同意できなくもない(ただし半分だけ)

小説家という職業 (集英社新書)

小説家という職業 (集英社新書)


 「スカイ・クロラ」の森博嗣氏が「小説家を目指す人」へ向けて書いた本。半分はかなり共感でき、もう半分はまったく同意できなかった。そして、私がどうして森氏の小説がどうも肌に合わないと感じるのか、これを読んではっきりした。


 ところで、私は小説家を目指しているわけではない。だからこの本を読んで、小説家になるためのノウハウを学びたいわけでもなければ、その成功の秘訣を知りたいわけでもない。この本を読んだ理由は、森氏の「創作に対する姿勢」がどんなものなのか知りたかったからだ。
 森氏はこの本の中で「自分は小説を読まない」と言っているが、読み進めていくうちになるほど、と納得した。まず、森氏は「本当に小説家になりたいなら、この本すら読んでいる暇はない。今すぐ小説を書け」という。小説家というのは小説を書き続ける人間のことであって、就職試験に合格したら小説家になれるというわけではない。だからすぐ書け、というわけだ。この「小説家になりたいならこの本を閉じてすぐに小説を書き始めろ」というのは、小説家になることを解説した本に出てくる定番のフレーズだろう。もっとも、森氏は「小説家になる前に、小説家になるためのノウハウを解説した本を読んだことはほとんどない」と言っている(とはいえ、この本を書く前には何冊かそういった本に目を通したそうだが。恐らくそれらの本にも同じようなフレーズは出てきたのではないだろうか)。
 それもそのはずで、森氏は小説家になりたいと思ったことはない、自分は趣味のためにお金が必要で、ビジネスとして金儲けのために小説を書いている、という。小説家であるということを特に誇らしく思ったこともないという。


 これはそのとおりだと思う。


 ある筋のプロフェッショナルで、自分がいかに「それ」が好きかということを力説する人間を時々見かける。これは小説家に限らない。ゲームが好きなゲーム制作者、マンガが好きな漫画家などなど、だ。しかし、例えばモーツァルトが本当は音楽のことが大嫌いだったとしても、彼が作曲する曲の良し悪しにはまったく関係がない。小説が好きで好きでしょうがないが駄作しか書かない小説家と、小説などどうでもよく他人の作品など読むことは決してないが傑作を書く小説家がいたとしたら、読者にとって必要なのは後者だ。
 別の表現をすれば、好きだからという理由であちこちのジャンルに手を出しては飽きてを繰り返し、シリーズをいくつも未完結のまま放置する作家に比べれば、そのジャンルがたとえ嫌いでも、プロ意識をちゃんと持って作品を完結させてくれる作者の方が読者にとってはありがたい。
 小説が好きであるという事実は、プロとしての小説家にとって必ずしも必要ではないのだ。


 また、もう一箇所頷いたのは「小説を読んだ後には、何も残らなくて構わない」というもの。


 教訓も、メッセージも、あるいは何らかの知識や教養も、別に小説を読んで得る必要はない。高尚な作品を作ろうとする人間ほど読んだ後に何かを残そうとするが、そんなものはエンターテイメント作品にはいらない。読んで面白ければそれ以外は別にいいのだ。


 この二点には非常に納得がいったし、共感できた。問題はその後である(続く)。