PC版は期待されていたのに


 前にPC版を取り上げたことがあるけど、まさかその裏でファミコン版がこんな悲惨なことになっていたとは……。

すみません甘く見てました

 VTuber可憐、一昨日のエントリを書いた時点では第1回の冒頭5分程度しか聞いていなかったんだけど(本編は収録部分だけでも合計20時間以上あるので……)、総集編を聞いたら想像より遥かに面白かった。


 私はシスタープリンセスという作品を、リアルタイムではそれほど熱心に追っていなかった。アニメは一通り見て、キャラソンCDくらいは聞いたことがあったくらいだろうか。
 そして、VTuberについてはそれに輪を掛けて詳しくない。ポポナとその他数名を数回聞いた程度だ。
 しかし、このVTuber可憐は滅茶苦茶面白かった。



 正直な話、この配信を聞くまで、可憐の声が桑谷さんであることを失念していた。私にとっては、桑谷さんといえばハルヒの朝倉さんや瀬戸の花嫁の巻といった、可愛いけれどもちょっと裏があるというか癖があるキャラクターのイメージだったので、シスプリでド直球の正統派ヒロインを演じていたのをすっかり忘れていた。逆にいえば、だから一昨日のエントリでは冒頭5分だけを聞いて、流してしまったのだ。

 しかし、Vtuber可憐の真骨頂はその後にあった。

 総集編の第1回抜粋部分で既にOS(Vtuber可憐は演者をこう呼ぶ)が「昔ラジオをやっていた頃から『こんなの可憐じゃない』と言われていたので、冒頭5分だけは自我を保つ(=可憐のキャラを演じる)よう心がけた」と言ってしまっている(動画埋め込み部分)。


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新規のお兄ちゃんたちが第1回、第2回放送を聞いて少しずつ察してきたかもしれないが、可憐の性質と中の人の性質は真逆であり、可憐のキャラクターが放送時間いっぱいまでは持たない。これは2001年10月から文化放送で放送されていたラジオ「シスター・プリンセス〜お兄ちゃんといっしょ」で散々言われてたが可憐のキャラクターが放送時間まで持たないのだ。


 これを聞いて最初に思い出したのは「ぶるらじ」である。あれはいわゆる声優ラジオに、後でスタッフがイラストを載せたものだ。出演者はラグナとして、ツバキとして、ノエルとして喋ってはいない。イラストを載せる際のペルソナとして、ゲームのキャラを使っているだけだ。

 ところが、Vtuber可憐はそうではない。コロナによる事前収録回を除けば、OSの人の目の前には生放送中、常に可憐の姿が表示されていて、見ている側も可憐の姿を見ている。しかも、この可憐のモデルがお目目ぱっちりの可愛い系であり、表情もほとんど崩れない。元々Vtuberは表情が大きく動かないのかもしれないが、それならそれでSD系のキャラにするとか、コミカルなモデルを使う方法もあったはずだが、あえてそれはしていない。
 なのに、なぜか番組内には「フリートーク」というコーナーがある(笑)。咲耶のOSの人も、自分のラジオ番組で「咲耶Vtuberでフリートーク!?」と絶句していた。いくら桑谷さんが声優ラジオの大ベテランだとしても、シスプリという原作のある作品で、脚本なしの生放送で、可憐として「フリートーク」なんて、普通に考えればできるはずがない。
 しかも、番組内の「収録後に間違えてスリッパを履いたまま帰りそうになった」という可憐のトーク(第7回)に対して、スタッフは「ここはVtuber可憐の自分の部屋なので、どこかに帰るという概念はない」と指摘するのだ。そりゃ可憐も「運営は私の敵か?」と言いたくもなろうというものだ(笑)。


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毎回「可憐であろうとする事を諦めていない桑谷夏子」と「はみ出てしまう桑谷夏子」のせめぎ合いみたいな部分があって。
そこの面白さって『シスタープリンセス』という原作があるからこその面白さなんですよね。桑谷夏子の役者としての意地みたいな部分が感じ取れる。
仮に桑谷夏子が可憐であろうとすることを諦めたり、可憐じゃなくてオリジナルキャラクターだったりしたらこの面白さって絶対に出ないものなんですよ。


 私が総集編を見直したのは上の2記事を読んだからというのも大きい。加えて、これは製作側にも、見ている側にも言えることだと私は思った。
 Vtuber可憐として可愛い系に振り切ったモデルを採用しながら、Youtubeアーカイブのサムネイルには「妹と運営とお兄ちゃんの煽り三つ巴」とか「年初め謝罪会見『可憐は悪くない』」などという、可憐のキャラとはかけ離れた文字を躍らせる。
 見ている側も「(犬猫を飼うことについての女性視聴者からの相談に対して)『あれ? 結婚、諦めたんですか?』って、よく煽りよる(笑)。どういうことだ」(第20回)なんていう妹暦20年の台詞を聞きながら、視界に入っているのは紛れもない可憐の姿であり、その都度シスプリに引きずり戻される。

 つまり、運営も「声優ラジオとVtuber可憐の間でせめぎ合う番組」として、見ている側に意図的に「シスプリの可憐とOSの間のギャップ」を常時意識させる作りになっている。



 そう考えると、可憐は第18回で「可憐がちょっとくらい自我保ててなくて、抜けてないと他の妹がデビューしにくいでしょ?(笑)」と言っているが、むしろそのギャップの大きさと自我の崩壊具合こそがVTuber可憐の真価な訳で、これこそまさに桑谷さんのなせる技。可憐が面白ければ面白いほど、他の妹へのプレッシャーが大きくなるんじゃないかという気もするが……(笑)。