一生懸命動画を探して勉強したり、何年ぶりかで仕事帰りにゲーセンに駆け込んだりしてるが、全然ハマってない。な、シャーリー(ハイタッチを要求)。
コメントでCポートの取り合いが苦手と言ってる人がいて、自分だけじゃないのだとちょっと安心した。今自分が通ってるマップは動画と同じ「アナトミア平静峡谷台地地域」。このマップは敵側と味方側にポートが2つずつ、中央にポートが一つある。ポート3つ占拠でコアのシールドが消えるので、必然中央の取り合いになるんだけど、ここがなんか天井が低いというか、一回下に落ちると視界が全然効かないマップになっている。エアリアルは空中戦が基本なんで、天井が邪魔で飛べないというのは機動力をほぼ封じられた状態になる。特にアサルトは。
なので、Cポートをあえて外して敵側のポートを奪うように心がけたら、今度は敵のタワーとかからの攻撃が激しくてどうにもならない。タワーはCPUなので、タワーからの攻撃だけなら何とか凌げるが、それに他プレイヤーの攻撃が混じってくるとどうしようもない。
ってか、みんな巧すぎるんだべ……。
呪われた島再び
- 作者:川人忠明/杉浦武夫/グループSNE
- 発売日: 2018/12/20
- メディア: 単行本
ルールブックを読んで爆笑するなんてそうそうないと思うが、この間のソードワールド2.5に続き、今回のロードス島戦記RPGも読んでいて爆笑してしまった。
誤解のないように言っておくと、ロードス島戦記RPGのルールブックは出色の出来である。フォーセリアを舞台とするTRPGのルールブックの中では随一と言ってもいいのではないだろうか(クリスタニアをこのフォーマットで読みたかった……)。最悪旧作のコピペじゃないかと覚悟していたが、そんなことはまったくない。できるだけ執筆者の主観を廃した、客観的な文章にしようという心配りが感じられ、戦闘ルールも詳細に説明されている。乱戦ルールっぽいものも追加されているが「20人しか入れません」みたいな意味不明なルールはない。
ただ、3メートルという実距離を単位に戦闘エリアを管理しようというのと、旧作同様モンスターのイラストが少ない点だけはいただけないが。
ではどこで爆笑したかというと、それは今回の執筆者というより、過去の経緯や周囲の環境に原因を求めるべき部分である。
交渉の話
まず、本ルールを読むにあたって一番気になったのは、ソードワールド2.5のルールブックで「交渉をルールで処理するのはTRPGの面白さをスポイルするもの」とまで言い切った人たちが、旧来のロードス島RPGに存在している交渉判定をどう料理するのかということだった。
今回の執筆者は、同輩の記述を黙殺はしなかった。実に真面目だと思う。わざわざ36ページの右側半分を使って、交渉ルールをどう扱うか説明を加えている。普通、他のゲームでは交渉ルールだけをこんなに特別扱いはしない。
コラムの内容については、一部は賛同でき、一部は賛同できなかった。「セッションが行き詰ったら交渉判定でヒントを与える」ここは賛同できる。ただ「成否によってコミュニケーションに決定的な影響を与えるな」という部分については、反対というより、わざわざ断りを入れる理由が気になった。
穿った読み方をするとこうなる。このゲームがデザインされた環境では「交渉判定に失敗したらプレイヤーの積み重ねてきた思考や努力が無駄になった」り、あるいは「交渉判定に成功したからとNPCが決定的に有利な行動をした」りする事態が想定されている……?
ああ、バブリーズみたいなセッションのことだね!
燃やしてはいけない
次に、ルールブック243ページのシナリオ中のコラムである。このシナリオでは「ガートというNPCが洞窟の中に取り残されているから、洞窟に火を掛けたり煙で燻したりするなと言え」と書かれている。「これらの行動は、小説の登場人物がやる分には面白いが、TRPGでやると身も蓋もないので、GMはさまざまな理由をつけて実行できないよう工夫しろ」とも。
この部分を読んで声を立てて爆笑してしまった。言われてますよ水野先生!
いや、これってGMが工夫しなければいけないことなの? 「身も蓋もないからやめろ」でプレイヤーに配慮を求めたらいけないわけ? これを「工夫」で避けようとしたら、GMはシナリオ上で起こるありとあらゆる事態に対応策を用意しないといけなくなる。火を掛けるんじゃなく水攻めしようとしたらどうする? ゴブリンを兵糧攻めにしようとしたら?
