昨日の話の続き

 昨日のステラ部の話について、先輩とちょっと話をして、自分の考えをまとめてみた。

 まず、この脚本家の人はツイッターを見る限り「今週の主人公の行動については、次週以降にその伏線の回収があるから問題ない、現段階で判断するのがおかしい」と言いたいみたいだけど、どう考えてもそういう問題じゃない。
 確かに来週のタイトルが「宴の終わり」なので、たぶんゾンビ行為がバレて主人公はその報いを受けるんだと思う……そうでなかったら本当にサイテーな作品になってしまうので、たぶんそうなるんだろうけど「主人公が反則行為の報いを受ける」のが全12話のうち第8話時点で、次週に引くほど大きなテーマになってる時点で「サバゲーの面白さを視聴者にアピールする」作品としてはどう考えても失敗している。
 なぜなら、スポーツでも将棋や囲碁のような競技でもそうだけど「反則をしない」っていうのは「葛藤する部分」じゃなくて「競技をする上で最低限のマナー」だから。公式ページでサバゲーはマナーを守れって散々書いてるんだから、そのことは制作側だって知っていたはず。
 将棋で主人公が二歩を置くかどうか葛藤したり、囲碁で整地するときに数をごまかすかどうか葛藤する作品が(面白いかどうかは別にして)将棋や囲碁の面白さを普及させるのに役立つか? ゾンビ行為について描きたいんだったら公式大会の優勝決定戦じゃなく、序盤に主人公がゾンビ行為をして先輩にバレ、手ひどく怒られるくらいにしておくべきだった。
 主人公の葛藤や挫折を描きたいのはいい。それは今後のストーリーの展開如何では成功するかもしれない。しかし、だったらサバゲーの普及に一役買うなんてお題目は要らなくて、映画の「トロン」みたいな架空の競技を使ったとしても同じだ。
 この作品の最終話を手がける予定の脚本家は「サバゲーという素材に誠実に向き合って、素材の味を100%引き出し、一見さんも大歓迎」といってるけど、一見さんが「公式大会で主人公がインチキやって優勝してしまう作品」を見てどう思うかは考えなかったんだろうか? ちなみに私はサバゲーに詳しくないいわゆる一見さんだが、これを見た感想は「うっわ、サバゲーサイテーだわ」だった(サバゲー好きの人ごめんなさい)。


 たぶん、この脚本家の人は想像力が足らない人なんだろうと思う。
 最近のツイッターを追っていて私が驚いたのは、プロフィールに「創作物の表現規制反対」と記載していながら「終戦記念日は艦これのサーバを止めろ」とツイートしていたことだ。
 創作物の表現規制に反対する人の主張の根本は「現実と創作物は異なるものであり、表現者もそれを受け取る側も現実とフィクションの区別はちゃんとついている。だから現実の犯罪に対処するために創作物を規制するのはおかしい」という部分にある。
 終戦記念日戦没者や戦死者の死を悼むのは当然のことであり、大事なことだ。しかし「現実」の終戦記念日を理由に「フィクション」である艦これのサーバを止めろというのは、フィクションに現実を持ち込むことではないのか? それはそれ、これはこれ、だ。艦これと現実は違う。プレイヤーが自らの考えに基づいてプレイを一日止めるのは自由だが、死者の冥福を祈るのとゲームを遊ぶのはまったく別次元の話だ。
 もちろん、別次元と考えないのは個人の自由だが、そう主張しながら創作物の表現規制に反対するのは辻褄が合わない。


 ──とはいえ、普通の人間だったら行動の辻褄が合わないことはしばしばあるし、全ての行動の辻褄が合っている人など滅多にいないだろう。しかし、この人は脚本家だ。自分の脚本した作品の登場人物の行動の辻褄が合っていないのは作品としてまずいし、さらに「呟きを追っていった人間から『この人の行動は整合性が取れてない』と思われるかもしれない」と考える想像力も働いていないのだ。想像力が働いていれば、二つの主張のうちどちらかは「心の中では思っていても口には出さない」はずだ。
 そう考えると、同じ脚本家が書いた4話のストーリーの整合性が取れていないのも無理はないし、今の展開も当然の結果だと言える。そしてその人が書いたという最終話がどうなるかについても言わずもがな、だろう。