昨日の続き、あるいは他愛ない考察


 ガルパン劇場版祭りだ! ちなみにアンソロジーには本当に池上遼一さんが寄稿しててビビった……。

というわけで

 劇場版を観てから一晩クールダウンした頭で考えた与太話でも一つ。単なる私の妄想である。
 題して──


ダージリンは本当に「格言芸人」なのか?”


 例によって劇場版のネタバレ全開なので折り畳む。












 昨日、劇場版を見終わった後、ネタバレ解禁ということで他人の感想などを眺めてみた。特に「あー」と思ったのは、「廃校取り消しをなかったことにして、TV版の努力を無にしたのは展開としてどうなのか?」という感想だった。確かにそのポイントは、見る人によって賛否両論分かれるだろうな、とは思っていた。

 では、どうして私はその部分を抵抗なく受け入れられたのか。昨日のエントリにも書いたが、最終回時点であらかじめ、廃校取り消しが明言されなかったのは伏線なのではないか、と勘繰っていた、というのはある。ただもう一つ、私は今回の劇場版で「廃校取り消しがなかったことになった」からといってTV版の大洗の奮戦が「無駄になった」ようには思えなかった。

 文科省の役人は杏に対して大洗のことを「まぐれで勝ったチーム」だと評した。つまり、そもそも勝っていなかったら交渉のテーブルにすら立たせてもらえていなかったということだ。TV版の勝利は無駄だったのではない。逆だ。劇場版の戦いは「TV版の勝利を無駄にしないための戦い」だったのだ。


 ここまで考えて、ふと気になったことが一つある。あのクライマックスの「大洗学園への加勢」という劇的な展開を演じる中心になったのが、黒森峰や他校ではなく、なぜ聖グロリアーナ女学園だったのか、ということだ。あのお茶会への誘いという形をとった電文は、何故他校の誰でもなくダージリンによって打電されたのか。

聖グロリアーナの柔と剛

 これはもう気づいている人も多いと思うが、実はTV版・劇場版を通じて、優勝校大洗学園に全勝している学校は、聖グロリアーナ女学園だけである。今回前半のエキシビションマッチで、またその強さの一端が垣間見えた。
 ダージリンの意思を実現化する忠実な副官としてのオレンジペコとアッサムのみならず、ローズヒップのような猪武者もその幕下に置いて自在に御する。ハードウェアの面から見れば、プラウダ的な鈍重・重装甲戦車マチルダチャーチルと、アンツィオのカルロ・ヴェローチェを思わせる高機動戦車クルセイダーを擁し、両校のハイブリッド的な編成を役割によって使い分け、縦横無尽の戦術を組み立てている。


 それほどの強豪校である聖グロリアーナを始めとする他校が今回の戦いに参戦したのは、果たして本当に「西住みほとの友情」あるいは「大洗への同情・憐憫」だけが理由だったのか?


 友情や同情が理由だとすると、一つ説明のつかないことがある。特にサンダースのアリサがわかりやすいが、戦車道大会の本選でもエキシビションでも、どの学校も大洗に手心を加えていないのだ。負けたら廃校という約束をどこまで他校の人間が把握していたかわからないが、少なくとも廃校そのものについては、アリサが知っていた程度のことを、他の強豪校の中枢にいる人間が噂すら聞きつけていないとは思えない。そして、仮に知っていたとしても手加減しないのはある意味当然なのだ。なぜなら廃校はあくまでも大洗一校だけの問題だからである(もっと言えば、継続高校は大洗学園との接点すらない)。


 しかし彼女たちは、大学選抜チームとの戦いには参戦してきた。それは何故か。
 ヒントは、途中で杏と蝶野が口にしている。「優勝した大洗を廃校にしてしまったら高校戦車道連盟の顔が立たない」と。
 

 生徒会長・角谷杏が只者ではないのはこの点だ。*1
 本来、戦車道大会の勝敗の行方と大洗学園の廃校とは直接関係がない、別の問題である。文科省から見れば「廃校が決まっている大洗学園が最後の花道を飾った」と喧伝してしまえばそれで済むはずだ。優勝した大洗を廃校にしたら高校戦車道連盟の面子が立たないというのは、極論すれば論理のすり替えである。逆に言えばこの主張を蝶野をはじめとする面々が認めた時点で、文科省側は政治的駆け引きに負けたのだ。
 ただしこの条件を引き出すためには、大洗が優勝していなければならなかった。繰り返しになるが、みほたちの頑張りは無駄ではなかった。スタート地点に立つためには、それが絶対条件だった。そしてそれは、もう一つ別の思惑を浮かび上がらせる。

誰がために戦う?

