昨日の続き

トーキョーN◎VA THE AXLERATION サプリメント オルタナティヴサイト

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 あれからずっと、新スタイル「コモン」について考えている。
 とりあえず、なんとなくまとまった部分だけ書いてみる。

ゲーム的な面から

 前に、トーキョーNOVAガイドブックが出る時、私は「サイバーパンクムーブメントの未来が見えない時代に、サイバーパンクTRPGをどのように展開していくのかが知りたい」と書いた。ガイドブックを読んで、それには明確な答えがなかったと思っていたが、もしかしたら「コモン」の存在が、この上もなく明快な回答なのかもしれない。


 トーキョーNOVAは、サイバーパンクから一歩身を引いた。それを体現したのが「コモン」ではないか。


 どういうことか。
 サイバーパンクムーブメントとは、体制に対する反骨精神と自己表現のムーブメントである。
 トーキョーNOVAでキャストをあらわすのは、他のゲームのような「職業」でもなければ「クラス」でもない。「スタイル」だ。スタイルは職業ではなく生き方だ。姿勢であり、考え方であり、世界に対する態度(アティテュード)だ。サイバーパンク2020に三つのA(アティテュード、アックス(ギター)、オーディエンス)を武器とするロッカーというロールが存在するのも、NOVAのトリックスター、タロットナンバーゼロが「カブキ」というロックアーティストをあらわすスタイルなのも、それが体制に対する反骨精神と自己表現を最も端的にあらわす生き方だからだ。


 ところで、昨日私は「かつてのNOVAにおいては、一般人も22のスタイルのいずれかに分類されていた」と書いた。ここでそれを補足したい。「“スポットライトを浴びる一般人”ならいずれかのスタイルに分類されていた」である。では、スポットライトを浴びることのない、その他大勢のコモンはなんだったのか。──「エキストラ」だったのだ。

 キミはなんのかんの言って、この街が好きなのだ。


 今回のサプリに掲載されたサンプルキャラクター「一般人」の説明の抜粋である。
 コモンは平穏な日常から、突然非日常に放り込まれ、そしてまた日常に帰りたいと思っている生き方(スタイル)。その生き方は、サイバーパンクムーブメントではスポットライトを浴びることがない。
 なぜならサイバーパンクでは、日常はクソッタレなものだからだ。巨大企業が世界に君臨し、警察は腐敗し、メディアは買収され、弱者はストリートに打ち捨てられる。そんな街の「クソッタレな日常」に「帰りたい」などという現状追認は、反骨精神の対偶に位置する。サイバーパンク2020のPCは「ナイトシティ、サイコー!」なんて口が裂けても言わない。そして「その他大勢」「一般人」という生き方もまた「いかに尖って生きるか」「いかに自己表現するか」がアイデンティティとなる世界では、存在を許されない。すなわち「エキストラ」である。そういった「その他大勢」「クソッタレな日常」に反逆するのがキャストという存在だったのだ。


 最初私は、なぜコモンがカブキのマイナスナンバーなのか不思議だったが、こう考えるとまさに反面存在である。
 カブキは日常を打破したい存在。コモンは日常に回帰したい存在。まさに表と裏だ。


 しかし、時代は流れた。
 もしかしたら、テクノロジー云々以前に、サイバーパンクムーブメントの精神性自体が、もう時代に合わなくなってきているのかもしれない。それは、日常がまだしもマシになったからなのか、それともクソッタレな日常にすら帰れないという立場の方がプレイヤーの心情に合ってきたせいなのか、それはわからない。
 クソッタレな日常も、案外悪くない。いや、日常は相変わらずクソッタレだけれど、そこで生きたい、そこへ帰りたいというのも、一つの生き方なんじゃないか。トーキョーNOVAというタイトルに、新たにそういう視点を付け加わえてもいいんじゃないか……。

 背徳の街を「好き」といって憚らない「一般人」のサンプルキャラクター。

 レヴォリューションの頃から確かに存在する「プレイヤーの疑問に対して、ゲームシステムで回答する」という思想が、ここにもはっきりとあらわれている。ガイドブックで数十ページを費やして説明するより「コモン」というスタイルと一般人のサンプルキャラクターを追加する方が、いかにもNOVAらしい。 


 トーキョーNOVAは、サイバーパンクでなくてもよくなった。それがゲームシステムに取り込まれたスタイルが「コモン」なのではないか。私はそう思い始めている。

世界設定の面から

 さて、ここまではメタな視点での話である。ここからはNOVAという世界の中から見た「コモン」の話だ。

 かつてセトロードの運び屋に過ぎなかったアラシが時代とともにNOVAで認知され、カムイSTARの異変が拡散するにつれてアヤカシの存在が知られていったように。今回の新たなスタイルについても、世界設定上の何らかの裏づけを用意するのが、NOVAの製作スタッフたちだ。
 では「コモン」の存在には、いかなる世界設定上の裏づけがあるのか。


 ここからはこれまで以上に私の妄想である。


 恐ろしいことだが、占領から十数年を経て、NOVAが形式上だけでなく名実ともに、NOVA軍と司政官の存在を受け入れ始めた、すなわち文字どおり「日本の領土になった」ことを意味するのではないだろうかと、私は思っている。なぜなら「コモン」とは現状を受け入れるスタイルだからだ。ここでいう現状には、NOVA軍の支配も当然含まれる。
 こんなことをいうと、最近のNOVAプレイヤーからは「NOVA軍がどうのこうのって年寄りっぽい」とか思われそうだが、実はそれこそが「支配を受け入れた」ということなのだ。支配されるまでの経緯を知らない世代が、支配を「当たり前のこととして」受け入れる。それこそNOVA軍が望んでいた事態ではないか。
 恐らく、NOVA軍に反抗するだの抵抗するだのという概念そのものが時代遅れになっていくのだろう。

 それが「コモン」に象徴される新しい世界の法則だ。

 この穿った視点で見ると、シキガミとイブキからも別の姿が見えてくる。まずはイブキ。テロリストが破壊者であるのと対照的に、命を救うもの、救助者というのは基本的に体制側の存在である。ましてやスタイルの説明にはわざわざ「ブラックハウンドの出向者にしろ」と書かれているのだ。ブラックハウンドは日本の尖兵である。こう考えることそのものが時代遅れなんじゃないかと感じた方は、どうか10行上をもう一度見てもらいたい。
 そしてシキガミ。そもそも何故、使い魔を使役するスタイルに日本固有の名称がついているのかという話なのだが、そこに日本直属の魔術師部隊「ヨモツイクサ」の存在を感じ取るのは考えすぎだろうか?