これなあ

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 これ、最初は「プロの人が迷惑してるというなんて大変だな。でもなんで具体例を出さないんだろう」と思ってたんだけど、当人がSF大会に呼ばれて崇められている人だというのを聞いて、印象が「やっぱりSF者は面倒くさいなあ」で上書きされてそれ以外の感想が浮かばなくなってしまった。


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 こんなことを言い出す人もいるが、もちろん私は全く賛成しない。美味しんぼの問題点は鼻血の描写を作中でしたことではなくて、それに関して作者が「あれは自分が取材した真実だ」と主張したことの方にある。それに対してプラテネスの方は「すべてフィクションだ」と明言しているのだから状況が全く違う。


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 実は、この間触れた「ミステリと言う~~」の田村氏について「ミスそのものよりも謝罪の方が問題」と書いたのも、これと同じベクトルの話である。
 作品自体はフィクションだから、作者が創作エピソードを交えようが何だろうが自由だ。しかしそれについての謝罪に「この実験により救われている人が多いのではと感じ、ぜひ作中で紹介したいと」思ったからというのは、この作品を「読者を救いたい」という動機で書いていると言っているのと同じである。

 フィクションをノンフィクションであると偽るなら、それは作者の側の問題だ。だが、これはフィクションであると明言された作品を、リアリティがあるからと勝手に現実に持ち込むなら、それは読者の側の問題になる。同じように、作品を読んで救われるかどうかも、あくまでも読者の問題であるべきだ。
 あたかも一娯楽作品のように世に出された作品が、本当は「読者を救ってやろう」という作者の執筆動機によって描かれた作品だというなら──そして、作中に挿入されるエピソードが物語上の脈絡や必然性によってではなく、読者を救えるかどうかという理由によって選ばれるというのなら──それは読者が決めるべきことまで作者が踏み込んだ作品であって、私はそういう作品は読みたくない。この間のエントリはそういう意味である。

 余談だが、実は件のエピソードは創作物としての説得力もかなり疑問で、世の中にはひっきりなしに顧客からの問い合わせが寄せられて自分の仕事に集中できない職業なんて珍しくない(今の私のように)。いかにも現場を知らない人が脳内で創作したエピソード、という印象が拭えない。