メゼポルタ開拓記かな?


 版上げ後、恒常的にサプリが出てサポートが続いているところは非常に高く評価できる。それと同時に、ロールプレイ評価システムを持つゲームとして雑誌連載以外のサポートが続いているほぼ唯一のゲームになってしまった。天羅WAR……。
 気を取り直して。今回、恒例のワールドガイドを除くと大きな目玉は「大森林を舞台にした“狩り”と、それを主題とした村の運営ルール」、そして「“一般人”でプレイできるミームとブランチ」の追加だろう。
 村の運営ルールについては、迷宮キングダムやグランクレストのそれをカオスフレア向けにアレンジして取り込んだものといってほぼ過言ではないと思う。他のゲームのエッセンスをカオスフレアに翻訳して(ここ重要)取り込んでいるところは小太刀氏の面目躍如というところ。カオスフレアは設定上、ギルドやパーティの共有財産的なものを持ちにくいので、これまで再現しにくかった要素を補完したのだと思われる。

 しかし、私自身興味を惹かれたのは、もう一つの新要素「一般人」の方である。

一般人と来訪者(フォーリナー

 ルールブック内のコラムページでも述べられているが、カオスフレアのコンセプト的な主人公である「フォーリナー」と、今回追加された「一般人」は、似て非なる存在である。
 一言で言うと、フォーリナーは「日常から旅立っていく存在」であり、一般人は「日常に帰っていく存在」だ。フォーリナーは、たとえスタート地点が平凡な地球人だったとしても、一度運命に導かれ勇者として選ばれたならば、元の日常に戻ることはもうできない。これまで断片的に世界設定で語られてきた「先にオリジンに渡ってきたフォーリナー」たちは、ほぼ例外なく、元の状態には戻れていない。
 反対に、一般人は戦いが終われば日常に帰っていく。一般人はあくまでも一般人だ。彼らにとっては日常こそ帰るべき場所であり、セッションの間、非日常に身をおくことこそイレギュラーなのだ。

 なお、今回も上で挙げた「一般人を演じるためのコラム」もまた、これまでと同様、かなり役立つコラムである。「一般人であることに託けてセッションに対して非協力的になってはいけない」など、参考になることがいろいろ書かれている。

 ところで、何故「一般人」に興味惹かれたかというと、これが天羅に関わった小太刀氏の作品の「一般人」だからである。
 

天羅(無印)の一般人

 TRPGにおいて「一般人」をどのように位置づけるかというのは、ゲームによって様々だ。初代のCD&Dにも一般人は「ノーマルマン」という名前のクラスとして存在した。しかし、もちろんPCとして選ぶことはできなかった(セービングスロー表以外のルールがない)。
 他にもウォーハンマーギア・アンティークなど、能力としてのキャラクタークラスというよりPCの経歴として職業を選択するゲームでは、一般人かあるいはそれに近い存在をプレイできたゲームもある。しかし、それらの多くにおいて、一般人は「単に他のPCより能力が低い」というだけであることがほとんどだった。

 私が知る限り、一般人が一般人であることそのものに意味を持たせたゲームが天羅万象(無印)だった。*1
 前にも書いたとおり、天羅においては「戦うことのできない人間が剣を抜く」ことそのものにロールプレイとしての意味があった。そして、天羅というゲームにおいては、セッション中、何よりもロールプレイが優先される。弱いことこそが、一般人(アーキタイプ「若武者」「少年」)にとっては「強さ」だった。
 しかし、この強みは「業システム」という、特異なシステムと密接に結びついていた。ロールプレイを強力に支援し、ドラマを生成する業システムなしでは、この強みは全く生かせない。


 そのせい……というわけでもないだろうが、その後に登場したのが「一般人ならではの能力を持った一般人」である。

一般人は逸般人

 その嚆矢は、トーキョーNOVAの「ハイランダー」(軌道人)だと思っている。ハイランダーを一般人というと抵抗のある人もいるだろうが、ハイランダーは他のスタイルと違い、*2何かのプロフェッショナルではなく、それどころか、往々にして自分自身が何者であるかすら知らない(記憶喪失である場合がある)。それでいて無自覚に、強大な能力を振るう。
 この方向をさらに突き詰めたのが、ブレイドオブアルカナの「アングルス」だ。アングルスは軌道人のような特権階級ですらなく「無垢であるが故の」様々な能力を持つものの、自分が無垢な存在であるという自覚などもちろんない場合が多い。
 以降、似たようなキャラクタークラスが一つの定番になる。メタルヘッドマキシマムの「イノセント」やテラ・ザ・ガンスリンガーの「ボーイズ&ガールズ」などだ。スターレジェンドの「マーチャントプリン(セ)ス」なども、これの変化球だと私は思っている。
 これらは、本人に力を持っている自覚がないというだけで、データ的な視点から見れば一般人でもなんでもなく、他のPCと同じ「選ばれた存在」だ。
 一般人であることを、ロールプレイよりも、演出で表現する時代になった、と言えるのかもしれない。


 そして、今回紹介された「サンセットルビー」の「一般人」もまた、この系譜を引く一般人ということになる。能力がないわけではなく、ただ演出的にはそれを自覚していない存在。私にとってはむしろ、これまでのカオスフレアに該当するクラスがなかったことの方が意外だったくらいなのだが……。

*1:なお“深淵”も、運命を持つだけの一般人をプレイすることができるゲームだった。そして、天羅(無印)とは正反対の設計理念、つまり「魔族の前では人間の力の差など無意味に等しい」という理念に基づき、一般人ならではのロールプレイができた。

*2:マネキンやカゲムシャもハイランダーに近い。