2000万円の価値

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『KAGEROU』――儚く不確かなもの。
廃墟と化したデパートの屋上遊園地のフェンス。
「かげろう」のような己の人生を閉じようとする、絶望を抱えた男。
そこに突如現れた不気味に冷笑する黒服の男。
命の十字路で二人は、ある契約を交わす。
肉体と魂を分かつものとは何か? 人を人たらしめているものは何か?
深い苦悩を抱え、主人公は終末の場所へと向かう。
そこで、彼は一つの儚き「命」と出逢い、
かつて抱いたことのない愛することの切なさを知る。
水嶋ヒロの処女作、
哀切かつ峻烈な「命」の物語。


 これ、大賞作品なんだよね……? 最初、どこのラノベのあらすじかと思ったよ。これが2000万円か……。今回で賞が終わっちゃったのが残念だ。もし来年以降もあるのなら、目の色変えて応募するラノベ作家さんが山ほどいそうだったのに。
 リアル鬼ごっことかはあらすじの段階から常人には書けないオーラ(笑)が全開だったんだけど、こちらは普通にライトノベルレーベルの来月の新刊に載っていてもおかしくなさそう。
 逆にいえば、このあらすじに沿った中身でオリジナリティ溢れる名作だったら、それこそ神だ。とはいえ、“不気味に冷笑する”だとか“愛することのせつなさ”とか“深い苦悩を抱えて終末の場所へ”というボキャブラリィからは、名作に通じるセンスは感じられない。小説の書き方指南の本をあたれば真っ先に「月並みな表現は止めましょう」と切って捨てられるレベルだ。


 前にもちょっと触れたけど、ポプラ賞の受賞が出来レースだったかどうかについては、それほど大きな意味はないと私は思う。出版された作品が「その程度」の作品なら「ああ、ポプラ社の大賞ってこの程度なんだ」と読者に認識されるだけだ。一時の話題性でこの一冊だけは売れたとしても、二冊目以降はない。それはこの一冊の売り上げや、辞退された2000万円以上の損害をもたらすはずだ。
 芸能人が本を書いちゃいけないというのではない。芸能人には芸能人にしか書けない本がある。それを出版するのは決して悪いことではない。しかし「芸能人が、自分のプロフィールを隠して一般作品を応募し、大賞を受賞した」という事実を売りにした以上、その作品には一般作品としてのクォリティが求められるというだけの話だ。エッセイを書くのとは訳が違う。
 そしてもし仮に、この本をゴーストライターが書くのだとしたら……昔ならばバレなかっただろうが、このネット社会ではすぐに足がつく。既にツイッターで日本語の使い方がおかしいことを指摘されているぐらいだし、普段の語彙と小説内の語彙に大きな齟齬があれば、読めばすぐにわかる。それはそれで、ポプラ社にとっては大変不名誉なことになるだろう。