9.18の再来


 新作には全く興味がないし、買うつもりも全くないけど、9.18事件をリアルタイムで経験したファンとして、一回だけ語っておこう。


 この動画を見て納得できる人間がいるか?


 この15周年の作品には、765プロアイマスAS、ミリマス)以外は参加するべきではなかった。
 なぜなら、15周年を迎えたのは765プロだけだからだ。そして、ストーリー上765プロを継承しているのはミリマスだけだからだ。

 新作の宣伝を見て「なぜSideMは登場しないのか」という疑問が生じるのは当然だ。それを動画内で声優にわざわざ質問させ、それに答えるという形で事前に批判を封じるというやり口は、10年前、新作でプロデュース可能アイドルを削り、後を声優に任せて壇上から逃げた時の姿勢から、まったく変化が感じられない。正直、流れるコメントを見て「私は10年前と同じ動画を見ているのか?」という強烈な既視感に襲われたくらいだ。
 あれこれ言葉を並べているが、結局後発のシャニマスを登場させておきながらSideMを登場させない本当の理由は「9.18事件の再来を恐れた」からではないのか。

 新作を「一つの作品」として考えるなら、前述のとおり、765プロと作品世界上で繋がっているのは現在ではミリマスだけだ。デレステにはかつて765プロのアイドルがカード排出された時期もあるが、後年その要素はオミットされ、デレステには影も形も出てこない。シャニマスにも765プロは登場しない。むしろSideMの方が、それこそジュピター繫がりでまだ関連がなくもないくらいだ。一つの作品をその世界観で完結させるという意味であれば、新作はミリマスの範囲を出るべきではない。
 そうではなく、これは作品の枠を超えたゲスト参加だというなら、例えばKingofFightersのゲスト参戦や、CapcomVSSNKのドリームマッチと今回のこれは何が違うのか。


 すべては9.18に行き着くのだ。


 アイドルマスター2で制作陣はプロデュース可能アイドルを削り、男性アイドルをライバルキャラとして登場させ、あまつさえそのフォローと称して二次創作を全否定して界隈を炎上させた。その結果、何が起きたかといえば、ファンコミュニティが割れたのだ。私は当時の日記にもそう書いている。そして、SideMは割れたファンコミュニティの片方、ジュピターを受け入れるべきという層に向けたものだ。「ジュピターは使い捨てではない、SideMの中心メンバーなんだよ」というフォローを入れ、そしてそれ以外のゲームにはジュピターを含め男性アイドルを再登場させなかった。つまり「棲み分けた」はずだった。


 ところが今回、新作からあえてSideMだけを排除することで、またしても制作陣はファンコミュニティを二つに割ってしまった。


 これは「前回男性アイドルを登場させたからお前らは怒ったんだろ、望み通り今回は登場させないことにしてやったぜ」という単純な話ではない。問題は「コミュニティを割った」ことにあるからだ。プロデュース可能アイドルの削減も大問題だったにも関わらず話題にならなかったのは、それに賛成する者がそもそもほとんどおらず、論議にならなかったからだ。男性アイドルの存在はそうではなかった。論議になったのだ。それはつまり「どちらの側に立つファンもいた」ことを意味する。
 今回逆に、最初からSideMを含む形でゲームを発表していたら、それはそれで反発するファンはいただろう。それはそのファンが悪いのではない。バンナムがそういう作品展開をしてきたからだ。私は9.18騒動の時に「今回失った信頼を取り戻すには、堅実に実績を積み上げるしかない」と書いた。彼らはそれをせずに、別のゲームを作って逃げた。そのつけが10年越しで回ってきたのである。

 私が「新作をミリマスだけのゲームにしておくべきだった」と考えるのはそのためだ。10年前の一件がなければ「みんなが一堂に会する夢のゲーム」で済んだかもしれないが、問題解決の手段として棲み分けという手段を選んだという経緯がある以上、簡単に元に戻すことはできない。これがデレマスとミリマスだけの話だったとしても、相手に反感を持つファン層というのは存在する。彼らにとっては「なぜ関係ないアイドルがこっちの新作に出てくるのか」としか思えないだろう。その矛盾を、最も目立つ、しかも最もやってはいけない形で表沙汰にしてしまったのだ。
 仮にこれが「デレマスやシャニマスのファン層にもゲームを買ってもらうため」だったとして……185人のアイドル中、5人しか登場しないデレマスのファン層にどれだけアピールできるというのか。


 制作陣は今回、炎上を回避したつもりだったかもしれないが、そのせいでかえって10年来のファンは古傷にナイフを突き立てられた。そして、今までそういったファンを「昔の話をわざわざ蒸し返す老害」という目で見てきた新しいファンたちも、10年前に何が起きたか、その背景にどういうものがあったか、それが今にどのように続いているのかを知る機会を得てしまった。その1点だけでも、今回のこれは悪手だったと言っていいと思う。
 そして10年前を知る人間は改めてこう思うのだ。「彼らはやっぱり10年前の教訓から何一つ学ばなかった。何も進歩しなかったんだな」と。