例えば、ロードスのデザイナー水野氏の執筆したリプレイでは、プレイヤーの一人が「人質(騎士王ディラント)がいるのを知りながら、敵ごと塔を倒壊させる」という場面が出てきた。人質を用意したところで必ずしもプレイヤーの行動は制止できないことを、デザイナー自らが証明している。
ただ、それでもこの記述を入れた理由はわかる。実はグループSNEのゲームは「GMとプレイヤーのお互いへの配慮」でPCの行動を制限することへの抵抗が強い。「ゲーム的でない」からだろう。これは私の推測だが。
では、メタ視点での配慮を避けつつ、こういったプレイヤーによる「身も蓋もない」行動をルール的に制止する方法は存在しないのか?
実は存在する。例えばD&Dのアライメント制。「君のキャラクターはローフルだから、そういう行動はアライメントに反するよ」と言えばいい。何しろ、ロードスの最初のリプレイはD&Dで、アライメント制の存在する環境だったのだから、相性が悪いはずがない。もちろん、アライメント制に限らない。フォーセリアの例で挙げるなら、クリスタニアなら「そういう行動は神獣ブルーザの戒律に反するからやめよう」と提案することは可能だ(前述の例ではまったく機能しなかったわけだが……)。
PCの性格がニュートラルやカオティックばかりだったら? それは、プレイヤーがそういうセッションを求めているということであり、それを認めた時点でGMは同意したことになるのだから受け入れるしかないだろう。必要なのはコンセンサスだ。
ソードワールドやロードス島戦記の難しいところは「冒険者の行動の指針」がないことだ。ブレカナなら刻まれし者としての宿命が、NOVAならスタイルが、PCの行動の指針となる。ロードスにはそれがない。結局は「プレイヤーの嗜好」がセッションの行方を左右することになる。そして「プレイヤーの嗜好」は、事前にコンセンサスの取りようがなく、事故を防ぎようがない。
オンラインはどこに
次に3つ目。
このタイミングでロードス島戦記RPGのルールブックが発売されたのは、恐らくオンラインゲーム版のロードス島戦記がそれなりに支持されたからではないかと思われる(というより、他に理由が考え付かない)。
それを意識してなのか、旧版のデザイナーである高山氏が前書きで、ハミングバード版PCゲームがTRPGを意識してデザインされたこと、そしてそれを逆にTRPGに落とし込んだのが旧版であることなどを昔語りに語っている。懐かしい話だ。
……いや、このタイミングでそれを語るなら、もうちょっとロードス島戦記オンラインとこのゲームを近づけようとしてもいいんじゃないか……?
少なくとも、ロードス島戦記オンラインとロードス島戦記RPGにはシステム的な共通性はまったくない。上級クラスの存在など一見似ているように見えるが、これらは完全に旧版に準拠している。オンライン版のように、弓使いから精霊使いに転職したり、神官から素手で戦う武道家に転職するような要素は片鱗すら感じられない。
ダナーンに至る物語
最後に。これはルールブックそのものではなく、ゲームマスタリーマガジンの最新号におけるロードス島戦記RPGの広告の話である。
なんとそこにはこう書かれていた。「原作者水野良氏による、ロードス島戦記の100年後を舞台にした新作小説が執筆予定である、乞うご期待」と。
……なんでその「100年後」を舞台にしたTRPGにしなかった!?
もう2018年も終わろうとしている時に、添付シナリオでザクソンの村のゴブリン退治とか、フィアンナ姫の救出とか、今更だろう? 広告ページにも書かれているが、ロードス島に「その後」があることは、クリスタニアのファンなら誰でも知っている。何しろ、白鳥の民が住むダナーンは「北の解放された島」から逃げ出してきた船団を祖としていると、クリスタニアの冒頭に書かれていたのだから(もっといえばクリスタニアは「さらにその後の物語」である)。
「100年後の物語」は、待ち望まれた物語だ。この「ロードスからクリスタニアに至る物語」こそ、フォーセリアを知る者にとって「知り得なかった空白」の物語だ。遅くなかったとは言わない。今も待ち望む者がどれだけいるかもわからない。しかし、この「旧作を復刻し、ルールブック全てを見直してリファインし、新しい世代のデザイナーにバトンを渡した」タイミングにこそ、使い古した30年以上前の舞台ではなく、新たな空白の物語の舞台こそがもっとも必要だったのではないか。
リウイもそう、そしてこの作品もそう。TRPGを題材にした小説を出しながら、なぜか二つがリンクしない。それは双方にとって不幸なことだと思うのだ。
この、最後の題材についてはもう一度書く予定だ。タイトルはもう決まっている。「ラス・オブ・ジ・イモータルズ」(神々の怒り)である。
タイトルだけで何のことかわかった方は、相当詳しい方だろう。