懐かしのアルダ


 前号のロールアンドロールに引き続き、最新号でもブレイド・オブ・アルカナの記事が掲載されていた。連載第3回となっているので、しばらく定期的に掲載されるようだ。個人的には、この記事とカオスフレアの記事だけで本誌を買う価値があった。

 特に今回は、ゲーマーズ・フィールドに連載されていたブレイド・オブ・アルカナの記事とは、異なる観点で本タイトルについて触れられていて、非常に興味深かった。ゲーマーズ・フィールドの連載記事は、良くも悪くもブレイド・オブ・アルカナをずっと追い続けてきたプレイヤーが対象だった。それに対し、本誌の記事は基本的にブレイド・オブ・アルカナというゲームに新たに触れる人間を対象にしているように見える。
 今回の記事の内容について、項目ごとに私見を書いていきたい。

一神教が支配する世界

 これは面白い項目だった。「一般的なファンタジーTRPG多神教の世界なのに対して、ブレカナ一神教の世界を扱っており、既存のゲームと差別化を図っている」というのは遊んでいて実感していた。しかし、それと「刻まれし者と殺戮者の存在」というベクトルが重ね合わせで存在しているという発想はなかった。
 また同項目で、このブログでも触れたブレカナは殺戮者を倒す以外できないゲーム」という批判についても、製作者自身からの回答が書かれている。トーキョーN◎VAにおけるN◎VA軍の存在と同様、「『殺戮者を倒す』という図式さえ守っていれば、あとは自由にできる」という意味で、「殺戮者を倒すのが最終的な目的になるのは、決してシナリオの自由度を狭めるものではない」というものだ。

ハイデルランドにじゃがいもはあるか?

 次に面白かったのが「ハイデルランドにじゃがいもはあるか」の項目だ。当ブログでも過去に「TRPGと食事」を題材にした記事を書いているが──

 世界のリアリティとは、ゲームプレイを面白くするための演出の一つの手法であり、参加者が楽しめるのであれば、食卓に何が並んでも良いのだ。そこで意見が分かれるなら、ゴールデンルールに従ってGMが決定すればいいだけの話である。

 しかし、本誌に──

 必要以上にストイックになって、ゲームプレイをつまらなくするのはやめようではないか。

 というコメントが載ったのには、恐らく特に他意はないのだろうけれど、思わず笑ってしまった。

 もうお察しかもしれないが、本項と前項については、私にとって興味深かったのは、「結論」ではない。過去のエントリで書いてきたような「批判」や「疑問」が製作者にも届いており、それに対する回答もちゃんと持っていた、と改めて知ることができたこと、なのだ。

現実世界からのインスピレーション

 本項で触れられていた「ゲオルグ・シュローダーとガイリング2世のモデルが、傭兵伯ヴァレンタインとスウェーデン王グスタフ・アドラーだというのは気付いていなかった。同じプレイグループの仲間たちは歴史に詳しい人が多かったので、もしかしたら私以外は気づいていたのかもしれない。
 逆に、金色外套王アイルハルトのモデルがアーサー王なのは、知っている人が「ランド・オブ・ギルティ」を読めばすぐわかったと思われる。ところで、鈴吹社長自身が、自分が過去にやったキャンペーンから固有名詞を持ってきていると明言したのは、これが初めてではないだろうか?

サンプルキャラクター「闇を祓う聖者」

 また、サンプルキャラクターも面白い。アングルス・マーテル・アクシス。一見するとドラクエの賢者のような組み合わせ、しかも「現在」はマーテル、いわゆる聖職者のアルカナであるにもかかわらず、特技の中に回復系のものがない。
 とはいえ、奇跡「再生」を持っている上に「拡大」もあるので、実際の戦闘においては回復役を務めることは十分にできるだろう。アルカナの組み合わせ的には打消し系を2つ持っているに等しく、もしかしたら基本ルールブックに掲載されたサンプルキャラクターよりも使いやすいかもしれない。

ディアスポラの」アルダ

 そして最後に、イラスト付きで紹介されているNPC、「ディアスポラの」アルダである。このキャラクターは、ブレイド・オブ・アルカナを初版から遊んでいる人間にとっては非常に思い入れが深い。しかも説明を読む限り、本作に最初に登場した時の状態である。
 彼女こそ、初期のブレカナ論議を呼んだ「可哀想な殺戮者」であり、「それでもなお、殺戮者というのは救われない存在なのだ」というのを表した、象徴的な人物である。
 それにしても、懐かしいな……。