リヨぐだとその他の落差が凄いよー、っていうのが放映側が目論んだツッコミどころなんだろうけど……。
年末のあのインタビューを見た後だと、未来のFGOの話とかリヨぐだのネタそのものがヤバい(笑)。
僧侶の話
- 作者: 安田均
- 出版社/メーカー: 書苑新社
- 発売日: 2018/12/21
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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今日はウォーロックの3号の話だが、なんとなく昨日のエントリの続きっぽい話である。
3号も同じく「T&T研究室」についてだ。
今回のT&T研究室は、僧侶の話である。社会思想社版のT&Tを知っている人間には、当時僧侶の話は結構ホットな話題だったと思う。D&Dの基本4クラスのうち、僧侶だけがT&Tには存在せず、それでも僧侶をプレイしたいという需要は結構大きかったのだろう。記事でも述べられているとおり、旧ウォーロック誌にはT&Tで僧侶を遊ぶための追加ルールが掲載された(後にT&Tのサプリ「モンスター・モンスター」で単行本化された)。また、T&Tのバリエーションの一つ「ハイパーT&T」でも僧侶と関連クラスが追加されている。
にも関わらず、版を重ねたT&Tでも僧侶は正式には実装されなかったのだから、デザイナー、ケン・セント・アンドレ氏の
「宗教は私の人生にとってさして重要ではなかった、それがなんで私のゲームを引っ掻き回すんだ?」(同誌82ページ、原文はヒロイックワールド223ページ、とある)
という思想は、相当に強固なものだったのだろう。
ただ、私はその判断を手放しで支持はできない。前にコロコロ少年でも書いたことだが、自分のゲームに宗教を反映させるかどうかは個人の問題だから自由にすればいいが、それによってT&Tの第5版(社会思想社版)は、PCのバリエーションが非常に少ないゲームになってしまった。
T&Tはただでさえ「戦士と魔術師とその中間」しかないゲームだったのだ。盗賊や魔法戦士というクラスがあるものの、盗賊は「戦士より防具の扱いが下手で魔法も使える」クラス、魔法戦士は「盗賊よりちょっと上手く防具や魔法が使えるクラス」でしかない。これが、当初から後に発売された7版くらいのバリエーション(7クラスあり、技能も存在する)があれば楽しめたのだろうが……。
「自分のゲームから宗教色を排除したい」というのと「プレイヤーに選択肢を用意する」というのは、必ずしも両立しない条件ではない。古いゲームでいえばルーンクエストなどは、神の力による神性呪文を除いても、複数の呪文系統を用意していた。それはゲームを単純化したいという思想と相反するのかもしれないが、当時の私にとって、大人数で遊ぶ環境で、そのゲームを選ばせる魅力が足りなかったのは事実である。少なくとも、需要があったことは本国でも把握されていたにも関わらず、なんら代替案がなかったのだから。
さて、昨日今日と同じ雑誌の同じコーナーを取り上げたのには理由がある。極論してしまえば、前号の「ヒットポイント」はT&Tにはルール上は「ない」し、「トロールワールドの神と信仰」もルール上は「ない」で終わってしまう。そこをあえて切り込む着眼点は面白く、問題提起としてはT&Tというゲームの問題点を的確に突いていると思うが、結論が「えっ、そっちに行っちゃうの?」という印象なのだ。間違っているというのではない。そうではなくて「私が知りたいのはそっちじゃないんだけど……」という感想が、2号連続でまったく同じだったのが面白かった。
もちろん、この記事で書かれている内容を求めている読者もいるとは思うのだが……いやでも、トロールワールドの神と信仰について知りたい人にとって、別にハイパーT&Tの時に清松氏がなんて言ってたかとか関係ないよな……。舞台違うんだし……。