 クライマックス、ダージリンはT28を撃破するために聖グロリアーナのポリシーを捨ててまで奇策に手を貸している。前半の彼女の台詞とは相反する行動だ。彼女はなぜ大洗のため、みほのためにここまで力を尽くしたのか?


 こうは考えられないだろうか。ダージリンは蝶野や西住しほと同じことを考えたのだと。
 大洗の優勝を引き換えにした約束を反故にした時点で、文科省は大洗学園だけでなく、他の大会参戦校たちをも踏み躙ったのだ。「高校戦車道大会の優勝など、約束を守るほど価値のあるものではない」と言ったも同然なのだから。
 それは、高校戦車道の伝統ある強豪校には耐え難いことに違いない。ダージリンだけではなく、他校の戦車道履修者たちにとってもだ。だから単なる友情や同情を超えて、みほに加勢したのだとは考えられないだろうか。*2
 もちろん、表立って動きたかったのはまほだろう。だがまほはしほの娘でみほの姉だ。文科省と交わした覚書に名を連ねる人物の親族であり、渦中のチームの隊長の姉だ。自分は参戦するつもりでも、他人を巻き込むことは性格的にもできないだろう。
 ただみほとの友情のみに着目するなら、適役は他にもいる。しかし、大局的な視点となれば話は別だ。ケイやアンチョビはそういった政治的駆け引きとは無縁、カチューシャは今回の相手である島田アリス同様、戦術指揮は天才的でも大局的な視点で動いている様子はない。取りまとめられるのはダージリンしかいないのだ。


 しかしダージリンは3年生である。来年には大学生だ。大学選抜チームとの関係を悪くするのは賢いとは言えないし、高校戦車道に関わるのもあと半年の話。大洗を見捨ててしまえばそれで終わりだ。何故そうしなかったのか。


 ここから先は私の推測である。


 聖グロリアーナの矜持は常に優雅に戦うこと。前半で彼女がこう語ったことは、当然後半で「これは聖グロリアーナの戦いではない」と語ったことと呼応している。そしてそれを、後輩のオレンジペコに対して語ったことにこそ、意味があるのではないだろうか。
 ダージリンは1年生の彼女、そして他校も含めた後輩たちすべてにこそ残したかったのだ。高校戦車道は無意味なものではない。そこで勝利し、優勝することは偉大なことなのだと。そして、矜持を捨てても他者のために戦わなければならない時があることを、身をもって示したのだ。*3


 実は、作中で上記を語っている人物は他にいる。継続高校のミカだ。彼女が「エキシビションには参戦する価値がなく、大学選抜との戦いは刹那主義で賛同できないと言いつつ参戦した」こと、「戦車道には人生の大事なことがすべて詰まっている」と語ったことは、これと符合する。格言で自らの真意を韜晦するダージリンだが、物語中ではその心情をミカが代弁しているに等しい。


 ダージリンは格言を喋るだけのキャラクターではない。彼女はみほとは違う形で、彼女にとって大事なものをちゃんと後に遺した。作中でも屈指の賢明で奥深いキャラクターだと私は思う。


 ──もちろん、私がこういう視点を持つに至ったのは、この動画の影響がないとは言わないが(笑)。


*1:さらにもう一つ。大学選抜チームとの試合前、問い詰められた杏が「もう隠し事はない」と吐露するシーンがあるが、私はこれは少々疑わしいと思っている。なぜなら、この後応援で参戦してきた他校チームは皆「短期転校の手続きは済ませた」と言っているからだ。転校手続きで転校先の学校の許可を取らないとは思えないし、TV版映像特典にあるとおり、学園艦の運営は生徒に任されている。つまり短期転校の手続きを承認するとすれば杏たち生徒会メンバー以外に考えられず、杏は加勢が来ることを知っていた可能性があるのだ。

*2:その意味では、開戦前に着ていた大洗の制服を試合中に脱ぎ、元の服装に戻るのも象徴的に思える。

*3:ノンナやクラーラ、ニーナたちが我が身を犠牲にしてカチューシャの血路を開いたのも、同じ理由だろう。