今度は衣裳社員無限封筒か……。気前がいいのは非常に助かるんだけど、衣裳社員は通常社員以上にいないキャラが多くて、誰を入れるか迷う……。
転職エルザか、水着ロゼか……。特に水着ロゼは、例によって「このグラフィックが戦闘不能になったらどうなってしまうのか」というのが気になって仕方なかったんだけど、迷いに迷った末、彼女にした。
エルザやロゼの人と違って、ヴェルグの人はこのキャラしか描いてないので……。
そして、6周年記念イベント中にやらないといけないことが、実は思ったよりもたくさんあることに気づいて今青ざめているところ。
コロコロ少年の思い出(27)「神様になりたかった少年」
そういえば、先日のゲーマーズ・フィールドのリニューアルの記事で、今後の別冊の扱いについても触れられていたのを見て、ふと思い出したことがある。ずっと昔に、ゲーマーズ・フィールド別冊に掲載された井上氏のインタビュー記事に絡めて「神様になりたかった少年」というエントリを書くと言ったきり何もしていなかった。6年前の話である。
ゲーマーズ・フィールド別冊26 F.E.A.R.20周年記念特集号
- 発売日: 2013/08/04
- メディア: おもちゃ&ホビー
もう古い記事なので、該当部分を引用しよう。
俺は本当は、ゲームデザイナーというより「世界を作る人」になりたかった。それはいまでも変わってないけど(笑)。
これを読んではっとしたのを覚えている。何故なら、私も子供の頃「世界を作る人」になりたかったからだ。
神様とまでいうと大袈裟かもしれないが、この記事が対象にしている20年前のTRPGゲーマーでGMメインだった人であれば、似たような人は結構多いのではないだろうか?当時、ちょうどTRPGは第2世代(これも昔の用語だが)と呼ばれる「背景世界重視」のタイトルが主流だった頃だ。
ゲームがしたいのではない(第1世代)。物語を作りたいのでもない(第3世代)。「自分が作った世界を、誰かに見てもらいたい」それが私の願望だった。それも、井上氏と同様、TRPGを知ってそうなったのではなく、その前から願望があり、TRPGに出会って「これが私の求めていたものだ!」と確信したという流れである。
では、私はどうして「自分が作った世界を、誰かに見てもらいたい」と思ったのか。
鳥籠の中から
少し前、ある人と飲んでいた時に「自分のゲーム好きの原点はどこか」という話題になった。自分がゲームが好きになる発端となった出来事は、その後の好きなゲームのジャンルなどに大きな影響を与えるだろう。
私の原点は、言われて考えるというほどのこともない。脳裏から離れないものだ。
ここからは、カミングアウトというほどではないが、語るには少し恥ずかしい話になる。
一つは、子供時代、多くを禁じられていたことだ。前にも書いたことがあるが、小学生時代までテレビもビデオもマンガもない時代を過ごした。MSXを買うまでは、ゲームウオッチ一つだけしか持っていなかった。その反動だ。
そしてもう一つが、体が弱かったことだ。生まれた時から2000グラム以下の未熟児で、保育器を出てからも体は丈夫にならず、幼稚園の年少の頃は年の半分も登園できなかったし、学生時代に1年間皆勤を取れた年もない。もちろん、病気ではないだけずいぶんマシで、もっと酷い状況の子供は当時大勢いるだろうし、体の弱い反動から体を鍛えようと体育会系に進んだ親族もいる。一概にそれだけが理由とは言えないかもしれない。
ただ、私が物心つくかつかないかの頃、はっきりと覚えている光景がある。外へ出て遊ぶ近所の子供たちを尻目に、習い覚えた折り紙で作った色々なものを布団の周りに並べ、空想の世界を脳裏に広げていた光景だ。
「ああ、もし外へ出かけなくても、今手を伸ばした場所に『別の世界』が広がっていれば……」
──これが、私がゲームを好きになった原点だ。
だから私は、誰かが作った「世界」を訪れてみたかった。
自分が作った「世界」に誰かを招待したかった。
それは野山を駆け回り、川で遊び、虫取りをする「代わり」だった。
ゲームウオッチの液晶の向こう側に、私はどこかの誰かが作った「世界」を見た。
TRPGは、自分の作った世界に他人を招待するための魔法の道具だった。
新たな世界
そんな私の憧れは、J・R・トールキンであり、門倉直人氏を始めとする、数々のTRPGをデザインした人たちだった。私も彼らのように、TRPGを通じて自分の世界を誰かに見せたい。誰かに自分の世界を訪れてほしい。セッションをしていたのはそのためだったと言っていい。
今だから言えることだが、TRPGの制作に関わりたいと思ったこともある。知り合いの伝手を頼り、それに近い会社を覗かせてもらったこともある(今はもう影も形も残っていない会社である)。
そんな私の「自分が作った『世界』を誰かに見せたい」という欲求を粉々に打ち砕いたのが、井上純一氏と、遠藤卓司氏だった。
天羅万象とトーキョーN◎VA・Rというゲームに出会った衝撃は、それだけ大きかった。彼らは発想からして常人とは違う、文字どおりの天才だった。TRPG業界に関わるということは、彼らとライバルになるということを意味する。そこに勝ち目があるとは思えなかった。それどころか、同じ土俵に立てる気すら微塵もしなかった。決定的な才能の差。
しかし、モーツァルトに出会ったサリエリのような心境には、私はならなかった。むしろ、彼らこそが私の恩人だった。
「自分が作った『世界』を誰かに見せる」より、「誰かと一緒に『物語』を作り上げる」方が、私にとっても、友人にとっても、遥かに楽しいことなのだと、この二つのゲームが教えてくれたからだ。
他人を楽しませられるほど魅力的な仮想世界を一人で創造できるのは、極々一部の才能ある人たちだけだ。それに対して、他人とともに物語を作り上げることは、仲間とでなければできないこと。それは、幼少時から自分の方しか向いていなかった私が、初めて外に目を向けた瞬間だった。だから、敗北感はなかった。彼らは私に「世界」をくれたのだ。
もう一人のピコピコ少年の思い出(22)「旅する世界」
──と、ここまでが6年前に書きたかったこと。ここからは追記である。
「自分が作った世界に誰かを招待する」願望は「仲間と物語を作り上げる」形へと変化したが、もう一つの願望は今もなお変わらない。
「誰かが作った世界を訪れたい」と。
私にとっての「冒険」とは、すなわち「旅」だ。特にファンタジーを舞台とするゲームに登場する自分の分身は、基本的に「旅人」であってほしい。だから、DQXやFF14でハウジングとかマイハウスと言われた時は、かなり戸惑った。PCが「定住する存在」とは思っていなかったからだ。
移動画面のないソシャゲが好きでなかったのは、そのためだ。戦闘しかしないゲームの主人公なんて、闘技場で戦う剣闘士奴隷と何が違うのか。
車が好きなわけでもないのにレーシングゲームを買うのも、周りの風景を見たいからだ。
方向音痴なのに3Dダンジョンが好きなのも、その画面構成が一人称視点、つまり「もし自分自身が旅をしていたら、実際に目にするであろう風景」に最も近かったからだ。
少年は神様にはなれなかった。けれど、画面の向こうのまだ見ぬ風景を求め、今も旅を続けている。