってやろうという人間はいなかった。たった一人も。
 井上氏の危惧が単なるデマゴギーであったかどうか、一世を風靡しながら今や新刊が発刊されることすら珍しいゲームブックシミュレーションゲームの状況を見ればわかる。

 ただ、とある一つの会社、それと井上氏だけが、この状況に危機感を抱き、状況を変えようと頑張り、そして結果を残した。
 幸いなことに、ビーストバインドは日本最後のオリジナルTRPGにはならなかった。そのとある会社の社長は「ファンの皆さんの熱意のお陰です」と後続作品の前書きに書いた。しかし、ファンの熱意は必要だったかもしれないが、熱意だけがあってもどうしようもない状況もある。TRPGの火が消えなかったのは、危機感を持って作品を送り出し続けてくれたクリエイターがいたからだ。
 その会社と井上氏がやったことは何か。それは、TRPGはこのままではいけないと考え、ゲームシステムの徹底的な見直しを図ったことだ。井上氏がその次にデザインした「アルシャードRPG」には、セッションを円滑に進めるためのギミックが、その時点で可能な限り搭載されている。ハンドアウト、シーン制、サンプルキャラクター……。
 そしてこの時、井上氏が得意とし、また思い入れのあるであろうロールプレイ支援システムは、このゲームには搭載されなかった。新世代のスタンダードには、そのシステムは不要であると──そのシステムは、セッションを円滑に進めるためには必須ではないと、井上氏自身が判断したのだ。

 結果、今のTRPGでは「シティアドベンチャーで何したらいいかわからなくなる」ことはなくなった。何をすればいいかはアクトトレーラーとハンドアウト、シナリオ中で与えられるクエストに全て書かれている。「シティアドベンチャーで何をしたらいいかわからない」時間は、TRPGには不要な時間だ。