普段はあまりYoutubeのコメント欄は読まないんだけど(ネタバレ防止のため)、今回は思わず読んでしまった。仲間と別れる瞬間オートセーブとか意図的にバグ誘発してるのかってくらい酷い仕様だと思う(笑)。
よくある言説
この手のよくある言説、うちのブログでも似たような意見を何度か取り上げてる気がするけど……。そして、私自身が推測した「理由」も今までに何度か書いている。ここの議論の中では出てきていないが。
簡単に言えば「ゲームの開発費が増えて、発売されるゲームの数、そしてバリエーションが減ったため、個々人の好みにフィットする作品が相対的に減り、最大公約数的なゲームしか出せなくなったから」だと私は考えている。
私自身は2Dと3D、それ自体にこだわるところはないんだけど、それは「2D時代と3D時代で同数規模のゲームがリリースされていれば」という前提であって、3D時代になって開発費が増え、発売タイトルが激減するくらいなら2D時代の方がマシだった。スーパーファミコンよりプレイステーションの方がソフトが多かったという事実からすると、2Dと3Dを単純に比較することはできないという見方もできるが、表現技法が3Dポリゴンになって高精細化に限度がなくなり、開発費の肥大化に歯止めがかからなくなったのは事実だ。
また、同意だったのは「ゲームというのはそもそも現実をデフォルメして、特定の要素をゲームとして落とし込むものであって、現実に近くリアルになることには本来価値はない」という意見だ。
例えば「マッピー」で、ネズミが数回跳ねたくらいでトランポリンが破れるのは、本来であれば不自然だが、そこを否定してしまったらゲームが成り立たない。しかし、ネズミやトランポリンを現実に近く精緻に描けば描くほど、違和感が大きくなる。デスストランディングのグラフィックでマリオをやることを想像すればわかる。あのグラフィックで「上から踏むと敵が死ぬが、横から体当たりするとプレイヤーが死ぬ」と言われたら「は?」となるだろう。Togetterでも取り上げられていたが、リアルなグラフィックで「味方のパーティメンバーが敵に一撃加えるたびに元の場所に戻るのは不自然」なのだ。
技術的な理由により表現が制約を受けていた部分は確かにあるだろう。しかしそれは「制約が取り払われたら、限りなく現実に近づけるのが正しい」ということを必ずしも意味しない。ゼルダシリーズなどは非常に分かりやすい回答を出している。ブレスオブザワイルドも、夢を見る島のリメイクも、もっとリアルな表現に近づけることは可能だっただろうけれど、その道を選ばなかった。
そしてもう一つ。「視点移動の操作ほど、無駄な操作はない」という意見もわかる。プレイヤーの分身を動かす操作と違い、俯瞰視点で全てが見えていれば必要ない操作だからだ。それは、メタな言い方をすれば「見せ方が下手なせいでプレイヤーが操作を強いられている」と言えなくもない。
私自身は箱庭的にゲーム内世界を隅々まで見たいという欲求があるので、不要とまでは言いたくないが……。しかし、それによって操作デバイスが十字キー一つからアナログスティック二つに増えたことについては、コントローラや、特に携帯ゲーム機の形状に大きな制約を受けざるを得なくなったという点で、望ましいことではなかったと思う。